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BLACK=OUT 2nd

第十一章第二話:碧の王

 空中で器用に身体を捻り、神林は着地した。B.O.P.でも群を抜く運動神経といい、両手両足を地に着けたその姿といい、猫そのものである。毛を逆立てる猫が、自らを放り投げた天敵に飛び掛かろうとした時——背後から、別の敵に襲われた。スライム状のマインドブレイカーが首に絡み付き、締め付けていく。振り解こうと伸ばした両手にもそれは容赦なく絡み付き、程なく両足の自由も奪われ、神林は一切の身動きを封じられた。どれだけもがいても、いや、もがけばもがくほど、スライム状のマインドブレイカーは神林の白い肌に食い込んでいく。
「命!」
 助けようとした宮葉小路との間に、母体が割って入る。母体は、宮葉小路に背中を向けていた。宮葉小路の背が、ぞくりと冷える。
「式ッ!」
 間に合わない。そう考える間もなく、宮葉小路は式神を呼んだ。忠実なそれは主の命令に従って母体を止めようと飛翔するが、母体の両脇から出てきた二体のマインドブレイカーに阻まれる。
 ——やめろ、
 母体が、ゆっくりと右腕を上げる。
 ——もう、僕から……
 脳裏に、二年前が蘇る。
 ——誰も、奪わないでくれ。

 どくり、心臓が跳ねた。
 あの時は、何も出来ずに、ただ呆然と立ち尽くすしかなくて。もう二度と同じ思いはしたくないと、そう願ったのに。

 そう、願ったから。

「来い、BLACK=OUT」
 マークスには使うなと言った。だが——
「僕に、力を貸せ」
 神林の心臓を貫こうと、母体の腕が突き出される。その爪が神林の胸に届く直前で、それは動きを止めた。母体の手首に、蔓のようなものが巻きついている。その元を辿ると、長く伸びた鞭が、宮葉小路に握られていた。宮葉小路がその手を引くと、母体は釣り上げられた魚のように、彼の後方へ引っこ抜かれる。宮葉小路は母体に一瞥もくれず、捕らわれた神林に——彼女を捕らえて放さないマインドブレイカーに、一気に踏み込み、近付いた。
「返せ」
 宮葉小路が、マインドブレイカーのゲル状の体に触れると、それは触れたところから凍結していく。力一杯に振り抜いた手刀に為す術なく、マインドブレイカーは砕け散った。どさりと神林の身体が崩れ落ちる。
「命!」
 咄嗟に支えるが、神林の身体に力が入っていない。かなり衰弱しているようで、浅い呼吸と瞳の動きから意識はあるようだが、口を開くこともままならないようだ。あのマインドブレイカーに、何かされたのか。
「ちょっとだけでいい、待っていてくれ」
 母体がゆらりと体を起こすのが見える。宮葉小路は神林をそっとその場に寝かせ、母体を睨み付けた。
「妙だと思ったんだ。マインドブレイカーが母体と連携して行動するなんて」
 宮葉小路の纏う雰囲気は、普段のそれと大きく異なっていた。理性を大きく上回る野性が、隠しようもなく立ち上る。
「これはマインドブレイカーじゃない。お前の、式神なんだな」
 母体の口の端が、不気味に持ち上げられる。いや、宮葉小路の言うことが正しいのなら、これはもう母体とは呼べない。目の前でゆらゆらと体を揺らすこれは——暴走したBLACK=OUTだ。
「もう手は抜かない。全力なんて生ぬるい。お前がBLACK=OUTだというのなら、僕も同じ力で叩き潰す!」
 宮葉小路の体が沈む。次の瞬間には、母体の目の前に出現していた。近接戦闘にはやや遠い間合いだが、構わず宮葉小路は右腕を振り抜く。同時に生成されたメンタルフォースの鞭が、母体の首を刈る勢いで迫る。
 母体は避けようともしなかった。しかしそれは攻撃の直撃を意味しない。庇うように間に入ったマインドブレイカーの首が、母体の代わりにごろりと落ちる。
「ああ、そうだな——そうこないと!」
 首の取れた胴ごと、宮葉小路が蹴り飛ばす。母体は一緒に吹き飛ばされ、途中、マインドブレイカーが霧散して消滅し、母体だけが荒れた地面に転がった。
「これで終わりか? そんなわけないよなあ!?」
 母体が立ち上がるより早く、宮葉小路が母体に追いつく。体を起こそうとする母体を、宮葉小路は容赦なく踏みつけた。潰れた蛙のような声で、母体が呻く。
「命を傷付けて、それで僕が許すか? 何がBLACK=OUTだ。そんなもの、僕が畏れる理由になるか」
 睥睨する王の顔を見ることは、しかし蛙には叶わない。
 雨のしずくがぽつり、宮葉小路の鼻を叩いた。見上げた空を覆う、見える限りに蓋する暗雲は、二年前と同じで。エレナをうしない、もう一度立ち上がり歩き出してからの今日までを、逆回しに見せ付ける。
 征服する。
 自分の弱さも、痛みも、——そう、あるべくして、全てを。
「これで、しまいだ」
 濃い紫、いや、もうほとんど黒に近い球体が、内部で渦を巻きながら宮葉小路の頭上に出現する。それは見る間に成長し、宮葉小路と母体をゆうに飲み込むほどの大きさになった。踏みつけられた背中越しにその重圧を感じたのか、母体が声にならない悲鳴で藻掻くが、逃れることは出来ない。
 やがてそのどす黒い球体はゆっくりと降りていき、宮葉小路の足の下で暴れる母体を押しつぶし、飲み込んでいく。球体に咀嚼され、母体は霞のように掻き消えた。同時に、周囲を取り巻いていたマインドブレイカーも、一斉に消滅する。さながら、日の光を受けて後ずさる宵闇のように。
「命!」
 駆け寄り抱き上げた身体には、ぐったりと力がない。宮葉小路は、ぴくりとも動かない神林の身体を強く抱きしめた。少しずつ大きくなってきた雨粒が、瓦礫と幾人もの死体が散らばる壊れた街の二人を濡らしていく。
「宮葉小路さん……」
 駆け付けたマークスは何と声を掛けていいか分からず、あやふやな語尾は雨音の端に溶けた。ざあざあという音がノイズのように広がり、もつれた糸を掻き回す。
 ——悪い冗談だ……。
 濡れた髪が肌に張り付く。マークスはぎゅっと拳を握り締め、堅く目を閉じた。誰かが言わなくてはならない。そして、今それが出来るのは、自分しかいない。許されるなら、自分も叫びたい。あらん限りの声で、この雨音に、負けないように。
「宮葉小路さん……神林さんは……」
 震える声を必死に抑え、それでも、最後までは言えなかった。宮葉小路の頭が、もぞりと動く。ややあって、宮葉小路は消え入りそうな声で応えた。
「……分かってる」
 宮葉小路は、神林の耳元に口を寄せ、深く息を吸い込んだ。最後まで正視することが出来ず、マークスが目を逸らす。
 これは、けじめだ。この馬鹿げた悲劇を終わらせて、次へ進むための、避けようのない——。分かってはいても、それはあまりに辛い現実である。
 宮葉小路の唇が動いた。

「さっさと起きろふざけるな!」

 本降りの雨音どころか、雨粒すら全部吹き飛ばしそうな怒号を耳元に受け、神林は「あひゃい!」などと意味不明の悲鳴を上げて飛び上がった。
「利くん、酷くない? ほら、優しくキスしてくれるとか、もうちょっと違うの期待したんだけど」
 神林が耳を押さえ、涙目で抗議する。尖らせた口をぱちんと指で弾き、宮葉小路は「知らん」とやっつけた。
「それより立てるか?」
「んー、ちょっと無理っぽい。だいぶ戻ったけど、まだ足に力が入んなくて」
「精神毒とでも言うんでしょうか、治療は可能だと思いますけど、ここでは——」
 笑いを堪えるマークスは、恨めしそうな神林と目を合わせてしまい、たまらず吹き出してしまった。慌てて顔を逸らすがもう遅い。神林が両腕を振り上げて怒っている。
「雨も本降りになってきたし、一度戻るか。全く、こう雨続きだと気が滅入る」
 宮葉小路が神林を背負おうと屈んだとき、インカムに通信が入った。
『宮葉小路さん、今……その、ライカ=マリンフレアと水島さんが本部に来てるんですけど……』
 四宝院の連絡に、三人は思わず顔を見合わせる。
『水島さんはかなり衰弱した様子で、ライカ=マリンフレアに抱えられてる状態です。水島さんの治療を希望してるって言ってるんですけど、戻れますか?』

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