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BLACK=OUT 2nd

第二話:明るく楽しく元気よく

「前衛!」
 宮葉小路の号令に従い、神林とライカの二人が前に出る。彼らは左右をノースヘルに囲まれている。神林がセブン、ライカが近衛と相対する格好だ。次いで中核に征二と宮葉小路。マークスは五人の中心で、サポートに徹する。
「元チームメイト相手で日和るなよ。お前にもちゃんと働いてもらうからな」
「言われなくても、ちゃんとやるわ」
「結構だ。マークス、くれぐれもBOBは使うなよ。封神の力の影響は僕たちにも及んでいる。BOBなんて使ったら、それがきっかけで主人格が封印されかねない」
「分かりました。——水島さん、体調は?」
「何とか平気。でも、シールドは使えそうにない」
「私が援護します。ライカさんは水島さんのガードを第一に」
「言われなくても」
「んじゃあやろっか! 突破するぞー!」
 心刀を水平に構え、神林が突撃する。風のように速く、針のように鋭い一撃は、しかし岩のように重い一撃だ。突進する水牛を思わせる神林を止められる者は、そう多くない。
 セブンは動じるでもなく、構えるでもなく、棒立ちのまま、迫る神林をただ見ている。それはあまりにも自然体で、かえって何かあるのではと、攻めの手を緩ませるような振る舞いだ。
 しかし神林にそんな駆け引きなどない。罠があるなら全力で踏み抜け。小細工なんて土台から吹き飛ばせ。一切の躊躇なく踏み込み、心刀をフルスイングする。
「貫け」
 セブンは避けるでもなく、受けるでもなく、そう呟いた。セブンの前、神林との間に、見る間に巨大な氷牙が現れ、射出される。神林は上体を右へ逃がしながら、振った心刀の軌道を変えることで、無理矢理身体の位置をずらした。氷牙が脇腹を削る。
「っつう!」
 激痛に顔を歪め、神林が数歩、後退る。あの呟きは詠唱だ。ノースヘル式の、僅かな一言で強大なテクニカルを放つ規格である。
「やるじゃん、この距離でテクニカルなんて」
「お前はテクニカルを使えない。青から聞いている」
 神林は笑って見せたが、その顔に余裕はなく、冷や汗が滴る。体調も万全とは言い難い。先制攻撃でペースを奪いたかったが、逆に——持っていかれた。
 白い巫女服の左脇が朱に染まる。流れる血液は体力を奪い、失われる体力は精神力を削り取る。心の強さを力にするメンタルフォーサーにとって、それは致命的だ。弱気は己の牙を折る。
「これでもう、お前は動けない」
 視界からセブンが掻き消える。振り向きながら、半ば本能で構えた心刀が、回り込んでいたセブンの攻撃を辛うじて受け止めた。
 ぞくり、背筋が冷える。
 セブンの攻撃には、神林のそれほどの重さはない。だが視認すら困難なその速さと、何より気持ちで押し負けて、神林の身体がぐらりと揺れる。
 ——怖い。
 明るく、楽しく、元気よく。それが神林の信条だ。たとえどんな困難に立ち塞がられても、そうやって己を鼓舞して乗り切ってきた。これまでは、それで良かった。
 だが、心に染み付いた恐怖は、そう簡単に消えない。昨日、ゲル状のマインドブレイカーに囚われ、神林は死ぬかも知れないと覚悟した。宮葉小路に助けられ、強がってみせても、心の底ではずっと震えていた。その恐ろしさが、否応なしに呼び覚まされる。
 ——あたしは、強くないから。だから強がるんだ。強く在れるように、弱さが誰かの枷にならないように。もう、誰も、失いたくないから。
 なのに。
 願えば願うほど、恐怖は膨れあがっていく。それは神林を飲み込み絡め取り、手足を重く、動けなくしてしまう。腹の底が冷え、口から悲鳴が迸りそうになるのを必死で堪える。明るく楽しく元気よく。こんなんじゃダメだ。あかるくたのしく、げんきよく——!
「式!」
 間に、大きな鳥が割り込んだ。飛び退き、距離を開けるセブン。痛みと、そして何より恐怖で膝をついた神林の周りで、大きな鳥はセブンを威嚇するように回る。
「と、利くん……」
「立てるか、命」
 頷いて立ち上がろうとしたが、駄目だった。どうしようもないほど、足が震えている。力が入らないことに気が付いてしまえば、あとは恐怖が瞬く間に全身に広がり、合わない歯の根が耳障りに響く。
「無理をするな、まだ本調子じゃないんだ」
「違う、そうじゃない、そんなんじゃダメなの」
 笑え、笑え、笑え!
 いつもそうやって乗り切ってきた。いつもそうやって戦ってきた。いつもそうやって——勝ってきた。笑顔はいつだって力をくれる。立ち上がる力を、前に進む力を、乗り越える力を。
 だけど、なのに、どうしてあたしは笑えない? 笑えなきゃ、あたしは——勝てっこないのに。
「言っただろう、無理しなくていい。無理に……笑おうとしなくていい」
 目の前に氷の壁が出現する。宮葉小路のテクニカルだ。マインドブレイカー相手なら数分はもつが、セブンほどの手練れを相手に、どれほどもつだろう。
「怒りも悲しみも恐れも、全ての思いが僕らの力になる。泣いてもいい、叫んでもいい。我慢しなくていい。大丈夫だ、僕がここで支える。命が存分に、その力を振るえるように」
 宮葉小路の言葉は、一言一言が言い含めるようで、神林は——。
 神林は——大事なことを見落としていたことに気付いた。いや、気付かされた。
 大事な人を守りたい、その思いは変わらない。だけど、その人もまた、同じように思っていることは、分かっているつもりで、きっと何も分かっていなかった。
 明るく楽しく元気よく。それは自分のあり方。自分に力をくれる魔法の詞。でもそれだけじゃないはずだった。
 明るく楽しく元気よく。それは自分の大事な人に、そうあって欲しいと願う思い。誰かに力を与える魔法の詞。

 間違えるな。

 ——私が、戦う理由を。

 宮葉小路が作ってくれた氷の壁に亀裂が走る。もうすぐセブンがこれを割って、私をその刃で貫こうとするだろう。
 怖くないわけない。怖くて仕方がない。だけど私は前衛だ。私がここでへたり込んでいて、一体誰が宮葉小路を——愛する者を守るのだ。怖いなら戦え。この恐れを力に変えて戦え。私にはそれが出来るはずだ。
 ゆらりと神林が立ち上がる。だらんと垂れた心刀が、小刻みに震えていた。唇を噛みしめ、神林がきっと前を向いた刹那、目の前が真っ白に爆散する。砕けた氷の壁、その細かな粒子の霧を裂くように、セブンの一閃が襲い掛かる。
「ああああぁッ!」
 それに応えたのは、今まで誰も——恐らくは日向ですら聞いたことのない、神林の悲鳴だった。肺から全ての空気を吐き出したような大音響が、ビリビリとエントランスの空気を響かせ揺らす。恐怖に駆られるまま、恐怖に逆らわず、神林は拒絶の一撃を横薙ぎに払う。それはセブンの認識を塗り替えるのに十分な速度をもって、彼に「辛うじての回避」を強いた。そしてすぐさま刃を返し、セブンに二の太刀を浴びせる。セブンは後退を余儀なくされた。
「随分と、また……さて、何があった?」
 神林から立ち上る気配は、今までのそれとは大きく異なっている。触れた者を蝕む瘴気。——感情は、伝染する。あれに触れてはならないと、セブンは本能で理解した。
 一歩、神林が踏み込む。恐怖の根源、己に死を与える者、それを恐怖に駆られ排除するために。一歩の踏み込みが冗談のように一瞬で彼我の間合いを消し去り、視界にはセブンの姿が大写しになる。
 そして神林は、心刀を振るった。

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