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BLACK=OUT 2nd

第十二章第三話:簒奪者

 ホールは、異様な空気に満たされていた。正面右では神林とセブンが、互いに一歩も譲らない戦いを繰り広げている。息をするのも忘れるような熱気が、二人からは立ち上っていた。特に、普段は冷静で感情を見せないセブンが、ことのほか動揺しているようで、己の動揺に飲み込まれまいと、ひたすらに自らを鼓舞するような戦いを見せている。
 一方で反対サイド、左側もまた、こちらは少し違う意味で息の出来ない空気だ。
 重く、泥のようなプレッシャー。前衛のライカも後衛の征二も、圧されないよう踏み止まるので精一杯である。その圧力は、ただ一人の少女から発せられていた。
 長い黒髪、紫の着物。日本人形を思わせる小さな少女が、扇子を手にちょこんと佇んでいる。名は近衛雅。ライカ=マリンフレアの、元チームメイト。
 少女は笑っている。楽しそうに、楽しくて仕方がないというように。待ち侘びた一瞬を迎える喜びに、満ち溢れているように。それだけなら、きっと微笑ましい光景だと言えるだろう。
 だが、少女の笑顔は歪んでいた。
 弧を描く目と、口と、そして踏み出す一歩が、何倍にも膨らんだ影を伴って揺らいでいる。
「ああ、楽しみじゃ、楽しみじゃ。ライカはどんな色で踊るんじゃろうな。妾はずーっと思っておったのじゃ。お主はどんな味がするんじゃろう、と」
 楽しそうに、喉の奥でくつくつと笑う。「じゃが」と、近衛は顔を上げ、征二をじっと見た。その目の奥底には、暗い暗い影が横たわっている。
「その前に、青よ、お主を殺すのが先じゃな。お主は妾たちからライカを奪ったのじゃ。よもやタダとは思っておらんじゃろ?」
 そうだ。
 近衛はライカを慕っていた。いや、近衛に限らず、チーム間の結び付きはとても強い。それは一時的にでもノースヘルに身を置いていた征二にはよく分かる。たとえ征二にそのつもりはなくても、彼女たちにとっての征二は、大切な仲間を奪った簒奪者に違いないのだ。
 そう、これは、近衛にとっての復讐だ。
「さあ、覚悟せい、青!」
 小さな身体が爆ぜる。その様子は、走るというよりも跳ぶと表現する方が正しい。扇子を構え、一息に征二との距離を詰めに掛かる。
「雅ちゃん!」
 だが、それを阻む影が二人の間に割って入る。言うまでもなくライカだ。今のライカは征二の前衛、指一本触れさせない覚悟で、迫り来る狂いの少女と相対する。
「はっ、猪口才よ!」
 進む足を止めもせず、いや、突進の勢いのまま、近衛は扇子を一閃する。巻き起こる暴風に、ライカの身体がぐらりと揺れた。
 正面から戦うならば、ライカと近衛の勝負は、どちらが勝つか難しい。しかし近衛の目的は、ひとまず征二だ。邪魔なライカを、ただ排除するだけでいい。無粋な脇役を退けたら、あとは舞台の中央で、盛大な舞を披露しよう。
 体勢を崩したライカの脇をすり抜けざま、近衛はライカを見上げて邪悪に笑う。三日月のように吊り上がった口が、ただの悪戯心で開けられる。
「吹き飛べ」
 瞬間に巻き起こる、空気の圧縮と解放。体勢を崩し、息の掛かる距離で放たれるテクニカルを防御など出来るはずもなく、ライカの身体は跳ね飛ばされた。
 障害のないフロア、狂いの少女が迫る。目を見開き、口を吊り上げ、けたたましく笑いながら。
 征二はソーサーを生成し投げるが、それも大して意味はなかった。続けざまに二枚投げた円盤は扇子で弾かれ、近衛の後方へと飛んで消える。征二が怯むよりも早く——日本人形の顔が、目の前にあった。
「さて、始めようかの」
 焦点の合っていない瞳に、征二は一瞬目を奪われる。だが、それを認識する前に、近衛の顔が遠ざかった。近衛が離れたのではない。征二の体は、宙に浮いていた。そう悟ると同時に、視界がぐるりと大きく回る。征二は縦向きに回転しながら、天井へ向けて一直線に打ち上げられていた。
「あっははははは! どうじゃ、空を飛んだ気分は!」
 遠く離れたフロアでは、近衛がはしゃぎながら飛び跳ねている。もちろん征二にそんな余裕はない。体を支える地面を失った征二は体勢を立て直せないまま、天井に背中を強く打ち付けた。背骨が嫌な音で軋み、肺は持っていた空気を全て吐き出す。運動エネルギーを衝撃に変換した後は、得た高さがそのまま位置エネルギーになり、それはそのまま、逆のベクトルをもって運動エネルギーへと変わる。——征二は、重力に従って落下していた。
「征二!」
 痛む身体を抑えつけ、ライカが征二を受け止めるため、駆け寄ろうとする。
「なぁんじゃなんじゃ、落ちて潰れる青を見たくはないのか、ライカよ。それは綺麗な紅が散るじゃろうに」
「この……喧しい! 白!」
 立ちふさがった近衛に苛つき、ライカはマークスに支援を求める。すぐに銃を構えたマークスだが、直後に飛来した複数のナイフのせいで、後退を余儀なくされた。
「フォー……あんた!」
「悪く思わないでくれよ。これが命令なんだ。——お前たちを、連隊長の所まで連れて行くわけにはいかねぇんだよ」
 フォーの足止めは決定打こそ持たないものの、かなり有効だ。ほとんど無限ではないかという量のナイフを自由自在に操るフォーは、一人で複数人の牽制を容易にこなす。味方であれば心強いが、敵対すればこれほど厄介な男もいまい。
 征二は確実に地面に近付いている。ナイフをかい潜り、近衛を突破して駆け付けるには、もう時間が足りない。いやだ、こんなところで征二を失うなんて。
「征二ぃ!」
 叫んだ声が涙に濡れる。悲痛なその声が届いても、征二にはただ、迫り来る地面を——死を見つめるしかない。
 きっと、自分は死ぬだろう。きっと、ライカは泣くだろう。
 ——僕はそんなの望まない。

 考えろ。ここで死ぬわけにはいかないのなら、考えろ。
 日向ならどうする? 封神の力を得る前の彼なら、どうやってこの局面を乗り越えた?
 乗り越えられないという可能性は、この時点で消えた。彼ならきっと何とかしてしまうだろうという確信が、征二にはあった。
 古い日向の記憶を引っ張り出す。日向は宮葉小路と戦う際、制空権を広げるという荒技で手持ちの武器を投げた。通常であれば皮膚から数ミリほどしかない制空権を十数メートルの範囲にまで広げて、そこから離れた武器が消滅しないようにしてのけた。日向の工夫は、機転は、いつだって力業だ。
 征二は落ちている。
 メンタルフォースは思いの力、極めて大きな感情の力だ。空を飛ぶなんて出来ない、出来っこない。
 不可能を可能にするのは、——いつだって、力業だ。
 征二が、そして日向が、何度も聞いた言葉を思い出す。
 ——感情には質量がある。

 いいだろう。
 空だって、飛んでやる。

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