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BLACK=OUT 2nd

第九章第五話:セカンドライフ

 轟音と塵芥の中で、日向はマークスを送り出した。自分の中で、連綿と続く呪いのようだった封神の力は、今ようやく、大切な人たちを守るために役立ったようだ。
 そっと目を閉じる。瞼の裏に浮かぶのは、涙に濡れた少女の顔。もう二度と会うことは出来なくても、たとえこれから死ぬ運命の自分でも——彼女を救えたのなら、生きた意味はあったのだと思う。
「さて、と」
 振り払うように、わざと大きな声を出すと、日向は踵を返し、屋上ホールの中央に倒れる人影に歩み寄った。
「これで本当に終わりだ。俺も——あんたも」
 しゃがみ、語り掛ける。人影は、息があるようには見えなかった。ぐったりと力なく横たわる肢体にはいくつもの裂傷があり、そこから流れ出した血液が床に滲み広がっている。身に纏う衣服が、元は白衣であったことに、誰が気付けるだろうか。
 だが、男は応えた。
「すま……ない……か、ず……ま……」
 一見、絶命しているその男は、弱々しくも、しかし確かに応える。
「全くだ。もう、今更だけどな」
 十年以上の時を経ての、親子の会話。日向を特殊心理学の実験体として扱い、世界初の人工メンタルフォーサーとして作り上げた父、日向伸宏。彼もまた、BLACK=OUTという人格に主人格を奪われ、己の暴挙をただ眺めるしかなかった、一人の犠牲者に過ぎなかった。
「俺も、あんたも死んで、それで終わりだ。向こうでお袋に会ったらちゃんと謝れよ」
 日向は不思議と落ち着いていた。覚悟はここへ来る前に、とうに済んでいる。だが、それだけだろうか。いや、本当にそうなのだろうか。
 床に倒れる伸宏に背を向けて、日向がどっかと座り込む。深く吐いた息が弱々しい。ここへ来るまでに、十年以上悩み、苦しみ、憎んだその果ての終着点。回顧も感慨も、今は何もかもが煩わしい。日向は、疲弊していた。
「和真、お前は、生きろ」
 なのに。
「どうやってだよ」
 苦笑混じりに尋ねる。日向はBLACK=OUTを失った。BLACK=OUTが受容していた「忘れたい記憶」、ブラックアウトは確実に日向の人格を蝕み、新たな人格を生み出し続け、やがて死をもたらすだろう。それを回避する手段はない。
「今更、父親面などできない、が、……せめて、生きていて、欲しいのだ」
「我儘な親父だな」
 唸り声のような音を立てて、一際大きくビルが揺れた。いよいよこのビルも持たなくなってきているのかもしれない。
「封神の力……幸子が、お前の母さんが遺した力。封じた対象は、術者の意識階層下に格納されると、分かった」
「なるほどな、つまりあんたは、俺にBLACK=OUTになれと、こう言いたいわけだ」
 主人格がいる表層と違い、BLACK=OUTはもっと深い意識階層に存在している。封神の力による封印が意識階層の下層に封じ込めることなら、自身の人格の封印は、自身をBLACK=OUTにすることと等しい。そうなれば、いずれ生まれるもう一人の人格に破壊的な影響を与えず、肉体的な死は免れるかもしれない。
「すまない……お前には、辛い思いばかりを……」
 生きること。それは、もう諦めたこと。だけど、このまま終わってもいいのか。生きることを望まれ、そして望み、そこに可能性があるのなら。
「クソ親父。いちいちあんたに振り回されるこっちの身にもなれってんだ」
 頭上に影が差した。破壊的な音を立てて崩れた天井の一部が日向たちに降り注ぐ。直撃すれば圧死不可避の崩落は、しかしその直前に掻き消えた。彼と伸宏を覆う半球形のドーム状の膜は、彼が母から受け継いだ力。
「……これで最後だ。もう二度とあんたの我儘に付き合わない。それでもいいってんなら、これが最後ってんなら、付き合ってやる」
 ああ、と伸宏の喉が鳴る。
「それで、構わない。——生きろ、和真」
 床に入った亀裂が、耳障りな音と共に四方へ伸びる。時間はもう、あまりない。残された僅かな時間で、自身の人格の封印と、肉体的な死を逃れるための施術を済ませなければ。
 ——出来るさ、俺なら。
 口の端が持ち上がる。俺は日向和真だ。世界初の人工メンタルフォーサー、そして一子相伝、世界唯一の、「神をも封じる力」封神の力を持つ男。
 生きよう。その先は不透明で、待ち受ける結末は見えなくても。無様に、みっともなく、地を這い泥水を啜り生きてやろう。
「じゃあな、……親父」
 返事はなかった。
 さあ、ここからは俺の戦いだ。せいぜいあの世で見ていればいい。託された以上、あんたが目を見張るほど生きてやる。

「と、まあ、こういうワケで、俺のセカンドライフは始まったわけだ」
 そう締め括った日向に、すぐに言葉をかける者はいなかった。自身をBLACK=OUTにすることは、もう二度と、自分の意志で行動出来ないということに等しい。
 マークスは、目の前にいながら、しかしそこにいるのは征二であり、日向に触れることの出来ない現実に苦しんだ。しかし日向にしても、マークスを目の前にしながら、声をかけることも、抱き締めることも出来なかったのだ。それはどれだけ辛かっただろう。マークスはまだ、自分の意志で、この現状を打破しようと動くことが出来た。だが日向は、それすら許されなかったのだ。ただ眺めているしかなかった日向を思うと、マークスの胸は締め付けられるように痛む。
「……状況は、分かった。和真、よく生き延びてくれた。友として、お前を誇りに思う」
「はは、止せよ。皮肉の一つも出てこねぇとか、お前も随分丸くなったな」
 宮葉小路に友と呼ばれ、日向は照れ臭そうに頬を掻いた。
「僕だって時と場所を選ぶくらいには弁えているんだよ。誰かさんとは違ってな」
「言ってくれるぜお坊ちゃんが。んなもん糞食らえだ」
 二年ぶりの言い合いに、しかし二人の顔には笑みが浮かんでいる。呼吸が分かる間柄は心地が良い。
「しかし、自分の人格を封印したのに、どうしてまた出て来られたんだ? 封神の力が『封じ』の術式と『呼び』の術式を使えるということは知っているが、封印の内側からだと術は使えないだろう?」
 宮葉小路の疑問はもっともだ。もしも封印の内側から自身の封印を解除出来るなら、日向の無意識は封印を解いてしまい、全てが無意味になってしまうだろう。
「決まってんじゃん利くん。愛の力よ。マークスちゃんの、最愛の人のピンチに、封印されてた和真の人格が目覚めたんだわ」
「か、神林さん、何言ってるんですかっ」
「命、お前は漫画の読みすぎだ。そんなご都合主義が通るほど、和真の封神の力は甘くないと思うぞ」
 一体何を言い出すのやら、と呆れる宮葉小路に、しかし日向はあっさりと言ってのける。
「命にしては珍しいな。正解だ」
 はあ? という全員の声が重なった。

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