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第十二章第十二話:青の家族

 その狭い部屋は、水島が休憩室として利用していたものだった。仮眠用の小さなベッドの他には、ちょっとしたチェストと、その上に置かれた写真立て以外、これといった家具は何も置かれていない、殺風景な部屋。壁を背にもたれ掛かり、床に座り込んだ水島は、ここが終の場所であることを悟っていた。
「ぐっ、征二の奴、俺に一矢報いるとはな……なかなかどうして、やるようになったじゃねぇか」
 浅い息を繰り返しながら、水島はそれでも、嬉しそうに破顔する。征二に裂かれた脇腹からの出血は止まらない。血を失いすぎたせいか、頭もぼうっとして、何だか現実感も薄い。まるで夢の中にでもいるようだ。
 計画は、全て上手くいった。ここまで、何もかもが思った通りに動いた。ここから先、最後の鍵を征二が手にする可能性は、ゼロに近い。
「日向、約束は守ったぞ。俺たちは人類を救った。もう誰も、サイコロジカルハザードの犠牲にはならない世界に作り替えた。お前の息子、和真の力で。お前が作り上げた最初のメンタルフォーサー、そして最強のメンタルフォーサーだ。主人格が消えた後、彼が残るのか、征二が残るのかは、分からないが。——まあ、どちらでもいい。俺はお前と、俺の家族の元に行くんだからな。ようやく家族に会えるんだ。何も思い残すことなんてねぇよ」
 だが口にすると、思いのほか、何か喪失感のようなものが胸に広がっていく。そんなことはない、あるはずがないと、水島は自分に言い聞かせた。自分は既に全てを失った男だ。これ以上何かを失うことなどあり得ない。
 少し感傷的な気分になってしまうのは、ここまでの道のりと、そして血が足りていないせいだ。正常な思考、判断が出来なくなっているのだ。だから——。
 水島は、ついと顔を上げ、驚いたように一瞬目を見開き——そしてすっとその目を細める。

 ——だから、ここに征二がいるように見えるのも、幻覚だ。

「水島さん……」
 喋る征二の幻覚は、薄暗い部屋の中でぼうっと光り、その姿を浮かび上がらせている。目を凝らせば向こう側が透けて見えていて、幻覚でないのなら生き霊か何かか、というところだ。
「よお、征二。ちょっと見ねぇ間に、随分影が薄くなったじゃねぇか」
 水島の軽口に征二はきょとんと目を丸くし、そして何かに気付いたのか、ちょっと拗ねたような苦笑いをして見せた。
「しょうがないでしょ。ここに来るためには肉体を捨てなきゃいけなかったんだし」
「肉体を……? ——そうか、お前、ここへ来るためにそんなことまでしたのかよ。いいのか? 世界を救えてもお前は救われない。そう待たずにお前は消える。死ぬんだ。もうライカともイチャイチャ出来ねぇんだぞ」
 だが、何故だろうか。少し安心している自分がいる。嬉しいとさえ感じている。世界がどうあろうとも、征二は死ぬ。だからか? 征二と心中したいわけでもないのに。
「いいんだ。僕は水島さんに言いたいことがあって、ここに来た。だからそれを伝える。そのためにここにいる」
「言いたいことだと? そりゃああるだろうな。私はお前を欺き利用し使い捨てた。和真の記憶を持たずに、和真の能力を持つお前は使い勝手が良かったからだ。恨み言の一つも言いたいだろう。だが俺は解除キーは言わねぇぞ。お前が何を言おうと、絶対にな」
 征二は応えず、部屋に置かれたチェストに歩み寄った。視線は、その上に置かれた写真立てに注がれている。
「そうだね、分かってる。水島さんが今日まで戦って来たのは、家族のことがあったからだ。奥さんと征士君を失って、もう誰もこんな悲しい思いをしなくていいように……いや、そうじゃないよね。水島さんは、守れなかった、救えなかった家族に、罪滅ぼしがしたかったんだ。水島さんにとって、どれだけ家族が大事だったのか——僕は、知ってるつもりだよ。もし水島さんが、ここで僕に解除キーを教えたら、それは家族を裏切ったことになる。そんなこと、水島さんはしないよ。絶対に」
 征二が、もう触れることが叶わぬその指で、写真立ての縁をつ、となぞる。慈しむようなその顔に、水島は緊張の糸を緩めるように、小さく息を吐いた。
 罪滅ぼしがしたかった——確かにそうかもしれない。これは日向との約束だった。家族の死を、その悲劇を繰り返さないための、未来に向けた働きのつもりだった。だが本当は、ただ、謝りたかったのだ。守れなくて済まないと、救えなくて悪かったと。メンタルフォーサーではないが故に、何も出来なかった自分を赦してくれと。
「そうだな……そうかもしれない。自分でも気付かなかったが」
「僕はずっと水島さんを見てきたから。僕の世界には、水島さんしか、いなかったからね。水島さんが家族をとても大事にしているのは知っていたし、だから——水島さんが僕に、酷いことを沢山言ったのは、とても辛かった」
 ずきりと、胸が痛む。何を今更、良心の呵責でも感じているのか? そんなものはとうに捨てた。たとえこれが人類のためだとしても、悪と呼ばれる覚悟はある。たとえ誰を裏切り利用してでも構わない。これだけはやり通す。その決意は今も変わらないはずだ。
「でも、ねえ、水島さん。前、僕が言ったこと、覚えてる? 水島さんは仕事の時、自分のことを『私』って呼ぶって」
 ああ、覚えている。忘れるはずがない。まだα区のアパートにいて、征二と暮らしていた頃の話だ。征二としていた、家族ごっこの——。
「あれはね、少し違うんだ。水島さんは、自分に嘘をついてるとき……無理をしているときに、自分を『私』って呼ぶんだ。だから——分かるよ。僕には分かる。水島さんが僕を裏切り傷付けながら、そのことで自分自身が一番傷付いていたこと」
 水島は、頭の中が真っ白になった。征二、こいつは一体、何を——。
「水島さんが僕にくれた名前。『二番目の征士』。水島さんにとっての僕は、二番目の和真で、二番目の征士君だったんだ。水島さん——僕は、水島さんに言いたいことがあってここに来た。僕はずっと、水島さんと本当の家族になりたかった。色々……本当に色々あったけど、今なら言える。胸を張って言える。水島さん、あなたは僕にとって——」
 頼るでもなく、縋るでもなく。対等な存在として。
 ——ああ。
 水島は、眩しい物を見るかのように目を細める。
 ——お前は、本当に——。

「大切な、何より大切な家族だよ……父さん」

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