BLACK=OUT
第六章第三話:白い霧
それは、朝靄に煙る摩天楼。
吸い込む空気は冷たく、咳き込むほどの湿気を伴い。
その露はじっとりと肌を濡らす。
γ5地区。
まるで、その白い闇が全てを吸い込んでしまったかのように。
そこには、誰もいなかった。
「さてと……初陣だ、命。
……と言っても、『MFTでの』だけどな」
右肩をぐるぐると回しながら日向が言う。
「あたしがいれば余裕余裕。和真は後ろで昼寝でもしてて~」
鼻歌混じりに神林が返すと、宮葉小路が言った。
「気を抜くな。何があるか判らないんだぞ」
神林が入隊して、約二週間。
対メンタルフォーサーを想定した戦闘訓練を幾度と無く繰り返した宮葉小路は、彼女の実力を良く知っている。
残念ながら、彼の攻撃を捌き切るだけの俊敏さは無いが、多少のダメージを受けてもビクともしない頑丈さを、神林は持っている。
どちらかと言えば打たれ弱い現在のMFTにとって、彼女はアタッカーとしてよりも、むしろデコイとしての価値が高い。
それを充分理解した上で尚、この戦場の危険度が上回っているのだ。
なにせ。
――敵が何なのか、判らないのだから。
「四宝院さん、こちら現場です。
MFアトモスフェア・MBアトモスフェア検知ありますか?」
マークスが、インカム越しに語りかける。
『こちら本部。MF・MBアトモスフェアありません。
引き続き警戒を厳に、何かしらの動きがあれば伝えます』
発端は、複数住民からの通報だった。
すぐにMFTが出動態勢に入り、現地のスタッフが避難誘導を行ったが、通報があった地点及びその周囲に、一切の特殊心理学性の力場は見られなかったのだ。
マインドブレイカーでもなく。
メンタルフォーサーでもない。
誰もが状況を掴めぬまま、MFTは現場へと赴いたのだ。
「しかし……霧が深ぇなぁ」
顔をしかめ、日向が周囲を見回す。
「有効視界10メートル、といったところか。
少しでも離れるとすぐに見失うぞ」
インカムのGPSをチェックするように、という宮葉小路の声。
白い霞同様、はっきりとせずにマークスの頭に響く。
この霧。
見ていて、とても気分が良いものではない。
焦燥にも似た不安。
自分の手のひらを、見てみる。
ぐにゃりとしていて、指が何本あるかわからない。
「おい、マークス」
その一言だけは、はっきりと聴こえた。
顔を上げると、目の前に日向の顔がある。
「大丈夫か、気分悪そうだぞ」
少し眉をひそめて、彼はマークスの額に手を当てた。
黒いレザーグローブが冷たくて、気持ちがいい。
「あー、駄目だ。手袋越しじゃ熱あるか判んねぇ」
日向が、すっと手を引いた。
いやだ。
やめないでほしい。
「辛かったらすぐに言えよ。顔、青いぜ」
そう言い残し、日向は神林の許へ行ってしまった。
「行こう。こんなトコにいたってしょうがねぇや」
淡く深い霞へ、日向の姿が溶けていく。
彼の隣には。
朱と白の、女の姿。
――そこは……
ふらつく足を、一歩、前に踏み出す。
――そこは…………
どうしてみんな去っていく。
自分の大事な人は、みんな去っていく。
私が何をしたと言うのだろうか。
――そこは………………
だけど、今度ばかりは奪わせない。
私には…………、
――そこは、私の場所なんだ……!!
私には……ちからが、あるもの。
◇
「ちっ、あんのバカやろ、何処行きやがった!」
日向が毒づく。
無理もない、心配してやったと思ったら途端にこれだ。
「歩けねぇなら歩けねぇって、さっさと言いやがれってんだ、ったく!!」
「まずいな、霧のせいで視界が無いに等しい。この状況で探すのは無理だ」
「でもねぇ、探さないワケにも行かないでしょ?」
三人で考えていても仕方が無い。
幸い、GPSは生きている。
「四宝院、聞こえるか。悪いが、マークスの現在地を……ん?
おい、四宝院? メイフェル?
……本部、本部、応答せよ。こちらMFT、宮葉小路。本部……」
どうやら、状況は圧倒的に不利な方へと傾いているようだ。
「駄目だ、俺のデバイスも死んじまってるよ」
「あたしのも」
ならば、本部ではMFT全員をロストしているはずである。
「本部からの救援を待つしかないか」
宮葉小路が、諦めたかのようにインカムのスイッチを切る。
「マークスをほっとく訳にはいかねぇだろ」
日向が、深い霧の向こうを睨む。
「どちらにせよ、敵はここに潜んでるってこった。
マークスを見つけるか、そいつを潰すか……だろ?」