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BLACK=OUT 2nd

第十二章第十三話:一人の少女の慟哭を残して

「和真さん、それ……!」
 征二が奥の部屋に消えてしばらく、マークスは日向の身に起きた異変に、短い悲鳴を上げた。突然、日向の胸に細い光の渦が幾重にも巻き、それが徐々に大きく、眩く輝き始めたのだ。
「征二……やりやがったな、あいつ」
 絡まり合う光の糸は、やがて一本、また一本と日向を離れ、天井へ吸い込まれるように消えていく。その数も加速度的に増えていき、噴き出す白い飛沫と変わる。吐き出された糸は、程なく元の持ち主の元へ帰るだろう。
 結論だけ言えば、征二が勝った。
 封神の力は、解除された。

 水島は、今度こそ全部終わったのだと悟った。何も教えていないのに、征二は解除キーを探り当てた。いや、きっと征二は探ってなどいなかった。ただ、本当に、自分の言いたいことを言っただけなのだろう。
「……俺はな、征二。ずっと何も迷わず進めてきたつもりだった。いや、今でもそうだ。間違っていたとは思わないし、正しいことをしていたんだと信じてる。家族を失った時の誓いだ、間違いであるはずがない。だが、けどなあ、お前を拾って、家族ごっこを始めて、俺は……代わりを見つけちまった。二番目の家族を求めちまったんだ。でもそんなわけにはいかないだろ? 俺はずっと、いつからか芽生えた願いを殺し続けた。お前を裏切り、傷付ければ、俺の邪魔な二番目の願いは永遠に消える。俺は、もう、お前を失ったんだ」
 ぽつぽつと、確かめるように口にする。自分の一言一言が、順に胸を刺す。
「お前は俺を許さないだろう。だから俺は解除キーにこれを選んだ。お前が……俺を、父と呼ぶことを」
 それは起こらない、起こるはずがない奇跡だった。だが征二は見抜いていたのだ。自分でも気付くことのなかった、二番目の願いを。
「水島さん、和真が、こう言っていたんだ。『術者が絶対に起こらないと思っている事象は解除キーに指定出来ない』って」
「そうか……じゃあこれは、きっと、俺が望んでいたことだったのかな。どっちもが俺の願いで……どちらかを選べなかったのかも知れないな」
 これで本当に全部終わった。日向伸宏との約束、家族に立てた誓いは、果たされなかった。水島はいずれ死を迎えるだろう。だがその代わりに、水島は二番目の家族を得た。叶えられた二番目の願い——この結末も、そう悪くはない。
「征二、お前は多分このまま消えるが、ライカと和真にちゃんと挨拶しといたのか?」
「あ、ええと、急いでたからちゃんとは……」
「おいおい、ちゃんと挨拶くらい済ませてこいよ。俺もどうせ死ぬし、運が良けりゃ向こうで会えるだろ。こっちはいいから、あいつらんとこ行って話してこい」
 それほど長い時間じゃなかったはずだが、もう何年も、こんなやり取りをしていなかった気がする。「いつもの会話」が懐かしく、心地いい。
「分かったよ。じゃあ父さん、また後でね」
「おう、お前には向こうでも俺の世話をしてもらわなきゃならんからな」
 征二が照れたように笑い、壁の向こうへ戻っていく。その背中を見送り、水島は大きく息を吐いた。壁にもたれ掛からせていた体は、もうだいぶ床にずり落ち、改めてもう力が残っていないことを鮮明にする。
 ——よお、征士。ちょっとばかり時間が掛かっちまったが、俺もそろそろそっちに行くぞ。母さんにもよろしく言っといてくれ。それから、まあ聞いて驚け、家族が増えたぞ。おいおい浮気じゃねぇよ、俺は母さん一筋だ。知ってるだろ?
 お前の弟……になるのか兄になるのかちょいと怪しいが、とにかく兄弟だ。細かくてうるさくて小姑みたいな奴だ。根暗で友達もいねぇような奴だがなぜか彼女はいる。ちゃっかりしてんだろ?
 一緒に行くから、仲良くしてやってくれ。

 ああ、何だか暗くなってきたな。それに疲れた。
 久し振りに家族 水入らず で

 ——。

「終わったよ」
「ああ、こっちも終わった」
 三人の所に戻った征二は、自分と同じ顔に事の次第を報告する。日向に集中していた負担も術の解除によってなくなったようだ。じきに世界を襲った混乱も終息するだろう。
「よくやったな、征二。お前じゃなきゃどうにもならなかっただろ」
「僕と僕の家族の問題だからね。僕が始末を付けないと」
 征二の体からは光の塵が立ち始め、少しずつ存在が薄くなっていた。残された時間が少ないことを察したのか、日向が右手を差し出す。
「ほら、握手でもしようぜ。自分の別人格との握手なんて、これまでもこれからも絶対に体験出来ねぇぞ」
「そうだね。……君には、本当に助けてもらった。ありがとう」
 征二はおかしそうに笑いながら、日向との固い握手を交わす。ずきりと心が痛むのは、これが別れだと改めて認識したからだろうか。
 そう、この握手は、これでお別れだという儀式だ。同じ体と魂を共有した別の人格。それはどこまでも近く、何もかも違う存在。この痛みは、自身を切り離される痛みなのだ。
「……征二……」
 後ろから声が掛けられる。不安と悲しみと絶望をない交ぜに、必死に押し殺したその声に、征二は日向の手を離し、振り返る。
「ライカ……」
 目は赤く泣き腫らし、頬は流した涙に濡れている。それでも征二の前では泣くまいと、たとえ笑うことは出来ずとも、せめて泣かずに送ろうと、ライカは口をきつく真一文字に結び耐えていた。その姿に征二も、鼻の奥がツンと痛くなる。
「……僕は、いつも……君を困らせてばかりだね、ライカ」
 ライカは黙って、首をぶんぶんと横に振った。声は出せない、口を開けばきっと、どんな言葉よりも先に嗚咽が漏れてしまう。
「君に会えて良かった。君がいたから征二になれた。もう僕には……時間が幾らも残されてないけど、これで僕は征二のまま逝ける」
 体から上る光はいよいよ濃くなり、それは征二の人格が砂城のように崩れ始めたことを意味する。
「僕は……君の前ではずっと泣いていた気がするから。だから笑うよ。最後の僕は笑っていたんだって君に覚えていてもらいたいから。ね、ライカ」
 ともすれば崩れそうになる気持ちを抑えて、精一杯笑ってみせる。どうだろう、笑えているだろうか。上手ないい笑顔を見せているだろうか。これがライカにとっての、自分の最後の記憶になるんだ。だから、もっと——。
 ライカは——
「うわああっ」
 堰を切ったように、叫ぶように、崩れていく征二に抱きついた。光の塵が、一斉に飛び立った蛍の群れのように二人の周囲を舞う。
「ごめん、ごめんね、征二。私も泣きたくないんだ、笑って送りたいんだ。でも、でもだめだ、やっぱりだめだ嫌なんだ! ごめん征二、私は——!」
「分かってる」
 もう指もほとんど残っていない手で、ライカの腰と背中を抱き締める。胸の中の嗚咽に、ありったけの想いを刻むように。
「ライカ、愛してる」
「私も……征二……っ」
 ライカが顔を上げ、目を閉じる。近付いていく二人の唇が触れた瞬間、征二の体は輝きに散った。

 そして騒乱は終結する。
 一人の少女の慟哭を残して。

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