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BLACK=OUT 2nd

第十章第六話:二番である痛み

 フォーからの報告を聞いても、水島は特に動揺したようにも、怒ったようにも見えなかった。もっともフォーは水島が怒ったところなど見たことがない。フォーが何かヘマをした時でも、淡々とペナルティを与えるだけで、感情的にはならなかった。決して容赦はしてくれないが、そういう意味では公正な水島を、フォーは気に入っている。
「なるほど、で、どうして君は一人で任務に就いた?」
「手柄立てようと思いまして」
 事前に考えていた通りに答える。本当はライカを説得し、反逆をなかったことにしたかったためだが、水島はそれを許さないだろう。淡々と、ライカに罰を与えたに違いない。
「フォー、言っておくが、一人で裏切り者を始末しても、私は評価を上げないよ。これからはそんな些細なことなど気にせず、任務に励んでくれ。以上だ、下がっていい」
「は? いや、しかし……」
 てっきり命令違反で何らかの沙汰があるだろうと覚悟していたフォーは、予想外の対応に拍子が抜けた。いや、罰などないに越したことはないのだが、その反動が後から来そうで怖い。
 水島は、そんなフォーの困惑を見透かしたように笑い、机の上で両手を組んだ。
「ライカを失ったのは痛手だが、征二はもう我々に必要ない。あの二人が死のうが、生き延びようが、私たちの勝利はほぼ確定している」
 君を罰する理由はない、と水島は言う。ライカの喪失も、水島は全く気にしていないようで——フォーは自分の胸中とのあまりの落差に、それ以上何も言うことは出来なかった。

「連隊長、フォーはライカを救いたかったのだと思いますが」
 フォーが退室すると、物陰からすっとセブンが現れた。
「そうだろうな。らしいと言えばらしい。彼は身内を罰するのには向いていないよ」
 事もなげに言う水島はどこか満足そうで、セブンは己の中の疑念が膨らんでいくのを感じた。
「こうなることを承知の上でフォーに命令を? 連隊長、あなたは——青を、どうしようとしているのです?」
 何が起こったのか、セブンはよく知らない。しかし、征二が一人で動ける状態ではなかったことくらいは知っている。ライカを失うこと、それは征二を失うことと同義だ。水島の言い分では、意図して二人を放出したように聞こえる。ノースヘルの外に出したかったのはライカか——それとも。
「セブン、私は、征二をどうこうしようなどと考えていないよ。私のやるべきことは、もう終わったんだ。全ては計画通りに進み、征二は私に封神の力を使った。私はその矛先を、少しずらしただけだ。もう誰も、この結果を動かすことは出来ない。……この、偽りの世界は、あるべき正しい形に変革されるだろう」
 水島の語る未来に一切の迷いはなく、セブンは、自分の疑念が杞憂ではないかとすら思える。だが、違うのだ。水島の言っていることはきっと本当で——そして、何かを隠している。
「それで……」
 水島の本当の狙いは何なのか、彼は、あるいはノースヘルは、何をしようとしているのか。それを見極める必要がある。
「連隊長、どうして私をここへ?」
「B.O.P.だ。恐らく彼らは、ここへ来るだろう。仮に我々を全滅させたとしても、もう手遅れだが、彼らには他に出来ることはないからね。当然その時は迎え撃たねばならないが……状況によっては、フォーは戦えないかも知れない」
 セブンの顔が引き締まる。まさかとは思うが、あり得ないとは言い切れない。
「……ライカが?」
「可能性は高いと、私は踏んでいるよ。隊の指揮権は繰り下がりでフォーにあるが、その時は君が臨時に指揮を執りたまえ」
 その表情からは、考えが読み取れない。何か企んでいるのかも知れないし、単なるフォローにも思える。一度疑い出すと、全部が怪しく見える典型だ。しかしだからと言って何が出来るだろうか。自分はひとつの歯車に過ぎない。命令が下される限り、回り続けるしかないのだ。
「……拝命、致します」
 セブンは恭しく、自らの主に頭を垂れる。たとえその懐中に何を隠していたとしても、命令には従うのが部品としての矜恃だ。

 その夜、珍しく近衛がセブンの部屋を訪ねてきた。ドアを開けてすぐ、彼女が不機嫌であることを察したセブンは、嫌な予感に内心でため息をつきつつ、日本人形のような少女を招き入れる。
「こういう時、客人には茶の一つも出すものだということは知っている。しかし生憎だが、その準備がこちらにはない。無礼を許せ」
 変な厭味を言われるのも面白くない。セブンの予防線は、しかし馬鹿にしたような、あるいは呆れたような近衛の横目で無意味になった。
「そんなもの、最初から期待しておらん。お主にそんな愛想があってたまるか。大方、なぜ妾がここへ来たのかも察しがついておらんのじゃろう?」
 セブンは、ああ、と肯きながら、近衛の前にミネラルウォーターの注がれたコップを置いた。近衛はそれを、お冷やか、と突っ込みながら一息に飲み干す。あの近衛が緊張しているのは珍しいことだ。
「で、どうした。お前の言うとおり、俺は察しが悪い。言いたいことがあるならはっきり言ってくれ」
 近衛は手にしたコップをテーブルに置き、ふうっと深く息をすると——大きな黒い目を、真っ直ぐにセブンへ向けた。
「セブン、お主は何があっても妾を守れると約束出来るか?」
 近衛の表情は真剣そのものだが、セブンは一体何の冗談かと思った。近衛はテクニカルユーザーだが積極的に前に出て行くスタイルで、前衛を必要とするタイプではない。事実、今までそのような役割を求められたこともなかった。
「分かっておる。お主の言いたいことは、分かるつもりじゃ。じゃが……」
 近衛は言い淀み——そして目を伏せた。
「ライカは、青を連れてここを出奔したのじゃろ?」
 そういうことか、とセブンは納得した。ライカが自分たちを裏切った以上、どんな形であれ次に再会する時は敵である。そして自分たちは——誰よりもライカの強さを理解しているのだ。
「……不安か?」
「ないと言えば嘘になるの。ライカだけではない、黒も……あれと対峙して次は生き残れるか、自信はない。正直なところ、震えが止まらん」
 近衛は自嘲気味に笑い、自分の身体をぎゅっと抱きしめる。
 黒——ノースヘルがそのコードネームで呼ぶ日向和真は、ライブラリに残っていた資料から読み取れる以上の脅威だった。相手が手加減していたから助かったものの、こちらの攻撃は当たらず、接近すら感知できずに背後を取ってくるなど、出鱈目もいいところだ。そして何より、対抗策が一切ない。BOB発動時のマークスも同じだが、こちらはまだ、物量作戦で押し切れる目があるし、何より時間制限付きであることが露呈している。日向の強さは最早、人であるかすら怪しい。
「絶対に守ってやるとか、そんな約束は出来ない。だが……」
 だが、近衛の動揺は、その根本が違うはずだ。それは今まで、少なくともこの隊が経験したことのない事態で、そしてセブンも、恐らくフォーも同様の動揺。
「俺は、絶対にお前を裏切らない。それだけは確かだ」
 仲間が死んだ経験は少なくない。出るときは、いつも死ぬかも知れないと思っているし、共に戦う友をいつ喪うか知れないとも思っている。それはもう、仕方のないことで——それが誰であれ、その死は回避出来ないだろうと、そう考える。
 しかしライカはいなくなった。死ではなく、裏切りによる別れは、およそノースヘルの誰も経験していないだろう。裏切るかも、裏切られるかもという発想自体が今まではなかった。でもこれからはどうだろう。あのライカが自分たちを裏切って、そして自分や、他の誰かがそうならないと、どうして思えるだろうか。
 もちろんそんなつもりはないし、それは近衛も同じだろう。だが常にその選択肢が隣にあることを、自分たちは知ってしまった。可能性の一つとして、端切れがちらちら覗くのだ。蓋をして目を逸らしても——もう、その下に何を隠したかは知れている。
 裏切りたくないものがある。それを守るために、もう一つの大切なものを裏切らなければならないとしたら……その時選ぶものは。
 ——ああ、そうか。

 だから、ライカは——。

「じゃが、じゃがライカは裏切ったではないか! ライカが裏切って、そしてお主が……妾が絶対に裏切らないと、どうして言えるのじゃ。お主はライカが、初めから妾たちを裏切るつもりだったなどと抜かすつもりではあるまいな」
 近衛が聞き分けのない子供のように駄々をこねる。本当は否定してほしい、「そうじゃない」という言葉が欲しいのだ。ライカは裏切ったが、セブンは絶対に裏切らないという確証が、自分たちとライカは違うのだという確証が欲しいのだ。
「ライカも……多分、俺たちのことは大切だったと思う。裏切ろうなどと考えたことはなかったはずだ」
「ならなぜ——!」
 近衛が眦に涙を浮かべながらセブンを睨み付ける。セブンは最後まで言わせず、遮った。
「だが、あいつにとっての一番は、青だったんだ。青を守るために俺たちを捨てるしかなかった。俺たちが大切じゃなかったわけじゃない。俺たちが……二番目だっただけだ」
「二番目……か。そうじゃな、そうかもしれん。なあ、セブン……妾は、妾たちは——ライカの一番に、なれなかったのじゃな」
 一番になれない痛み。二番である痛み。それを言うのは無理だとしても、考えざるを得ない。——自分たちを、選んで欲しかった。
「ライカは青を選んだ。それだけだ。責めてやるな」
「分かっておる! ……それでも、選ばれないというのは、辛いものじゃな」
 じゃが、と近衛は顔を上げた。
「お主が選んでくれるなら、まあ、悪くない」
 不思議なものだ。まだセブンは、近衛に対して苦手意識があるのに。この小さな肩を放っておくなど出来ないと、そう思うのだ。
 セブンが空になったコップに水を注ごうと立ち上がった時、ちょうど同時に室内にコール音が鳴り響いた。固定端末まで行かずインカムで受けると、相手はフォーである。
『おい、やべーぞ、やべーって! やべーことになってる!』
「全く分からない。具体的に話せ」
 セブンは呆れ、ため息交じりに応えながら、室内備え付けのキッチンに歩いていく。どうにもフォーは自分の感情を優先しすぎるきらいがある。
『さっき聞いたんだ。あちこちでサイコロジカルハザードが起きてるって!』
 セブンの足が止まる。
「……どういうことだ」
『わっかんねぇよ! この周辺だけでも三ヶ所、支社からも報告が上がってるらしいから、全国規模なら両手じゃ足んねぇ。どの隊も浮き足立っちまって、事態の修正に動いてる。こんなとこでサイコロジカルハザードなんて起きたら、計画が滅茶苦茶だぜ!』
 これだけの広範囲で、しかも同時多発的に起こるのは、人為的なもの以外にあり得ない。しかし誰が? B.O.P.はまず違うが、他に特殊心理学分野に強い勢力などないだろう。
 ——で、あれば。
「水島連隊長は?」
『ああ、それだよそれ。他の部隊はみんな動いてんのに、俺らは動かなくていいって。多分連隊長指揮下の隊は全部そうだぜ』
 フォーの情報で確信する。このサイコロジカルハザードを引き起こしたのは、水島だ。

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