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第四章第七話:巨躯の暴風

 ビルのどの部屋にもマインドブレイカーの気配はなかった。残る場所は屋上のみである。征二たちは階段を登り切り、今最後の鉄扉の前に立っていた。重厚なそれは明らかに室内の他のドアと異なり、ここだけは宮葉小路の式神が突破出来なかったのだ。
「いるとしたら、ここだけだね」
 神林がゆっくりとドアを押し開ける。他の部屋と同様、施錠されていないドアが軋みながら開き、雨粒が僅かに廊下へと吹き込んだ。
 未だ止まぬ雨の中へ、神林が一歩を踏み出す。
「どうだ」
「いないね」
 征二が宮葉小路の肩越しに屋上を覗き込むと、神林の言う通り、そこには何もいなかった。肩ほどの高さの柵に囲まれた屋上には、朽ちかけたベンチがひとつ置かれているだけで、遮る屋根のないこの場所で、全てが例外なく雨に打たれている。
「……だが、他に可能性のある場所はない。念のため少し調べてみよう」
 先に雨の中へ出て行った神林を追うように、宮葉小路が屋上に出る。征二もそれに続き、雨が征二の肩を濡らした。
 ――雨、止まないかな。
 征二が何の気なしに空を仰ぐ。

 視界を、影が覆った。

「宮葉小路さん!」
 征二が叫ぶ。同時に激しい衝撃が二人を襲い、巨大な影が弾かれた。紙一重、征二のシールドは間に合ったのだ。
「戻れ、命!」
 不意打ちを凌いだ後の宮葉小路の反応は速い。神林も慣れたもので、瞬く間に隊列が再構築された。
 シールドに弾かれた巨大な影が体を起こす。全高三メートルはあろうかという、見上げるほどの体躯を持ったマインドブレイカーだ。四肢を持つ、霊長類に近いシルエットを持ったそれが、征二たちを威嚇するように大きく吼える。低く大きく響く咆哮に、雨粒さえも弾き飛ばされていくような錯覚に、征二は陥った。威容の敵に、完全に圧倒されてしまっている。
「おっきいねえ。これほどの大物は久しぶりかな?」
 だが、神林はヒュウと口笛を吹くほどの余裕だ。いや、神林だけでない。マークスも宮葉小路もこれほどの異形を前に、慢心こそしていないものの、征二のように呑まれたりしていなかった。あくまで冷静に、敵の戦力を量っている。
「助かったよ、水島君。やはり君のシールド能力は頼りになるな」
 宮葉小路が、振り返った横顔で笑う。
「前に出てもらう。命の後ろに付けてくれ。牽制はマークスに任せて、君は後衛の防御を最優先に頼む」
 征二は頷き、言われた通りに前進した。役目は後衛であるマークスと宮葉小路の盾である。
 神林がマインドブレイカーとの距離を詰めた。右手に握った心刀を大上段に構え、両手で一気に振り下ろす。
 マインドブレイカーは避けなかった。太い左腕で無造作にこれを払う。斬られた腕には傷が付いたが、頓着する様子はない。一方の神林は渾身の斬撃を易々と弾かれ、大きく体勢を崩した。そこへ振り下ろされる、マインドブレイカーの拳。
「神林さん!」
 マークスが叫び、両手の銃でマインドブレイカーの眉間と腕を薙ぐように撃つ。僅かに怯んだことで生まれた空白と狂った狙いによって、辛うじて神林はマインドブレイカーの腕から逃れた。地面を転がり、素早く身体を起こす。すぐに追撃が来るはずだ。
 マインドブレイカーの左側面に逃れた神林に対し、巨躯の異形は左腕を払うことで二度目の攻撃を行った。飛び退がり距離を取る神林。ノータイムで振り下ろされる、連係の右拳。屋上に轟音が響く。
「命が分断された……」
 宮葉小路が歯噛みした。よもや狙ってのことではあるまいが、マインドブレイカーは左右の腕を振るだけで神林を後衛から分断、孤立させてしまったのだ。征二の位置からではマインドブレイカーの巨体に阻まれ、神林の姿すら確認出来ない。
「前衛不足が裏目に出たか。あいつがいればこうは……」
 あいつ。宮葉小路は、そう口走った。
 マインドブレイカーは攻撃を続けている。神林の状態は分からない。今凌げていたとして、いつまでももつとも思えない。マークスは必死に敵の気を引こうと銃を撃ち続けているが、一向にこちらを向く様子はない。神林の状況が分からない以上、巻き込む危険性が高いテクニカルも使えない。
 ――八方塞がりだ。
 宮葉小路の言う「あいつ」は、多分日向のことだろう。結局――征二はまだ、日向の代替品でしかないのだ。彼らの、中では。
 マインドブレイカーの、暴風のような攻撃は更に激しさを増している。一刻の猶予もない。
 ――なら、僕が……!
「うあああっ!」
 征二は叫び、腕を振り回し続けるマインドブレイカーへ向けて突進した。
「水島さん!?」
「戻れ、危険過ぎる!」
 後ろから制止する二人の声が聞こえる。構うものか、今こいつを止められるのは僕だけだ。
 走りながら、右手に武器をイメージする。テクニカルとは違う、自分の感情をそのまま固める感覚。テクニカルユーザーが、詠唱出来ない状況下で使うための武装。
「させるかあっ!」
 顕現したのは薄い円盤。制空圏を離れても短時間なら消失することがないよう、簡易の術式を編み込んだ征二専用の戦闘装備、「ソーサー」。直径三十センチほどのそれを、今まさに振り下ろされんとする拳に、力一杯投げつける。弧を描いて飛翔するそれはマインドブレイカーの拳に命中し、消失した。一瞬敵の動きが止まる。だがそれも僅かな時間だ。その隙間に、ねじ込めるか。
 ――間に合え……!
 ごうと風を切り、拳が振り下ろされる。空気が震える。視界の端に映った神林は地面に倒れていた。回避は間に合わない。当たれば終わる。
 鈍い、音がした。

「下がって、神林さん!」
 間に合った。
 伸ばした腕の先、いっぱいまで伸ばした指先から展開したシールドが、ぎりぎりでマインドブレイカーの攻撃を防いでいた。
 二度も征二に邪魔されたマインドブレイカーは拳を引き、征二に向き直る。どうやら狙いを変えたようだ。
「宮葉小路さん、僕がマインドブレイカーを抑えます! 今のうちにテクニカルの詠唱を!」
 そうだ、僕なら止められる。シールド能力は僕だけの力だ。日向和真にも使えない、僕だけの。
 今、こいつを止められるのは、僕だけだ。
「……分かった。すまない、水島君、詠唱が終わるまで耐えてくれ。命、タイミングを見て水島君に合図を頼む」
 宮葉小路が詠唱を始めた。と同時に、マインドブレイカーも動き出す。
「征やん!」
 神林の叫びが掻き消えるほどの轟音とともに、マインドブレイカーの腕が薙ぎ払われた。

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