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BLACK=OUT 2nd

第二章第四話:母体の生まれた日

 その日は朝から天気が悪かった。今にも降りそうで、しかし降らない、嫌な天気だ。
 だが、今β区の公園で空を見上げる女性にとっては、雨など問題ではない。濡れるかどうかなど、とうに越えた。
 ――あの日も、こんな天気だった。
 人を、この手で殺めた日。血塗れの両手を見ても、恐ろしさや後悔なんてものはなかった。ただ、胸にぽっかりと穴が空いたような、奇妙な空虚感。

 ――これは、さよなら、なの……。

 どうして、という問いに、あの人は答えてくれなかった。困ったような顔で、何度も同じ言葉を繰り返すだけで。

 別れよう。

 私じゃなくて、あの娘を選ぶってこと?
 教えて、私の何がいけなかったの?
 直すから。あなたが好きな私に、ちゃんとなるから。だから。
 違うんだそうじゃないんだ、とあの人は首を振る。僕はずっと彼女が好きだった。だけど僕には彼女との接点がなかったから。だから同じゼミの君に近付いて、少しでも彼女のそばにいたかったんだ。なのに君が僕を好きになるから。僕だって、君のことを、嫌いになんてなれないのに。
 だけどダメなんだ。君は彼女とは違う、違うんだ。だから――。

 きっと、凄くめちゃくちゃで、自分勝手で、利己的な言い分だ。友達が聞けばきっとみんな怒る。
 だけど、知ってた。分かってた。あの人が妹のことを好きなんだって。私はその代わりでしかないって。
 でも、ダメなんだ。私は、好きになっちゃったから。それでもいいって思っちゃったから。
 こんな格好のつかないことを、馬鹿みたいに正直に言っちゃうところとか、断ったっていいのに、私を傷付けたくなくて恋人のフリしちゃうところとか。
 知ってた。だから、別れないとなんだ。だけど。
 だけど、こんなに好きなのに、そんなの、無理だよ。
 好きだから、だからあの人が望むなら、私は別れる。二人を応援だってする。だけど、なのに、それなのに。

 私は、あの人を好きな気持ちを消せない。絶対に、消せない。
 あの人が視界に入ったら、きっと追いかけてしまう。近付いてしまう。触れようと、手を伸ばしてしまう。そしたらきっと、あの人は――困ってしまう。私はあの人を、困らせてしまう。
 そんなのは、嫌だから。
 だから。

 あの人を、消してしまおう。

 そしたら私は耐えられる。別れることができる。
 きっと。

 手にした包丁で、背中を刺す。倒れた男の上に馬乗りになり、何度も、何度も。
 さようなら。
 さようなら。
 さようなら。
 泣きながら、別れを告げながら、そして、二人を祝福しながら。

 それは、今にも降り出しそうな天気の日。
 一人の母体が、生まれた日。

 何だそんなことか、とマークスは緊張を緩めた。改まって言うから何事かと思えば。
「そんなに難しいことじゃないんですけど。水島さんは勘違いしてますよ」
「勘違い?」
「はい」
 マークスは、大きく頷いた。
「私が詠唱していたテクニカルは、一つじゃないんです」

 何体目かのターゲットを倒し、征二は大きく息を吐いた。フィールドにも、もちろん頭上のブースにも、マークスの姿はない。もう、とっくに勤務時間は過ぎている。
「まだ、僕の力じゃ全然足りないのか……」

 マークスが詠唱していたのはテクニカル一種。それは余りにも浅い思い込みだった。まさか――

 二つ同時に詠唱していたとは。

 口述と記述でそれぞれ別のテクニカルを詠唱し、片方を発動させずに保留しておく。あの時聞いた「リリース」という言葉は、保留しておいたテクニカルを発動させるためのキーワード。迂闊にも、程がある。
 決して自分の実力を過信していたわけではない。マークスの戦いは、混乱しながらであれ、一度実際に目にしているし、経験の浅い自分が勝てるほど甘い相手じゃないことくらい、分かっている。
 しかし同時に、己のシールド能力についても、絶対とまでは言わずとも、自信を持っていた。インファイター相手ならともかく、遠距離攻撃が主体のマークスであれば、この能力は相性がいい。事実、最後の――零距離で撃ち込まれた攻撃を除いて、一撃たりともマークスの攻撃は通っていない。
 経験の差など覆せるほどの有利。
 その有利を、マークスは再びひっくり返した。いや、己の慢心や知識、経験の不足が、その隙をマークスに与えてしまった、というべきか。
 結果。
 マークスは勝ち、征二は負けた。
 その結果だけなら、納得出来ないわけじゃない。悔しくないわけではないが、事実なのだ。どうしようもないほど、厳然な。
 だが、きっとマークスは思っている。
 日向なら負けたりしなかった、と。
 征二は勝ちたかった。勝って、マークスに教えてやりたかった。自分は日向じゃない、水島征二として、ちゃんと戦える。
 いつまでも――
「僕と日向って人を、重ねないでくれ……」

「よう、β区の件はどうなってる、ライカ」
 声を掛けられて、少女は振り返った。細面で長身の男が、片手でナイフを弄りながら立っている。
「フォー」
 少女――ライカが男の名を呼んだ。名と言っても通称だ。認識番号では長すぎるので、便宜上そう呼んでいるに過ぎない。ライカのように登録名を付けるのが普通だが、どうやら名前を持たないことにこだわりを持っているらしく、だからライカもそのままにしていた。
「β区の件って、あの母体?」
 ああ、とフォーは嬉しそうに笑った。
「サイッコーだぜ、あの女。母体はみんなそうだけどさ、あいつはそん中でも特別だ。頭ん中ぐっちゃぐちゃ。見てて飽きないぜ、ったくよ!」
「趣味悪いね、フォー」
「ハッ、今に始まったこっちゃねーだろ」
 鼻で笑い、フォーが画面を覗き込んだ。そこにはβ区の汚染状況がマップ表示されている。B.O.P.の目を盗んで、独自に設けたセンサーによるものだ。
「中々だな。これには介入すんのか?」
「するなって、連隊長が」
「ふーん。つまんねーな」
 フォーは不満を漏らすが、ライカも気持ちは分からないでもない。長らく実戦の機会が与えられてこなかったのだ。持って生まれた能力を思う存分振り回せないのは、死んでいるのと同じである。少なくともライカはそう思う。フォーがどう考えているかなど知らないし、興味もないのだが。
「いずれその時は来るよ。これはそのための、狼煙だって」
「数じゃ勝るんだ。叩き潰しゃいいのに」
「それじゃダメなんだって。詳しくは知らないけど」
「面倒くせぇ」
 吐き捨てるフォーに構わず、ライカが画面に触れた。表示が消える。
「……ともかく」
 ともかく、自分たちは駒だ。命令があれば出撃し、敵を討つ。
 それだけだ。

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