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BLACK=OUT 2nd

第八章第二話:決断のライカ

 まだ、マークスが何かをしたわけではない。単独ということは、正式な任務ということでもないのだろう。私用ということすら、十分にあり得る。だというのに、征二は酷く嫌な予感に襲われた。α区には、あの場所には――水島と過ごした、大切な家がある。
「どうする? 征二」
 ライカの厳しい表情は、決断を征二に迫っていた。ただマークスが現れたというだけでは、出撃の理由にならない。ノースヘルとしても、今は無人のアパートがどうなろうと、影響はない。ライカにとっては、静観が当然の状況だ。それでも征二に決断を求めたのは――彼女が、征二を守ろうという意思表示に他ならない。
「……マークスは……彼女は何をするか分からない。家が心配だ」
「まだ分からないわ」
「僕一人でも見に行ってくるよ。これ以上、僕の大事なものを壊されてたまるか」
 ライカは頷くと、左のインカムを指で叩いた。
「セブン、雅ちゃん、すぐに準備。α区に出るわ。二分後にエントランス。戦闘になるかもしれないけど、敵は白よ。気を抜かないで」
 てきぱきと指示を出すライカに、征二は黙って頭を下げた。ライカが笑う。
「征二は仲間だもの。当然よ」
 私たちも急ぎましょう、とライカが走り出した。征二とフォーもそれに続く。
「ああ、そうそう、言い忘れてたけど」
 ライカが速度を緩めた。
「今度征二に変なこと吹き込んだら……覚悟してね」
 追い付き並走するフォーに、ライカが耳打ちする。フォーの足が止まった。

 斜陽が照らす町は赤く染まり、一日を終えようとしていた。大半が瓦礫と化したα区に、今も僅かに残る住宅はそのほとんどが低所得層の住居で、朽ちかけた建屋や所々剥げたペンキが、褪せた町並みを夕焼けに溶かしている。お金のある人は、とうにこの町を出た。今も、お金さえあればすぐにでもこの町を出たいと思っている人は少なくないだろう。サイコロジカルハザードの爪痕が残るこの町は、その記憶を持つほとんどの人にとっては忘れたい過去の象徴だし、公共の交通機関が入ってこないため、移動に不便だからだ。
 でも、それでも征二は、この町が気に入っていた。サイコロジカルハザードという悲劇の記憶は征二にはないし、怠惰に停滞しつつ退廃的な、だけど長閑なこの空気は、他の町にはないものだ。この町は、きっともう再開発されない。目まぐるしく建ち変わり様相を変える他の町と違って、いつも、いつでも、いつまでも同じ景色を見せてくれる。それは貴重なことだ。
 燃えるような赤、見慣れた景色の中に、古びたアパートを見上げる影がある。逆光に黒く塗り潰されたそれは面相こそ見えないが、夕陽を照らし橙に輝く髪には見覚えがあった。
「マークス!」
 駆け付けた征二がその名を呼ぶ。影が、ゆっくりとこちらを見た。
「帰りましょう、和真さん。みんな待ってます。今、私が、あなたを縛るものを壊すから」
 逆光の中で、爛と光る目だけが浮いている。赤の縁取りは燃え上がる怒りのようで、征二はその異様に固唾を飲んだ。
「壊すって……何を」
 問い返す声が掠れている。得体の知れない何かと対峙しているような気分だ。マークスの口の端が持ち上げられる。
「決まってるじゃありませんか。この家ですよ。これがなくなれば、あなたを規定するものもなくなる。全部元の通りに、和真さんは和真さんに戻る。戻ってくれる。こっちに、私たちに、私のところに!」
 少女の口調は徐々に昂ぶり、やがて恍惚と手を頬に当てた。
「そんな……そんなこと!」
 俄かには信じられないが、マークスは単身、このアパートを破壊しに来たというのか。まだ住人のいるこのアパートを、ただ、己の妄想のためだけに。
「何が悪いんです? 大切な人を取り戻すために戦って、何が悪いの? 私は、もうずっと前に決めているんです。和真さんを取り戻すためなら、どんなことでもしようって。他の何を敵に回したとしても構わないって。だってもう、失いたくないもの。私の、大切な人を」
 マークスが、すっと真顔に戻る。そこに垣間見えるのは縁まで満ちた狂気だ。静かに、静かに器を満たし、今にも溢れようとしている。
 ずい、とライカが前に出た。
「こちらも同じよ。この家は、征二にとってとても大事なものなの。あなたに、あなたなんかに、それを壊させるわけにはいかない」
 その狂気に気圧されることなく、ライカは気丈にマークスを睨み付けた。その時初めて存在に気付いたように、マークスの征二を見ていた目がライカへと向けられる。
「あなたは……何なんですか」
 怜悧な視線がライカを射抜く。
「仲間よ。征二の仲間。その和真って人のことは知らないけど、あなたにとってその人が大事なのと同じように、私たちにとっても彼は大切なの。あなたがその身勝手で彼を傷付けると言うなら、私たちも容赦しないわ」
「身勝手? 私から和真さんを奪っておいて、何が身勝手なの?」
「征二はあなたの探している人じゃない。和真なんかじゃない!」
 宵闇の迫る町に、ライカの叫びが響く。すっ、とマークスの顔から表情が抜け落ちた。徐々に輪郭をあやふやにする能面が、低い声で呟く。
「やっぱり、あなたなんですね」
 一歩、前に踏み出す。反応して身を固くする五人。反射的にセブンが、庇うように前へ出た。
「やっぱりあなたが和真さんを奪ったんだ。あなたがいるから、和真さんは戻って来れないんだ」
 臨戦態勢の五人を前に、マークスの調子は変わらない。歌うように、誰に聞かせるでもなく、ただ自分に確認するように、呪詛を呟く。
「――殺さなきゃ」
 背筋が、ぞくりと冷えた。
「殺さなきゃ、殺さなきゃ殺さなきゃ。和真さんを助けるの。あの娘を殺して取り戻す。私なら出来るもの。やらなきゃ、だって、私は」
 空気が膨張した――そんな気がした。
 もうだいぶ建物の間に沈んだ夕陽から差す、最後の光すら覆い隠すように少女の輪郭が膨らみ、征二たちを圧倒する。膨らみに膨らんだそれは、やがて吸い込まれるように中心にある少女へと収束し、少女はその闇を纏った。
 ああ、これを見るのは二度目だ。

 BLACK=OUTの行使、己の心を奪われるリスクと表裏一体の技術。
 ――BOB。

「やっぱり使ってきやがったか……どうする、ライカ。いくら何でも対策すら立ってない今、白とガチンコはマズいんじゃねぇの?」
 軽口のようだが、フォーの顔に余裕はない。彼の知る限り、マークスと真正面から戦って勝てるような化け物は存在しなかった。
「一度撤退するべきだ。分が悪過ぎる」
「セブンの言う通りじゃ。白の目的は征二の確保、いたずらに戦力を損耗するのは賢くなかろ」
 セブンと雅もフォーの意見に同調する。確かに本来ならここは撤退するべき場面だろう。だが。
「でもここで白を倒さないと、征二の家が壊される。征二には帰れる場所があるの。私たちと違って」
 フォーと雅、セブンが互いに顔を見合わせる。戸惑いながらも揺れる意思を駄目押すように、ライカはきっぱりと言い切った。
「私はそれを守りたい。守らなきゃならないの」
 ライカが拳を固める。目の前の少女は戦鬼だ。ともすれば生きて帰ることすら難しい相手。だが今はそれより優先すべきことがある。せねばならないことがある。それはあるいは合理的な判断ではないのかもしれない。裏返せば自分の都合と言っていいかもしれない。
 それでも、ライカは決めたのだ。
「あなたたちは撤退していいわ。征二を連れて本部へ戻って。もし査問となれば、どのみち生存は難しいわ」
 覚悟を決めたライカの肩を、フォーはため息混じりに叩いた。
「あーあ、結局こうなっちまうんだよなぁ。この間ぼっこぼこにされといて懲りねぇなぁ」
「隊長はお前だ。お前はお前の判断で俺たちを動かせばいい」
「妾はな、まだお主らを観察して楽しみたいのじゃ。妾の楽しみを奪うな」
 誰も、戻ろうとはしなかった。マークスを睨んだまま、ライカが小さく「ごめん」と呟く。
「これは僕の戦いだ。僕も逃げない。今度こそマークスを倒す。そして僕は僕に戻るんだ――ライカ、みんな……力を貸して欲しい」
 そうだ、あの時とは違う。今度は自分も戦うのだ。シールド能力があれば、BOB発動中のマークス相手でも何とかなるかもしれない。
「ノースヘルでの初陣がこれって、ついてないわね」
「予想はしてたよ」
 先制はマークス。地を蹴り一気に距離を詰める。征二が前に出た。

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