BLACK=OUT
プロローグ:黒い影
それは、静かな夜だった。
かつて摩天楼と呼ばれた瓦礫に囲まれた、埃まみれの街。
月は、ない。
耳鳴りを抑えながら、少年は立っていた。
全てを飲み込む闇の中で、彼の漆黒の衣服も例外なく消えていく。
ただ、後ろで束ねられたブルーグレーに光る少年の長い髪だけが、不気味なほどに浮かんでいた。
生きる物のいない世界で、彼だけはそこに存在していた。
「………………」
先ほどまで閉じていた瞳を、少年は薄く開けた。
ぴくりと。
薄い唇が動くのが見て取れる。
「……いるんだろ、そこに……」
闇に向かって、少年は問いかけた。
「隠れてないで出て来いよ」
その刹那。
周囲を取り囲む、闇が動いた。
いや、闇よりも黒い、何かが動いた。
「シギャアアアァァァァァァァァァッ!!!」
耳障りな声を出し、その何かは少年を背後から襲う。
「─────!!」
少年が右から向き直るのとほぼ同時に、
「ィギャァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアッ!!」
と、その何かが断末魔の悲鳴を上げ、闇に溶けていく。
少年の右手には、先程までは無かった剣……シタールが、蒼い光を放っていた。
再び、音を失くす世界。
「……マインドブレイカー……」
マインドブレイカー……少年が呟いたその名は、今しがたの異形の名である。
今、世界はこの異形により混乱していた。
マインドブレイカーも、どこから現れるのかはっきりとは判っていない。
ただ言える事は、この異形の存在が、人類にとって危機的状況を招く、という事だった。
マインドブレイカーは生物ではない。
大きすぎる感情が生み出した、幽霊のような存在。
それがマインドブレイカーである。
マインドブレイカーは、人間に寄生し、その人間の主人格に侵入する。
すると主人格は、自身を守るため、寄生するマインドブレイカー……強すぎる感情を押さえ込もうとする。
つまり、感情を理性で押さえ込んでいる状態になるのである。
しかし、その行動は主人格を脆く、不安定にさせる。
結果、主人格は理性と強すぎる感情とに分断される……いわゆる「精神分裂症」を引き起こす。
分裂が分裂を呼び、最後には不安定な感情により自殺か、発狂して死を迎える。
数十年前では考えられなかった、心理学的災害……サイコロジカルハザードの発生である。
更に、マインドブレイカーは一般人には見る事が出来ない。
故に、被害は深刻化していった。
マインドブレイカーを見る事が出来るのは……
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
突如、遠くから悲鳴が届いた。
さっ、と声のした方を見やる少年。
一瞬、動きを止めて少年は呟いた。
「違う……あいつじゃねぇ……」
少し目を細めて、彼は更に呟いた。
「敵は小型が三体か……大してつえぇ奴じゃねぇな。襲われてるのは……ディアー使いのメンタルフォーサー一人ね……。必死に応戦してるみてぇだけど……分がわりぃか」
しばし、考える様子の少年。
「ちっ、誰が死のうが知ったこっちゃねぇけどな。ここまで来たついでだ、その雑魚も片付けるか」
そう呟くと、少年は声のした方へ駆けて行った。
一方、悲鳴の主……まだ幼い少女は、三体のマインドブレイカーを相手に苦戦していた。
ボブカットの金髪、青い瞳……日本人ではない。
白い肌には玉が浮き、呼吸も荒く、敵の攻撃を避ける度に滴が宙を舞う。
「私、戦うの苦手なのにっ」
チームの中では後方支援に立っている。
そうでなくても対複数戦闘なのだ。
有効打となりうる攻撃を持たないディアー使いでは、もはや時間の問題であった。
「やっぱり、エレナさんの訓練ちゃんと受けとくんだったよ」
あの時は、銃を扱うのに体術は必要ないし、苦手だから……と断ったのだが……。
「! きゃっ!?」
その時、異形の鉤爪が少女の銃を払った。
勢いで、飛ばされる少女。
「に……逃げなきゃ……」
逃がしてくれるかは判らない。
いや、まず逃げ切る事など出来ないだろう。
だが、それでも少女は逃げるため、立ち上がろうとした。
「!? イタっ!」
足をやられた……これで逃走は絶望的である。
六つの目と、六本の鉤爪が禍々しい光を放ちつつ、じりじりと近付いてくる。
「兄さん……」
ぎゅっと目をつぶり、少女がそう呟いた時、瞬くかの様な閃光が闇を覆った。
目をつぶっていても判る、圧倒的な存在感と力。
恐る恐る少女が目を開けると……
「……………………」
そこに、少年が立っていた。
「あ…………」
ちらり、と。
少年は少女に目をやった。
「邪魔だ、下がってろ」
が、そう言ってすぐ、彼の視線は少女の足を捕らえた。
「……ちっ」
心底嫌そうに舌打ちすると、少年は、剣を持っていない左手を自分の顔の前に構えた。
「この力……ヘイトフル……?」
少女は顔を強張らせた。
無理もない、今まで少女の周りに、ヘイトフルを使うメンタルフォーサーなどいなかった。
なぜなら……。
愛の力であるディアーと違い、ヘイトフルは憎しみの力であるのだから。
「安寧たる闇の波動をこの身に捧げ、汝の死すべき道の糧とし給え……」
少年は、そんな少女の様子など意にも介さず言葉を続ける。
テクニカルメンタルフォース……己の精神を自由に操るメンタルフォースの中でも、特に難度の高い技術である。
ファンタジー・ゲームにおける「魔法」が一番イメージに近いだろうか。
精神集中のために呟く言葉が、呪文のように聞こえる。
「……くたばれ、ザコども。Hateful!!」
少年が、自身の力を解放し、力の球を異形たちに打ち込む。
紫の光彩の中に、異形……マインドブレイカーたちは溶けて行った。
「あ……ありがとうございます……」
地面に横たわったまま、少女はおずおずと礼を述べた。
「……別に、あんたを助けたわけじゃねぇよ」
ぶっきらぼうに少年が応える。
「………………」
「………………」
それきり、会話が途絶えてしまう。
もっとも、少年には会話を続ける意思は無い。
しばらくの沈黙の後、少年は踵を返し去っていこうとした。
「あのっ……!」
「……?」
振り返る少年。
「え……っと、ありがとうございました」
「………………」
何も言わず、また去っていこうとする少年。
「あのっ!!!」
「…………?」
また振り返る少年。
「え……と、その、ホントにありがとうございました」
「…………ああ」
そう言うと、また去っていこうとする少年。
「あのっ……!!!!」
「……………………」
ちっ、と胸で舌打ちをしながら、少年は少女の元へ歩いていった。
「足、診せてみろ」
しゃがみこんで、応急処置を済ませる少年。
「骨は折れていねぇみてぇだが、一応メディカルセンター行っておけよ」
相変わらず、ぶっきらぼうに喋る少年。
「はい。本当にありがとうございました」
「歩いて帰れるか?」
「えと……ちょっと大変かも……」
「……ちっ、しゃあねぇな。肩貸してやるから、車かなんか呼べよ」
「えっ? あっ……」
「よっと……ん……?」
その時、少年の目に彼女が襟に着けているバッジが飛び込んできた。
「そのバッジ……B.O.P.……?」
「あ、はい。私、B.O.P.の職員なんです」
「……メンタルフォーサーチーム……か……?」
「ええ、そうですよ」
少し考えてから、少年は言った。
「……名前、聞いていいか?」
「あ、すみません。申し遅れました」
流暢な日本語で、少女は言葉を続けた。
「私、マークス=アーツサルトと申します。
B.O.P.メンタルフォーサーチーム・No.004です。よろしくお願いします」
もちろん、そんな事まで聞いていない。
彼女……マークスは、そんな娘なのだろう。
「あの……えっと、あなたのお名前も聞いていいですか?」
「俺の?」
「はいっ」
ニコニコしながらマークスは少年に尋ねた。
「俺か……俺の名前は……」
この二人の出会いが、後に少年の運命を、そして世界の運命を変える事になるとは、誰も予想していなかった。
「俺の名前は、日向和真だ」