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BLACK=OUT 2nd

第十一章第一話:アトモスフィア

 現場は、当初想定された以上の惨状だった。右を向いても左を見ても、おぞましい外見のマインドブレイカーに埋め尽くされている。群れの向こうにある人影は、これらを生み出した母体だ。無数の稚児を従えて、混乱の中心に屹立する。
「こりゃあまた、凄い光景だね」
 手で庇を作り見渡した神林が驚嘆の声を上げる。MFCは既にその役割を果たしておらず、市民もどこに逃げれば良いか判断出来ないまま、逃げ惑っていた。B.O.P.ですら、どこに避難誘導して良いのか分からない状況下では、それも無理はない。
 目を凝らすと、マインドブレイカーの隙間から、地に伏せるいくつもの死体が見える。無秩序に散らばるそれは、数多のマインドブレイカーに踏みにじられ、そこには一片の尊厳すらも残されていない。
「……生き残った市民は」
 宮葉小路が、絞り出すように尋ねる。
『比較的被害の少ないエリアに誘導してます。どこまでもつか、分かりませんけど』
「まずは数を減らさなきゃ。やれるよね、利君」
 避難誘導は四宝院に任せて、神林の言う通り、自分たちはこの状況をどうにかしなければならない。少なくとも十分な安全地帯を作り出せなければ、極度の緊張下で避難民から新たな母体が生まれかねないのだ。そうなれば事態は更に悪化する。
「言うまでもない。式!」
 宮葉小路の呼び掛けに呼応し、八羽の鳥が現れる。宮葉小路が使役できる最大数の式神だ。
「わっはー、全力」
「出し惜しみしている場合じゃないからな、合わせろ!」
 宮葉小路の右腕が振るわれる。一斉にマインドブレイカーの群れに向け羽ばたいた式神に一拍遅れて、神林が合点、と飛び出した。
 殺気に反応したのか、群れが宮葉小路たちに雪崩れ込む。
「させるわけ、ないっしょー!」
 メンタルフォースの刀、心刀を一閃、神林が群れの先頭を斬り払った。押し返された先頭と後続がぶつかり、次々と流れてくるマインドブレイカーに押されるようにして、再びより大きな塊が押し寄せる。
「まずはご挨拶だ。リリース、『氷ノ舞』」
「ひゃっほー! どっかぁん!」
 宮葉小路が事前に詠唱しておいた上級テクニカルにより、一塊となったマインドブレイカーを氷結させる。さらにそれを前衛の神林が微塵に粉砕する合わせ技だ。砕けたマインドブレイカーの破片が煌めきながら宙を舞い、そして消えていく。
「さすがですね」
「マークスほどじゃないが、僕も一応サドネス系は扱えるんでね」
 見事な連携だったが、討ち漏らしがないわけではない。破砕を免れたマインドブレイカー一体一体を、マークスの銃弾が丁寧に撃ち抜いていく。
「おかわりっ!」
 神林には、既に後続が到達していた。左右両翼から包み込むように迫る敵を、その軌跡を網の目のように飛翔する式神がかき乱す。リズムを狂わせ、神林が一体ずつ相手できるよう、状況を整える。
「——殲滅速度より、母体からマインドブレイカーが生まれる速度の方が、速いですね」
「そうだろうと思った。作戦変更だな」
 宮葉小路は目だけでマークスに合図を送ると、前線の神林へ向けて走り出した。両手は絶え間なく幾何学模様を描き、聞き取ることが出来ないスピードで何かを呟いている。
「祓えッ!」
「切り開く!」
 神林が大上段に心刀を構え、振り下ろすのと同時に、彼女の元へ達した宮葉小路が、テクニカルを放つ。神林の衝撃波と重なるようにして威力が倍加した攻撃が、群れるマインドブレイカーを花弁のように散らし、その先端を母体まで到達させる。二人は躊躇なく、割れた海の中央を走った。そして程なく、その背後で二人を飲み込むように割れた海が閉じられていく。
 一人残されたマークスは、数え切れない大群を前に、しかし決して臆することなくこれを睨み付ける。二人が母体を倒すまでの間、一体たりとてここを通しはしない。いかにも華奢な少女の身体は、一度飲まれればすぐに蹂躙されてしまうだろう。だが、無数の異形を前にあまりにも頼りない少女は、誰に聞かせるでもなく、ただ自分自身に、その始まりを告知する。
「……いきます」
 マークスの身体から冷気が立ち上る。二挺の拳銃、その銃口がぴたりと敵へ向けられた。

 マインドブレイカーの海を割って到達した場所は、そこだけがちょっとした広間のようだった。ぽっかりとマインドブレイカーのいない空間の中央に、虚ろな目の男が一人、立っている。一見どこにでもいる優男だが、彼はもう人間ではない。心が壊れ、たった一つの妄執に捕らわれた、マインドブレイカーを生み出し続ける存在、母体だ。
「……襲ってこないね」
 母体を取り巻くマインドブレイカーは、外側にいたものと違って、宮葉小路たちを襲っては来なかった。母体を守護する役目を担っているのか、もしかしたら、母体を攻撃するまでは動かないのかも知れない。だが、マインドブレイカーは特定の行動原理ひとつに基づいて動いているはずだ。母体を守護する群体など、例がない。
 ——どうも、様子が変だ。
「いつまでも動かない、ということはないだろう。先手を打つに越したことは——」
 宮葉小路が言い終えるより早く、場の空気が一変する。
「ない、からな」
 視界が蒼に塗り潰される。現実の光景ではなく、メンタルフォーサーとして感知している感情が、色の形を取って視覚化したものだ。メンタルフォースとマインドブレイカーは、共にその正体は感情である。感情である以上、その発現の度合いは、場の雰囲気の影響が小さくない。宮葉小路は周囲に特定の感情を放出することで雰囲気を変え、マインドブレイカーの動きを鈍く、そしてこちらのメンタルフォースは最大限の威力を発揮出来るよう、整えたのだ。
「ちゃちゃっと片付けますか。利君、援護お願いね」
 神林が、緩慢に揺れる母体との距離を一気に詰める。心刀の切っ先が地面に触れるぎりぎりの高さから、鋭い踏み込みと共に横へ薙ぎ払った。
 ——母体の体が、ぶれる。
 直後、正面に捉えていたはずの母体が、神林の背後に現れた。手刀が神林の背中から心臓を貫こうと突き立てられる。気配で察した神林だが、反応出来るだけの時間は残されていない。
 しかし母体はぐるりと上半身を回転させ左腕で自身の背後を払った。氷の槍が砕かれ、しゃらりと散る。その向こうで、宮葉小路が槍を放った姿勢のまま、母体を睨み付けていた。
 神林は母体から離れるように一歩踏み込み、同時に身体を捻り、踏み込み足で地面を蹴る。地を這うように、低く母体に迫り、再び母体に心刀を向けた。切っ先が風を切る音の届くよりなお早く、一筋の軌跡が災厄を祓う。
 ——だが、それを振り切ることは叶わなかった。
 母体の手が、素手で、その切っ先を受け止め、固定している。押せども引けども、岩盤に突き立てられた楔のように、それは揺らぐことすらなかった。神林の額を、つう、と冷や汗が落ちる。
 そしてそのことを神林が自覚する前に、彼女は心刀ごと、放り投げられた。

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