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BLACK=OUT 2nd

第九章第四話:戦友の帰還

 何の気配もなかった。近付こうという素振りすら見せないまま、日向は雅の背後を取った。
「言った通り、一瞬だ。分かんなかったか? そうだろうな。俺は一歩も動いてない」
 かっと雅の頬に朱が差す。侮辱された怒り。雅は振り向きざまに扇を振るう。巻き起こる旋風。だが、立ち上る砂埃の中に日向の姿はなかった。
「ついでに言うと、お前の攻撃なんざ当たらねぇ。全方位テクニカルだろうが死ぬまで追尾してくる式神だろうが同じだ。つまり、お前らに勝ち目はない」
「ど、どういうことじゃ、なぜお主がそこにいる!」
 日向は、最初に立っていた場所——マークスの前に戻っていた。扇を振るう一瞬で戻ったのか? だが全方位への攻撃で、かつ雅を回り込みながらの離脱だ。あのタイミングで間に合ったとも思えない。厳密には、まだ日向のカタールが見えたままの状態でテクニカルを発動している。
 いや、見たのはカタールだけだ。日向自身を目視したわけではない。何か、幻影のような類を仕込まれたか?
 雅はライカを見るが、彼女は黙って首を横に振った。雅は知る。確かに日向はあの瞬間後ろにいて、振り返る前に消えたのだ。
 ならば——。
 屈辱に奥歯を噛みしめる。ならば、自分は敵を視認すら出来なかったということか——!
「勧告だ」
 歴然とした力の差——いや、もっと根本的な、次元の差を見せ付けて、日向は高らかに言い放つ。
「今回は見逃してやる。さっさと帰れ」
 だが、そう言われて引き下がれるだろうか。ライカは征二を案じている。雅にしてもこのまま逃げ帰るなど、屈辱の極みだろう。
「おい、どうすんだよライカ。やべぇってあいつ。どうにもなんねぇぞあんなの」
「情報が少なすぎる。一度戻って態勢を立て直すべきだ」
「だ、だけど征二が……」
 ライカも頭では分かっている。この状況で下手に動けば全滅しかねない。安全な退却が約束されているなら迷う必要はない。征二のことにしても、改めて作戦を立てて挑むべきだ。
 ライカは冷静ではなかった。混乱しているし、何より——征二に拒絶されたような気がして、それが怖かった。違うのだと、本当の征二はそうじゃなくて、ライカに刃を向けたのは日向という別人だと、それを確かめたかった。
「ライカ=マリンフレア」
 日向に名を呼ばれ、少女の身体がびくりと強張った。
「今は引いてくれ。征二は必ずお前に返してやる」
 征二と同じ顔で頼まれて、断れるだろうか。ライカにはもう、決断するという選択肢しか残されていなかった。
「……撤退、するわ」
 ライカが、絞り出すように呻いた。
「ライカ、このままやられっぱなしと言うつもりはあるまいな? 妾は——」
「退きます!」
 ライカの顔は苦渋に満ちていた。強いライカの調子に、それ以上は何も言えず、雅は口を噤む。
 日向が満足そうに頷く。ああ、この圧倒的な強さ。これこそが日向で、マークスが探し続けていた人そのものだ。
 フォーが下がり、雅が消え、セブンが引く。最後に残ったライカが心残りを確かめるように振り返った時、日向がそれを呼び止めた。
 足を止めるライカ。次の瞬間、その姿は日向の目の前にあった。何が起こったのか分からぬまま、日向がそっと耳打ちする。その言葉を反芻する前に、もう一度視界は歪み、元いた場所に戻っていた。
 ——征二を返して欲しければ……。
 その申し出は予想外で、何かの罠ではないかと思う。しかし、仮にそうだとしても、もう従う他はなかった。

「さて」
 ライカの姿が見えなくなり、日向が振り返った。
「まあその、何だ、戻ってきた。つってもちょっとの間だけどな。あー……ま、そういうわけだ」
 バツが悪そうに頬を掻く日向。マークスの胸に熱い何かが込み上げる。
「和真さん……」
「おう」
 応えてくれた。応えてくれた。
「和真さん、和真、さん……!」
「マークス……」
 すっと、日向の手が差し伸べられる。本当に、この人は……
「今までどこほっつき歩いてたんですかぁ!」
 びくり、と日向が震えた。
「どれだけ私が心配したと思ってるんですか! 連絡くらいして下さい! 宮葉小路さんにも迷惑かけて! 神林さんだって、あれで心配してましたよ!」
「えっ、あ、いやそれは」
「聞きません!」
 恐ろしい剣幕でまくし立てる。初めて見せるマークスの様子に、宮葉小路は目を丸くし、神林は腹を抱えて笑い転げていた。
「だいたい、いつも和真さんは勝手なんです! 私の気も知らないで、ううん、どーせ! どーせ考えたことだってないのよ。いいもん、和真さんが勝手にするなら私も勝手にするもん!」
「え、ちょ、悪かった、悪かったって」
「知らないもん! 私怒ってるんだからね、もう怒った!」
「反省してる、してます、だから機嫌直せって。いや直して。頼むから」
 困った顔で手を合わせる日向の肩を、弾けるように笑いながら神林が叩く。尻に敷かれるタイプだったとはね、との弁に、日向は苦い顔で返すしかなかった。

 事前に連絡を入れておいたため、四宝院たちはすぐに彼を日向和真として迎え入れた。征二とはあまりに違う口調が面白かったのか、メイフェルが何度も征二と日向の口調を真似て喋り、その度に自分で笑い転げていた以外は概ねスムーズに日向の受け入れは終わった。
「ま、って言っても、俺が表に出ていられるのは明日の朝までくらいだけどな」
 作戦室には、事情を聞くためにMFTのメンバーと、オペレーターの二人が全員集まっている。正面の壇上、通常であればリーダーである宮葉小路が立つ場所だが、今そこに立っているのは日向だ。隣には、日向が何度席に戻るように言っても頑として聞かなかったマークスが、未だ陣取っている。
「和真、よく戻ってきてくれた。本当は復帰祝いでもしたいところだが、時間もないし、状況も状況だ。早速で悪いが、お前に何があったのか——お前が知る限りを、教えてくれ」
 壇上の日向が、作戦室の一同を見回す。皆の視線を一身に受け、日向は静かに口を開いた。
「そうだな、じゃあ最初から話そう。二年前、あの第三ビルの崩壊。俺はあそこで——死ぬつもりだった」
 作戦室が、しんと静まり返る。隣のマークスが、そっと目を伏せた。
「BLACK=OUTを失った俺は、もう先が見えてる。狂って、挙句死ぬところを、お前らに……マークスに、見せたくなかった」
 気を遣うように隣を見る日向の視線は穏やかだ。マークスは応えるように、日向の服の裾を摘まむ。
 日向は少しだけ笑い、そして続きを——二年前にあった出来事を、彼が今、どうなってしまったのかを、話し始めた。

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