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BLACK=OUT 2nd

第十二章第四話:自分だけのもの

 重力に引かれ、床が迫ってくる。耳は激しい風切り音で塞がれ、何も聞こえない。征二は思い切り、その喉が破れる勢いで叫んだが、自分の声だってろくに聞こえやしなかった。
「轟け……嵐!」
 それは、ノースヘル式の詠唱。汎用性を犠牲にして即時発動させる技術だ。征二は正式に訓練を受けたわけではないし、練習をしていたわけでもない。完全なぶっつけ本番だ。だとしても今は、これに賭けるしかない。
 落ちる征二の周囲に稲光が迸る。それは征二を中心に螺旋を描き、その軌跡に筋を残しながら膨れ上がるようにその力を強めていく。
 ——まだだ、まだ、足りない。
 一刻も早く解き放ちたくなるのを堪え、征二は力が増すのを待った。青い光はやがて白く太く、征二を繭のように取り込んでいく。
 雷光だけではない。さらにその外側には、稲妻とは逆向きの螺旋を描いて、強風が吹いていた。その風はホール内の空気を巻き込み、暴れ回る。ライカも近衛も、飛ばされないように踏ん張るのが精一杯だ。
「間に合えーッ!」
 征二が吼える。その声に呼応するように、雷と暴風が足元に、征二が落ちてゆく先に放たれた。張った弦から放たれる一矢のように、それは力を爆発させる。同時に、落下していた征二の速度ががくんと落ちた。そしてホール内の空気を割るような大音響と共に、嵐は床へとぶつかる。
「征二! 嫌……征二ぃ!」
 全てが収まった後には、砕かれ焼けた床の残骸が散らばり、その中央は陥没したようにえぐれていた。そしてそこに、征二がうつ伏せに倒れている。
 姿を確認するやいなや、ライカは征二の元へ駆け寄った。崩れた床材に足を取られながらも近づいて征二を抱き起こすと、多少傷こそ負っているものの、息はある。それでも心配は拭えず、ライカは征二に呼び掛けた。
「征二、しっかりして、征二!」
「……っく、さすがに、痛い……」
 体中を襲う痛みに顔をしかめながら、征二はカハッと咳き込んだ。体を起こそうと力を入れると、節々が軋む。嫌な音を立てているような気さえしてくるが、それでも動く、生きている。
 ホールに、パチパチと可愛らしい拍手の音と、幼い笑い声が響いた。
「あはははは、これはよい、何とよい見世物じゃ! よくもまああの状況から、へしゃげずに生きて戻った!」
「咄嗟だったけどね、力任せの逆噴射だ。お陰でだいぶ持っていかれたけど、何とか生きてる」
「お主らしくもない」
「僕じゃないからね」
 これは日向のやり方、流儀だ。今までなら取らなかった方法を採ったのは、何も日向の記憶を得たのが理由の全てではない。
 体中が痛む。しかし、もし自分の、自分だけのやり方に拘っていたら、それでもまだ、こうして立っていられただろうか。痛む体は、以前と何も変わらない。日向のやり方で、日向になってしまったわけでもない。日向の武器も、ノースヘルの武器も、どちらも使いこなしてみせる。それは日向にはなかった武器だ。他の誰にもない武器だ。
「お主はそういったことを嫌うと思っておったが」
「そうだね。でも、これが僕だ」
 自分だけのものを探したとき、そこには何もなかった。自分だけのものだと思っていたものすら、別の誰かの借り物だった。誰かの借り物は、きっと自分を、自分じゃない誰かにしてしまうのだと思っていた。
 自分が何者なのか、知らなかったから。
 近衛が楽しそうにくつくつと笑う。
「ほほう、良い、良いな。今のお主と戦うのは楽しそうじゃ。おおいフォー! 一人でやりたい! 手を出してくれるなよ! ライカ、お主も無粋な真似は止すのじゃぞ。……ふむ、なかなかどうして、いつからお主は番犬になったのじゃ? 仕方あるまい、フォー、こやつを抑えろ!」
「雅、無茶すんじゃねぇぞ! 俺だっていつまでもライカを抑えておけるわけじゃ……」
「殺せとは言うておらん、それくらいせんか」
 フォーは苦そうに顔を歪めると、それらを振り払うように右手を薙いだ。指先の軌跡に沿うようにして、幾本ものナイフが生まれ、渦状に整列する。
「聞いたろ、ライカ! 動かないでくれよ!」
 番犬扱いされたライカは唸りながら、近衛とフォーを交互に見て、近衛に襲い掛かるタイミングを計るが、征二がそれを手で制した。
「僕は、大丈夫。ライカ……ごめん、先に謝っておくね」
 これ以上、ライカに仲間と戦わせたくない。仲間と戦って傷付くライカを見たくない。代わりに——泥を被る人間が必要だ。そのことに、たとえライカが気付いていなくても。
 さて、とはいえ近衛はそう易々と征二が倒せる相手ではない。扇子の仕込みで暴風のテクニカルは即時発動が可能だし、征二には接近されてからの攻撃手段はないのだ。正面から戦って撃破するなど、とても期待していい話ではない。
「……雅ちゃん、僕に出来ることは少ない。さっきの逆噴射でほとんどの精神力を使っちゃって、もうすっからかんだ。だから……次の一撃で決めるしかない」
「面白い。ならば撃ち合いといこうかの。なに、ノースヘルはいつでも撃てる。悠長に詠唱してもらってもよいぞ」
 不敵な笑みを浮かべ、泰然と構える近衛に頷いて、征二は記述詠唱を始めた。
 まずはひとつ、壁を突破したと言っていい。近衛が乗ってくれたお陰で、少なくとも速攻で潰される心配はなくなった。だが近衛は、あれでもライカチームのテクニカルユーザーである。その火力は宮葉小路には及ばないものの、征二とは比較にならない。
 単に正面から撃ち合えば、敗北は目に見えている。
 落ち着いて、ゆっくりと、そして何よりも確実に記述を組み立てていく。鍵になるのは近衛の性格だ。近衛は征二との実力差を自分の方が遥かに上だと見積もっているし、事実その通りである。そして、であれば、近衛であれば——一発目は、遊ぶはず。
 考えられる、いや、縋れそうな勝機は、そこしかない。
 惜しむな、勿体ぶるな、我を捨てろ。たとえ短い間だとしても、自分が経験したことは、それだけは、自分だけのものだ。それがいろんな人のキメラだって構わない。全部を出さずに勝てるものか。
 出来ないことだってまだ多い。口述と記述の平行詠唱だってこなせない。スピードが出せない弱点は、話術でカバーだ。近衛は、たとえ知った上でも乗ってきた。時間を掛けていいなら、こちらの意図が露呈しづらい記述詠唱が選択出来る。
 そして。
 そして征二は、最後の記述を終えた。
 遠慮は要らない。征二は記述でテクニカルを発動させる。何の前触れもなく稲妻が走り、それが渦を巻きやがて一巻きの毛糸玉のように纏まっていく。
 ぱり、と乾いた音が、緊張で張り詰めきった空気を焼いた。

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