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BLACK=OUT 2nd

第十章第五話:星の見えない夜

 ノースヘルMFT本部に併設されている宿舎を出ることは、そう難しくなかった。ライカたちもそうだが、彼らは自らのチームメイト以外のメンタルフォーサーに、さほど興味を持たない。征二は外部からの移籍という点では特殊で、そのため比較的目立つ存在ではあるが、それだけだ。水島の直轄チームでもない限り、征二の沙汰は知らされていない。
 それに、部屋を出て廊下を歩き回る者もいない。消灯時間というものはないが、既に夜半を過ぎたこの時間帯に、わざわざ出歩く者などいなかった。
 だとしても、正面ホールやメインゲートには見張りがいる。騒ぎになれば応援もすぐに駆け付けるだろうし、そうなれば脱出は容易ではない。ライカひとりなら、あるいは混乱に乗じて上手く立ち回れるだろうが、今は征二が一緒にいる。
 そして、その征二は歩くのもままならないほど弱っていた。
 ライカが肩を貸し、何とか進めている有様だ。ライカの顔の横で苦しそうに喘ぐ征二の顔は真っ青で、見るからにただ事ではないと知れる。時々何か言おうとライカを見るが、開きっぱなしの口は荒く呼吸をするのがやっとで、とても何か言える余裕はない。
 結局ライカは気にしなくていいと言い、一刻でも早く征二をここから連れ出すことに専念することにした。
 普段は使われていない非常口から、宿舎の外に出る。月明かりはなく、雨が二人の肩を濡らした。素早く左右に目を遣るが、どうやら見張りはいないようで、とりあえずひと安心といったところだ。だがまだノースヘルの敷地内。難しいのは、その塀を越えることである。
「もう少し、頑張ろうね」
 泥濘んだ足元で水が跳ねる。ライカは灯りを避け、出来るだけ塀の際を歩いた。
 正面の他にいくつかあるゲートも、もちろん普段から見張りの兵はいる。しかし通用門は車両が通れるだけの広さはなく、見張りの数も少ない。万が一応援を呼ばれても、詰め所からは最も離れているため、到着までの時間は掛かるだろう。戦えるのがライカだけではそれでも難しい話だが、今は可能性に賭けるしかない。
 果たして、通用門には見張りが一人しかいなかった。影の数を見てその僥倖に喜んだものの、その見張りは最初から——恐らくライカたちが姿を現した瞬間から、こちらをずっと見ていた。
「よお、こんな天気の夜中に散歩か、ライカ」
 フォーの目は、その軽口とは裏腹に厳しい。わざわざここにフォーがいる——バレていた、最初から。
「……水島連隊長が?」
「脱出は阻止しろって命令だ。お前ならここからだろうって」
 どこまでも水島の手のひらの上か。面白くない話だが、目の前には障害がいる。まずはフォーを排除しなければ、憤慨することもままならない。
「何でお前がそんなことするんだよ。いつもは命令命令うるせぇの、お前じゃん」
「分かってる。らしくないってことくらい、分かってる。でも、私は征二を失いたくない。征二にはもう、私しかいないんだ」
「にしたってさ、もっと他のやり方があるだろ!」
 フォーは説得しようとしていた。フォーにとっても、ライカがノースヘルを去れば、彼女と敵対するしかない。仲間を失うという点では、ライカと同じなのだ。
「戻ってくれよ、ライカ。今なら水島隊長にゃ、来なかったって言やあ済むんだ。よしんばバレたって言い訳は利く。征二のことだって俺らで何とか出来るだろ? セブンも雅も……あの二人は征二には厳しいけどさ、それでも殺されはしねぇよ。だから——」
「このままじゃ征二は、弱って死ぬかも知れない」
 フォーが言葉を失う。
「私には、水島隊長が何をしたのか分からない。でも隊長は目的は達したって言った。征二はもう……用済みだって。確かに征二は殺されないかも知れない。だけど征二が用済みになった今、隊長が征二を助けるとも思えない。私じゃ征二は治せないし、フォー、あんただって無理でしょう?」
 フォーは何か言おうと口を開き——結局何も出てこずに、悔しそうに顔を歪めた。
「だから、ここを出るの。ここを出て、征二を助ける方法を探す。どうすればいいかは分からないけど……ここに居続けることだけはダメだって、思うから」
 ライカの決意は固く、強くなってきた雨脚がぬかるみの中の三人を叩く。
「俺……たちじゃなくて、征二を選ぶのか? 何でだよ、俺たちはずっと……」
「好きだから。征二が、好きだから。それだけだけど、たったそれだけなんだけど、それで十分。私にとってはね」
 フォーが一瞬、痛そうに顔を歪め、すぐに悲しそうに眉根を寄せて目を伏せた。
「あんたが立ち塞がるなら、たとえあんたでも私は戦う。——さ、やろうよフォー。私たちには時間がない」
 辺りには征二を濡らさず置いておける場所はなく、ライカは征二を抱えたまま、目の前の障害を睨み付ける。フォーは式神使いで、そしてヒーラーだ。征二を抱えたままインファイトは出来ないが、テクニカル主体で戦えば、脱出するだけの隙は作り出せるかも知れない。ライカも無傷とはいかないだろうが——ここを出るとき、まだ生きてさえいれば、それで。
「よせよ」
 ぼそり。フォーの声は辛うじて雨音に掻き消されない程度に小さかった。
「お前ら『二人』と戦って俺が勝てるわけねーじゃん。嫌だぜ俺ぁ、こんなトコで死ぬの」
 呆気に取られるライカをよそに、フォーが二人に背を向ける。
「戦略的撤退だ。味方の増援を呼ばなきゃなんねぇ。あーあ、手柄を独り占めしようと一人で出てきたのが間違いだったよなぁ。こりゃまた連隊長に怒られるなぁ、始末書モンだぁ」
「フォー……」
 何事もなかったように——いつものようにぶらぶらとした足取りで歩き出し、数歩進んで、フォーは足を止めた。
「……今度、会うときは」
 振り返らないフォーは、今までライカが聞いたことのないような声で。
「青もお前も、敵だ」
 そう吐き捨てるフォーを目の当たりにして初めて、ライカはノースヘルを——仲間を、家族を、失ったことを実感する。だがもう止まれない。止まるわけにはいかない。分かった上でなお救いの手を差し伸べてくれたフォーを裏切ってでも、守りたい人がいる。
「……ありがとう。ごめんね、フォー。……さよなら」
 背を向けたままのフォーの後ろを、征二を引きずるようにして通り過ぎ、ゲートをくぐった。互いに振り返ることなく、塀の内外で分かたれる。

「……んだよ、お前だって自分のしてぇこと優先すんじゃねぇかよ。人のこと言えねぇじゃん」
 容赦なく降りしきる雨の中、フォーがぼそりと呟く。
「敵になったり味方になったり、忙しい奴だと思ってたけど……そうか、青はずっと、俺にとっては敵だったんだな」
 星の見えない夜空を仰ぐ。酷く惨めな気分だが、この雨が見られたくないものを全部流してくれるだろう。
 ——完敗、か。
 ライカにとっての一番にはなれなくても。たとえ二番目にすぎなくても。
 それでも、自分にとっては一番だったのだ。

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