BLACK=OUT
エピローグ:白からの手紙
抜けるような青空。
最初はもの珍しかった構内の風景も、今はもう見慣れたものだ。
同じように構内を歩く、自分と同じくらいの年恰好をした男女が、ちらりちらりとこちらを盗み見るのも気にならない。
――きっと、この大学の関係者じゃないことがバレているのだ。
そう考えながら神林は、巫女装束の裾をはためかせてキャンパスの中を闊歩する。
目的地は、特殊心理学棟B-7――彼の、研究室。
今日は、見せたいものがある。
「手紙?」
「うん、マークスから」
訝しげに首を捻る宮葉小路に、神林は答えた。
「久しぶりだな。今、どうしてるって?」
「相変わらずみたい。今からアメリカに向かうんだって」
懐かしさに目を細め、宮葉小路は差し出された封筒を手に取った。
「あれ、この消印……そうか、マークスはフランスだったっけ」
「ご実家からお呼び出しでございますよ。ホント、面倒だよね」
「ちゃんと顔を出すマークスとはえらい違いだがな。命もたまには、実家と道場に顔出さないとダメだぞ」
軽く皮肉を口にしながら、宮葉小路は封筒の中身に目を通し始めた。そこに並んでいたのは彼女らしい、線の細い流れるような筆跡。
『お久しぶりです。宮葉小路さん、神林さん。私は今、アメリカのロサンゼルスへ行くために、空港にいます。
父に呼び出されて、何だろうと実家に戻ってみたら、“MFTが解散したのなら、フランスへ戻って来い”というお話でした。
父は父なりに私を心配しての事だったのだと思いますが、私にはしたい事があるからと、何とか説得しました。幸い、伯母の後押しもあり、もう一年は自由に動いてよい、との許可を取り付けることが出来たのです。
帰国ついでに領事館に寄ってみると、そこで彼の思わぬ情報を得ることが出来ました。
名前は違っていたらしいのですが、彼らしき人物が数ヶ月前、ロスへ出国したらしいのです。
多少あやふやな点もありますが、他に手がかりの無い以上、調べてみようと思います。
お二人とも、もし何か和真さんの情報が手に入ったら、どうかお知らせください。
それでは、またお手紙書きますね。 ――マークス=アーツサルト』
「本当に、相変わらずだな」
手紙を読み終えた宮葉小路は、ため息とも取れる吐息と共にそう呟いた。
「和真を探して東奔西走、か……」
「ホント、一途よねー」
屋外に設置されたベンチに並んで腰掛けながら、共に空を見上げる。
空に、果てが無い。
どこまでもどこまでも、突き抜けるようだ。
「――生きてると思う? あいつ」
ぽつりと。
神林が、呟いた。
「どう……だろうな。普通は、BLACK=OUTを解放した時点で、精神の乖離分裂は始まる。あの倒壊を生き残ったとも思えないし、仮にそうであったにせよ、長くは保たない。常識で考えたら、生きてやしないさ。でも――」
「でも?」
宮葉小路は、しばらく空を見つめ続けて、やがてゆっくりと口を開いた。
「マークスと交わした約束、あれも和真の本心というか、願いだからさ」
ずっと一緒にいる。
どこにも行かない。
「だから、生きてるって考えるのも、アリなんじゃないかと思うよ」
そっと。
宮葉小路が神林へ顔を向け、微笑む。
「そだね。和真の遺体は、見つかってないんだもんね」
その、事実を。
交わした約束を、信じて。
マークスは今も、世界を飛び回っている。
日向を、探し続けている。
絶対に会えると、疑わず。
「多分、さ」
両手で、所在無げに空の封筒を弄りながら、宮葉小路が言った。
「あいつは自分が生き残って……発狂して死んでいく様を、僕たちに見せたくなかったんじゃないかな。――特に、マークスには」
大切な人を苦しめるだけの死に様を選ぶより。
大切な人を守るための死に様を選んだのか。
「で? 結局利くんはどう思ってるの? 和真が生きてるか、死んでるか」
「決まってるだろ」
ベンチの上で、二人は顔を見合わせる。
「マークスを置いて逝けるほど……」
「あいつは諦め良くない、ね」
◇
結局。
ここでも、有力な手がかりは得られなかった。
「アメリカまで来てこれかぁ……ホント、どこ行っちゃったんだろ、和真さん」
国内の、ありとあらゆる病院は調べ尽くした。残る、考えられる可能性は既に出国しているというもの。こればかりは、しらみつぶしに、という訳には行かない。
「でも、きっと……ううん、絶対、生きてる。きっと何か、戻って来れない理由があるんだ」
なら。
私は、探すまで。
たとえどれだけ時間が掛かっても。
この胸に、彼との約束がある限り。
この胸に、見つめる勇気がある限り。
「絶対に、あなたを見つけます。和真さん……」
そこに揺れるのは、銀に輝くペンダント。
小さな、暖かなそれを握り締め。
彼女は、今日も世界を駆ける。
大切な人を探すため。
大切な人と出逢うため。
そう、したいと。
心から、想ったのだから。
それは、終わりではなく。
いつも、はじまりである。
世界は、鮮やかだ。
大切なものに満ち溢れて。
こんなにも、こんなにも。
了