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BLACK=OUT

第八章第六話:朱い記憶

 夜だ。
 暗い、暗い夜だ。
 同じような作りの部屋がずらりと並ぶ廊下、誰もいないのか、僅かに非常灯の灯りがフロアに映るのみ。
 その中で、一室だけ蛍光灯の光が漏れているのが見て取れる。
 部屋の中は、壁という壁に書架が置かれ、そこへ所狭しと分厚い書籍が並べられている。室内に幾つかある机の上にも、これでもか、と同じような本が平積みされているのだ。ざっと見た所でも、わずか20メートル四方の室内に5千冊はあるに違いない。
 知識の渦、その中心に、まだ20代と思しき男女が、向かい合って立っていた。
「伸宏さん、どうして!?」
 白衣の男性に向かって、女性が激しい口調で問いかける。その目には、涙すら浮かべて。
「験体がいないんだ。このままでは、研究資金の援助を打ち切られてしまう。君も知っているだろう? この国は……心理学に対して、理解が無い」
 伸宏、と呼ばれた男性は、静かにかぶりを振りながら弁明する。
「だからって……あの子を、和真を使うなんて……!」
「なら他人の子で試せば良かったというのか、君は?」
「そうじゃないの! どうして? どうして解ってくれないの?」
 どん、と伸宏の胸を両手で叩いた女性は、そのままずるずると地面に崩れ落ちる。嗚咽が、静かな室内に木霊する。
「もし、第一階層にまでBLACK=OUTが到達したら……主人格を奪われるだけじゃない、命の危険だって……」
「ならば尚更だ。いずれ、この国を心理学的災害が襲うだろう。そうなった時に、今のままでは対処出来ない。和真は、特殊心理学という分野の未来を拓き……そして、この国の未来をも拓く存在になるのだ」
 その言葉は、夢を帯びて。
 そして何処か、誇らしげに。
 恍惚と、狂気を語った。

「お母さん……ぼく……」
「心配しないで。貴方は、私が守るわ」
 まだ五歳だった少年に目線を合わせ、安心させるように女性は言った。
「幸子さん、早く」
 初老の女性が、小さな声で幸子と呼ばれた女性を急かす。
「はい、お母様。……ごめんなさい、こんな事になってしまって……」
「貴女のせいではありません。この子は私が、預かります。だけど貴女はどうするの?」
 幼い和真が、自分の母親と祖母の会話を、上を見上げながら聞いている。何が起こっているのか、自覚できていないようだ。
「あの人の狙いは、私の『封神の力』です。あの人は、最初から私のBLACK=OUTを覚醒させるつもりで、この子を……」
 悲しげに、しゃがみこんで和真を抱きしめる幸子。愛しい我が子との、永久(とこしえ)の別れを惜しむかのように。
「このまま覚醒すれば、私の力は沢山の人を殺める事になります」
 幸子は、和真の背中に回していた腕を、するりと解いた。
「だから私は、この力で……」
 立ち上がり、自らの母の顔を、真正面から見つめながら。
「私自身を、封じます」

――吾が内に宿りし四宝の精に告げる。
――安寧たる闇の法よ、己が静謐に溢るる白光を知れ。
――白々抜ける天空に紺碧の風纏い、其の手の紅玉を吾が血に溶かさん。
――近似の者、対極の者、其は須く螺旋であるべし。
――故に吾は命ず。
――封神の法の名の下に、日向和真有すBLACK=OUT、其を鍵とし封神の力と吾が死の記憶、及び日向幸子を、永久に封ぜよ。

 四色の光の奔流が、幸子の体を包み込む。
「ごめんね、和真……もっと、ちゃんと『お母さん』をしてあげたかった……」
 日向の胸にも、同じく四色の光の帯が渦巻いている。
「こんなことしか出来ないお母さんを、許してね……」
 幾筋もの涙が頬を伝う。力いっぱい、我が子を抱きしめた、その時。
 一際眩い光に包まれて、日向幸子は、この世からいなくなった。

 戦場に、日向の咆哮が響き渡る。
「俺はっ……俺はぁっ!」
 体から発せられる、でたらめなメンタルフォース。肉体という制約から漏れ出した、狂気の一部。
「ぐっ、まずい、あいつ、マインドプロテクトを外しているぞ」
 掠れ掠れ、宮葉小路が言う。
 BLACK=OUTの、主人格への影響を抑えるべきマインドプロテクトを外してしまえば、それは即ち主人格が乗っ取られる事を意味する。以前、宮葉小路たちが陥ったのと同じ状態になってしまうのだ。
「BLACK=OUT!」
 何か、抗いようの無い力に引きずられるかのように日向が叫ぶ。
 刹那、日向の体から、もう一人の誰かが出てきたように見えた。その影は、次の瞬間には再び日向の体の「外側」に収束する。
「マークスは……」
 立ち上がり、顔を上げた日向。その瞳は、黄金に輝いている。
「殺らせない」
 耐えるような震える声、そして日向は、誰もが予想していなかった言葉を紡ぐ。
「神林流心刀、奥義!」
 その名は、神林から発せられたのではない。日向の手には、四色の光を放つ、大太刀。神林のそれとは違い、長さは優に2メートルを超える。
「封神剣!」
 手にした得物を、グランに向けて薙ぎ払う。
 その刀が触れたもの、それが何であろうが、文字通り消滅していく。
 グランは、動かない。
 目は笑っていないが、唇の端を吊り上げて、こう言った。
「『鍵』は外れたか。日向和真、貴様はもう、後戻りが出来なくなった」
 ぶん。
 グランの胴の位置を、風切りの音を立てて大太刀が通り抜ける。
 グランが、自分の腹部を見下ろすと、そこには何も無かった。
 斬られたのではない、刀が通った部分だけ、消滅したのだ。
「ふ……これが『封神の力』。神林流心刀の、真髄。代々、神林家のみに受け継がれる、神をも封じる能力、か」
 斬られた傷口から、じわじわと消滅していくグランの体。自身の死を目前にしても、彼に動じる様子は無い。
「これで私の役目は終わりだ。その力があれば、世に蔓延する偽の人格どもを、根底から消滅できる。……喜べ日向和真、貴様は、新時代の立役者だ」
 残された言葉は、呪詛のように。
 虚空に木霊し、消えていった。
 とさり、倒れる日向の体。

 残された、幾人もの遺体と、見る影も無い黒焦げの露店街。

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