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BLACK=OUT 2nd

第四章第五話:忌避の町

 連隊長室に、部屋の主の姿はなかった。相変わらず忙しい人だ、とライカはデバイスを操作し、連隊長を呼び出す。
 三度のコール音の後に、落ち着いた壮年男性の声がインカムに出た。
『私だ』
 やや低い、連隊長の声である。忙しいだろうに、忙しなさは感じさせない。
「MM32の報告です。今は?」
『問題ない』
 ライカはデバイスを操作し、データを連隊長に送信する。しばらくそれに目を通していた連隊長だったが、ややあって満足そうに口を開いた。
『ふむ、十分だな。新規入隊の彼も中々じゃないか』
 連隊長の声音は、心なしか楽しそうだ。
「マインドブレイカーのコントロールも上々です。『碧』の式神にも、勝るとも劣らず」
 あえて征二には触れなかった。本当はマインドブレイカーよりも、ずっと重要なことである。少なくとも、ライカにとっては。

 輸送車両を降りて見たδ区は、普段と何も変わらなかった。工業地帯であるこの一帯は、昼間は大きなトラックやトレーラーがひっきりなしに行き交っている。今も路肩に停めたB.O.P.の輸送車両を追い越して、鉄塊を載せたトレーラーが征二たちに排ガスと雨粒を浴びせ走り去っていく。目を細め口を押さえる征二の肩を、神林が叩いた。
「さあ、作戦開始だよ。あたしも利くんも、まだ征やんが戦うところを直接見てないからね。いいとこ見せてよ!」
 バン、と力一杯背中を叩かれ、征二は咳き込んだ。タイミング悪くトラックが横を通りすがり、せっかく息を止めたのに勢いで大きく排ガスを吸い込んでしまう。
「な、何するんですか神林さん! っていうか、もうちょっと手加減して下さいよ!」
 眦に涙を浮かべつつ抗議するがどこ吹く風だ。毎度のことだが、まるで意に介さない。
「これぐらいで、情けないぞ征やん。あんたはもっと――」
「はいはい、そこまでだ二人とも」
 パンパン、と手を叩き、宮葉小路が緩んだ空気を引き締める。
「マインドブレイカーと思われる反応は一体だが、何があるか分からん。注意を怠るなよ。メイフェル、母体活性化の兆候は見られるか?」
『今のところぉ、異常ありませんー』
 インカムからのんびりとした少女の声が聞こえた。オペレーターの一人、情報分析のエキスパート――メイフェルである。
『異常発見次第報告します。マインドブレイカー様反応、補足してますけど、誘導しましょうか?』
 声が関西弁のイントネーションを持つ青年に変わる。こちらもメイフェルと同じオペレーターの一人、情報処理のエキスパート、四宝院だ。
「頼む。マークス、周囲の警戒を怠るな。命はすぐ動けるようにしておけよ」
 二人が頷き、纏う気配が戦闘時のそれに変わる。
 敵の存在を見落とすわけにはいかない。征二も二人に倣い、精神を集中した。

 MFCが効いているため、マインドブレイカーはまだこのδ区にいるはずだ。しかし避難勧告はおろか警報すら発せられていない現状では、市民は当然日々の生活を営んでいる。
 工業地帯であるδ区に、征二は今まで一度も訪れたことがない。いや、工場や倉庫しかなく、トラックの排ガスで汚れた空気で満たされたこの町に、用もないのに訪れるような物好きはそう多くはないだろう。征二でなくとも、一生のうちに一度もδ区に足を踏み入れずに生を全うする人は少なくあるまい。何より、商業区や居住区にしか出入りしない人々にとって、δ区の印象はあまり良くなかった。
 それは肺を侵す排ガスであったり、心をかき乱す騒音であったり、あるいは骨まで響く振動であるのかもしれない。いずれにせよ無関係である人々はδ区をよく思っておらず、避けているということで、そしてそれは征二にもまた当てはまるのだ。
(B.O.P.に入ったんじゃなきゃ、ここには来なかったんじゃないかな……)
 征二は物珍しそうに周囲の工場を眺め回した。高い、耳に刺さるような音は何かを削っているのか。ちらりと視界に入った火花でその想像が正しかったことを確信するが、何を削っているのかまでは分からなかった。
 その工場の前を通り過ぎると、何かの機械音。複数の音と匂いが混じり、商業区とはまた別の、極めて雑多で非人間的な空間を構成している。特に匂いは征二にとってその根源を特定することは困難で、油の匂いは辛うじて分かるものの、ほぼ未知の世界だ。こんな中でマインドブレイカーの存在を感知するなど、不可能に思える。
(それでも、見落とすわけにはいかないんだ)
 征二は拳を握りしめ、雨のδ区を走った。

『マインドブレイカー様反応の発生ポイントです。何か見えますか?』
 四宝院から指示のあった場所は、工業地区には不釣り合いな高層ビルの前だった。同じ敷地内に工場が建っているので、恐らくこちらはオフィスとして使っていたのだろう。
 ――過去形なのは、既にこの建物が廃墟と化していたからだ。ガラスは一部にヒビが入り、割れたアスファルトの隙間からはあちこちから雑草が顔を出している。門扉からは工場の中までは伺えないが、少なくとも機械が稼働している様子はない。
「何も……感じませんね……」
 ゲートは閉ざされている。鋼製の柵越しにマークスが中を覗き込むが、それらしい影は見当たらない。
「って言ってもここで回れ右するわけにもいかないじゃん?  行くっきゃないっしょ、ここは」
 一応は私有地内ということで躊躇しているらしいマークスとは対照的に、神林は早くも突入する気満々だ。
「でも、まだ警報は出てないんですよね? えっと、確か……特殊心理学災害対策基本法で、B.O.P.の権限は警報が発令されない限り認められないんじゃないですか?」
 征二は座学で学んだ内容を思い出しながら尋ねた。ある意味で緊急性と特殊性が同居した、およそ通常では考えられない状況下で誕生し特権を得たB.O.P.は、同時にそれを良しとしない――利権にあぶれた権力者にとっては、面白くない存在の代名詞であったのだ。そのため法整備の過程において、その権限が及ぶ範囲がかなり削られた、と宮葉小路から聞いている。警報が発令されない限り、征二たちは一般人と同等の権限しか持たず、当然そこに私有地への無断侵入は含まれていない。
「確かに、通常ならば僕たちがここへ侵入するのは違法だ。だが――」
 宮葉小路はニヤリ、と笑うと眼鏡の弦を押し上げた。
「バレたらバレたで、もみ消せばいいだけの話だ。MFTは人命を優先する。さて、行こうか」
 宮葉小路の言葉を最後まで聞かず、神林は「よしきた」とばかりに柵をひょい、と軽やかに跳び越えた。鮮やかな朱袴が征二の目に残像を残しつつ、向こう側にふわりと着地する。
「開けられそうか?」
「大丈夫ー。こんなもん――」
 直後、閃光が煌めいた。僅かに散った火花に数秒遅れて、切断された電子式南京錠が地面を跳ねる。
「――ぶった切ればいいよ」
 引きずるような重たい音を立て、鋼の門扉が開く。柵の向こう側から現れた神林の手には一振りの太刀――彼女の武器、メンタルフォースで作り上げられた刃、神林流心刀が握られていた。
「神林さん、あんまり壊さないでくださいね。宮葉小路さんの仕事が……」
 マークスが苦笑する。一方の宮葉小路は、心なしか沈痛な面持ちだ。
「いつものことじゃん? さ、マインドブレイカーを探しに行きましょうか!」
 ぐっ、と拳を突き上げると、神林は楽しそうに先頭に立って歩き始めた。向かう先は工場、人の気配の途絶えた暗闇。未だ降り止む気配見せない雨が、トタンの屋根を叩き続けていた。

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