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BLACK=OUT 2nd

第六章第一話:硝子の幸せ

 鋭い吐息と共に踏み込み、木刀を振り下ろす。切っ先が早朝の空気を裂いて、ピタリと停止した。身体を引き、次の一刀へ。
道場の中央で素振りをしている巫女装束の少女以外、人影はない。それもそうだろう、ここは戦闘訓練で組手をする時でもなければ、誰も来ない場所だ。ましてやこんな早朝になど。
「――四九九、五○○! っと」
肌寒いくらいだが、動いていると汗ばむ。神林は木刀をぶら下げたまま、白いタオルで額の汗を拭った。
「あー、いい汗かいた。シャワー浴びて来なきゃ」
「お疲れ」
背後から急に声を掛けられ、神林は「へうっ!?」と変な声を出して飛び上がった。
「な、何だ、利くんかあ……びっくりした」
「僕の気配も悟れないようじゃね。はい、ドリンク」
宮葉小路が差し出したのは、蓋付きの紙コップだった。ちゃんとストローも差してある。
「あ、サンキュー。えへへ、気が利くなぁ」
ニコニコしながらストローを咥える。中身はスポーツドリンクだった。運動の後はこれに限るね、と一気に吸い上げる。身体中に水分が染み渡っていくようだ。
「で?」
空になった紙コップを二本指で摘み、二度三度、左右に振る。
「朝の弱い利くんが、どうしてこんな朝早くに?」
宮葉小路の顔が強張った。だがそれも一瞬のことで、ふうっと大きく息を吐くと、やれやれ、と天を仰ぐ。
「命にはお見通しか」
「和真の件?」
「もうすぐ奴らが動き出す。――僕の直感が正しければ、だけどね」
奴ら……ノースヘルか。
「利くんが直感頼りだなんて珍しいねぇ。そういうのはあたしの方が得意なんだけどな」
「らしくないことは自覚してるさ。だが直感もそう捨てたもんじゃない。お前を見てると特にそう思うよ。――話を戻そう。α区での出来事は覚えてるな?」
忘れようったってそう忘れられるものじゃない。ノースヘルのメンタルフォーサーと、実際に対面したのだ。それも二人も。戦闘にならなかった理由は分からないが、極めて黒に近いグレーだったノースヘルの関与が確定的になった事件である。B.O.P.は、最早完全に対ノースヘルということで体制を整えた。相手がいつ、何を、どのように仕掛けてくるかはまだ分からない。だがそれでも、二年前と同じ轍だけは踏むまい――それが、B.O.P.に関わる者、特に二年前を経験した者の総意である。
「少なくとも、あの時遭遇した二人にとって、僕たちと接触することは計画として折り込まれてなかったと思う。でも彼らは姿を現した。別に、あのまま隠れていても良かったはずなのに、だ。一兵士が現場の判断で取っていい行動じゃない。上の判断と見て間違いないと思う。だとするなら――」
ノースヘルにとって、自分たちの関与を隠す必要は、最早全くなくなったということだろう。つまり、もう準備は終わったのだ。
「だとすると、征やんの……和真の身が危ない、ってこと?」
可能性は否定できない、と宮葉小路が頷いた。
「ノースヘルの目的を考えれば、和真を奪われたら僕たちの負けだ。もしも彼らがまだ――日向博士の『全人類のBLACK=OUTを解放する』なんていう世迷い言を本気で実行する気でいるなら、絶対に阻止しなきゃならない。和真の『封神の力』なら、それが出来てしまうからな」
封神の力――正邪を問わず、万物を封じ込める一子相伝の力。それを持つのは、今は日向だけだ。
「だが裏を返せば、もしかしたらノースヘルには『和真』を取り戻す手段があるのかもしれない、とも言える。もちろん当てはなく、ただ身柄だけでも獲得しておこう、というつもりなのかもしれないが。いずれにせよ僕たちは奪われるわけにはいかない。この世界を守るためにも……一人の仲間としても」
日向のいないB.O.P.。この隊には、日向が不可欠だ。戦力的な意味でももちろんだが、彼がいたから自分たちはチームたり得てきた。マークスの呪縛を解き、宮葉小路を成長させ、そして神林を加入させたのは日向である。二年前、崩壊する第三ビルから脱出出来たのも彼のおかげだ。その彼を救うためなら――大切なチームメイトを守るためなら、どんなことでもする覚悟は、今も変わらない。宮葉小路は、小さく拳を握り締めた。
「現状で、日向の人格を取り戻す手段を僕たちは持っていない。でももしノースヘルにそれがあるなら……ある意味チャンスだ。先日接触した奴らを捕らえることが出来れば、そいつから聞き出せるかもしれない。仮にそいつが知らなかったとしても、そいつを人質にノースヘルから情報を引き出す目もある。戦いは僕たちにとって、一気に優位に傾くはずだ」
宮葉小路の意志は固いようだ。一方で神林は、心配そうに宮葉小路の顔を覗き込む。
「利くんは……それでいいの?」
B.O.P.はあくまで特殊心理学分野の研究及び対策組織だ。人質だの取引だのという話は合わない。何より、それを実行することで組織の性格が変わってしまいかねないのだ。神林は何よりもそれを懸念している。
「……命の心配も分かる。エレナだって、きっとそんな風に変わってしまったB.O.P.なんて見たくないはずだ。でも助けられるかもしれない仲間を見殺しには出来ない、したくない。――もう、自分の弱さで後悔するのは、嫌だ」
辛そうに顔を歪める宮葉小路。その理由を神林は知っている。
彼女がB.O.P.に来る前、この隊の隊長を務めていたというエレナ=フォートカルトという女性。宮葉小路のかつての恋人だったエレナは、とある任務中に日向を庇って亡くなったらしい。そのことで日向を逆恨みした宮葉小路と彼との間にいざこざがあった時期があり、神林は丁度その時期に入隊した。日向のことをよく知る彼女が日向の過去を話し、それがきっかけで宮葉小路は自分の弱さを直視出来るようになったのだ。今は神林が宮葉小路を支えているが、それでも事あるごとにエレナの死を思い出し、悔いている。宮葉小路のチームメンバーに対する思いは、全てそこが出発点となっていると言っても過言ではない。
「……弱くなんてないよ、利くんは。あたしがいるもの。大丈夫、きっと上手くいくよ」
言い含めるように、神林が宮葉小路の手を両手で包む。
自分ではエレナの代わりにはなれないかもしれない。でもエレナには出来なかったことが、きっと出来るはず。
今の宮葉小路を支えられるのは自分だけだ。エレナはもういない。だから、自分が――。
宮葉小路は弱々しく笑って、神林の肩を抱いた。逆らわず、されるがままに身を委ね、瞳を閉じる。神林の唇に、宮葉小路の唇が重ねられた。
――だってあたしは……
早朝の道場、彼ら以外に誰もいないこの場所は、全ての音が隠されて。

 ――今、幸せなんだもの。

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