BLACK=OUT
第七章第一話:碧の揺らぎ
例えば。
誰かを悪と、そう決め付けたとき。
決め付けたその者は正義であるだろうか。
己が正義であると信じ、自分は戦っている。
否、誰もが己の正義を信じ、闘っている。
そこに悪は無く、ただ信念があるのみ。
誰もが正義であり、誰もが悪でもある。
相対する二つの螺旋。
それでも、目の前にいる者を悪だと言い切らなければ。
断罪すべき者と言い切ってしまわなければ。
戦う勇気が、持てないから。
◇
果てなく続く濃霧の中、宮葉小路は駆ける。
呼び出した式神に周囲を探らせつつ、日向の言ったこの霧の発生器を探しているのだ。
「とは言え、この霧だぞ。そう簡単に見つかるとも思えないんだがなぁ……」
ともあれ、日向によればマインドブレイカーはいないらしい。
現に本部でもMBアトモスフェアを感知できていないのだから、事実だろう。
そう考えながら、ビルの角を曲がったときだった。
「……あれは……」
ちらりと見える、紅い服。
「まさか……そんなはずは……」
そう思いながらも、気付けば宮葉小路は、その影を追っていた。
◇
「ちっくしょ、あれからもう20分も経ってやがる!」
デバイスの時刻表示を見ながら、日向は独り毒づく。
「多分、これはただの霧じゃねぇ。極小サイズのMFCの類だ。
下手したらマークスの奴……」
そうだ。
MFTを壊滅させるのに、マインドブレイカーなど要らない。
彼らとて人間なのだ。
MFCを用いて、彼らの精神に介入し、内側から「壊して」しまえばいい。
真っ先にマークスが脱落したのは、それだけ彼女が「壊し易かった」からだろう。
「理由はわかんねぇけど、あいつ……相当狂ってる」
初めて彼女と会った時から気になっていた。
一見してマークスは普通の少女だ。
どこにでもいそうな、ただ普通の。
だが、彼の目には、その振る舞いそのものが異常に映った。
そしてMFTに入隊してからもなお、その思いは強くなる。
彼女、マークスは……。
「自分自身の感覚を、失くしちまってる」
恐らくは、自分自身に降りかかった出来事であっても、まるで映画でも観るかのように感じられるに違いない。
今はとにかく、一刻も早くこの霧を消すことだ。
先刻から、霧は濃さを増している。
発生器があるとすれば、間違いなくこの周辺だろう。
――あの娘が壊れている、か……。
その時、声が響いた。
「っ!! この声は……!!」
間違えるはずがない。
これは、憎き仇の声。
「どこだ、どこにいるっ!?」
――お前とて、今まで色々なものを壊してきたはずだ。
「ふざけるな!! 俺の全てを……家族をっ!! 全部、全部壊したお前がっ!! それを言うかっ!!!!」
――そんなお前が、今度はあの娘を守りたい、か。ふ……これは面白い……。
「何が!! 出て来い、今すぐ!! この手でぶっ殺してやるっ!!!!」
――忘れるな、和真。
お前は『黒の者』、恨み、妬み、憎しみ、心の闇が生み出す負の力、破壊の権化。
守護者などではない、お前は破壊者だ。
「ああそうさ、わかってんじゃねぇか!! 俺はアンタを殺すために生きてる!! アンタを殺すために色んなもんを捨てた、壊した!!誰がどうなろうと知ったことか!! 邪魔なもんは全部ぶっ壊す!! そして、アンタを殺すっ!!! それだけだっ!!!!」
――なら、壊せ。お前を遮るもの全てを。その道の行く果てに、必ず私はいる。
頭の中に響いていた声が遠のき、同時に背後に強いメンタルフォースを感じる。
「今の言葉、本当か、日向」
振り向けば、そこには宮葉小路が立っていた。
◇
「確か、こっちに……」
複雑な裏路地を抜けると、一本の非常階段。
見上げれば、雑居ビルの屋上までその階段は続いている。
五階建てのビルだ、上まで登ってもさほど時間はかからない。
宮葉小路は、そのまま階段に足をかけた。
ほどなくして。
彼は、彼女に追いついた。
ずっと変わらない、その姿は、彼の記憶そのままで。
振り向いた彼女の顔は、苦痛に満ちていた。
「利光、怖いよ、ここ……」
喉の奥から搾り出すように、訴える。
「エレナ……僕は……」
「どうして、アタシが苦しまなきゃいけないの? 助けて……利光……」
エレナは、宮葉小路へと手を伸ばす。
彼も、エレナへと手を伸ばす。
が、その腕をいくら伸ばそうとも、彼女へは届かない。
「助けて」と、そう繰り返して。
エレナは奈落へと、落ちていく。
白く立ち込める霧の中、二度目の慟哭が轟いた。