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BLACK=OUT

第八章第七話:朱が、朱である証

 ずっと、信じてきたもの。
 ずっと、誇りに思ってきたこと。

 自分が、自分である証が。

 崩れてしまったようで。

 日向が、失われた記憶、ブラックアウトを、一部取り戻した。それに伴い目覚めた、「封神の力」という能力。目覚めた日向が話してくれた内容は、神林にショックを与えるに十分すぎるものだった。
 封神の力……それは、メンタルフォースとは違う、異質の力。
 対象となるものが、たとえ神であったとしても封じることが出来る能力だと、そしてその力こそが、本来は「神林流心刀」と呼ばれるのだと……。
「ふぅ……」
 神林は、B.O.P.の屋上に来ていた。彼女にしては珍しく、一人になりたかったのだ。
「さすがに、ちょっとキツイや」
 夜風が、栗色の長い髪を揺らす。いつもならば心地よく感じられるであろうその風も、今の彼女にとっては寂しさを掻き立てられるものでしか無い。
「あたし……ニセモノだったんだ……」
 だとしたら、本当の自分は何なのだろう。
 神林は、そっと両の手のひらを見つめる。この手が生むのは、メンタルフォース。封神の力などでは、決して、無い。
 それでは――形だけを真似た、ただの道化ではないか。
 知らず、目尻に涙が浮かぶ。
 今までの自分が、全て、否定されたのだ。
 お前は偽者だと。お前は、お前の人生は、無意味だと。
 ぼぅ、と遠くを眺める。
 街灯り一つ一つに、意味がある。
 そこに居る、一人一人に意味がある。
 そうして世界は回っている。
 自分だけを、取り残して。

 上弦の月が雲に隠され、月明かりすら届かなくなった頃。
 重い、鉄の扉が開かれた。
「命、ここにいたのか」
 現れたのは宮葉小路。神林は慌てて涙を指で拭うと答えた。
「あ、うん。ちょっと風に当たりたくて」
 そうか、と短く答えると、宮葉小路は神林に向かって歩いてきた。彼女の隣で景色を眺めながら、何を話すでもなく、黙っている。
「マークスは?」
 何となく居心地が悪くて、神林は話題を振ってみた。
「まだ目が覚めない。今は、和真が看てる」
「あ、そう……なんだ」
 それきり、会話が途絶える。時折、ひょお、と風の音が耳をくすぐり、その度に神林の長い髪が宙を舞う。
 どれくらい、そうしていただろう。そろそろ中に戻ろうかと神林が考えていた時、宮葉小路がようやく口を開いた。
「僕はね」
 顔は夜景に向けたまま、歌うように言を紡ぐ宮葉小路。眼鏡の奥の瞳が、静かな意志を湛(たた)える。
「ずっと、宮葉小路の家を継ぐ事を前提として生かされてきた。そうじゃない僕に、存在意義なんて無かった」
 神林は、黙って宮葉小路の横顔を見つめる。暗くて、顔はよく見えないけれど。
「それが、ずっと嫌だった。自分の存在する意味を、僕は、自分で作りたかったんだ」
 宮葉小路は、淡々と話し続けた。
 神林が来る前、エレナという女性がMFTにいた事。彼女が、自分の恋人だった事。彼女を守る事を、己に課していた事。そして、彼女を亡くした事……。
「エレナを守る事が、僕の意味だった。そうじゃない僕なんて、僕じゃない。だけど、守れなかったんだ、彼女を」
 コンクリートの屋上には、彼の語る声だけが響いている。それ以外の音など、許さないかのように。
「何もかも、一度に失くしたんだ。誰よりも大切な人を、自分自身の存在意義を」
 思い出すと、今でも辛いのだろう。堪えるように言葉を搾り出す様は、見ている神林も辛くなる。
「エレナは、もういない。自分がいる意味も、もう無い。……なら、消えるしかないじゃないか、僕は」
 そう言って、暫し口を閉ざす宮葉小路。蒼い闇に、二人の吐息だけが薄く溶ける。
 やがて、ゆっくりと。
「でも、何も出来なくなった訳じゃなかった」
 少しだけ、強い調子で宮葉小路が言い切る。
「そんな僕にだって、出来ることがある。したいことがある」
 だから、MFTのリーダーになったのだ、そう宮葉小路は言う。
「何があっても、僕は僕だから」
 隣に立つ神林へと、宮葉小路はゆっくりと顔を向けた。
「それを教えてくれたのは、君だよ、命」
 まっすぐに、宮葉小路は神林の瞳を見つめる。
「信じていた事が嘘だったなんて、辛いと思う。だけど、それでも命は命で、他の誰かになったりはしない」
 ここで、この場所で。
 自分が、成し得た事は。
「君が居る意味は、ここにある。僕にとって、君はかけがえの無い人だ。……それじゃ、ダメかな?」
 間違いなく、ここにあったのだ。
 少しだけ首を傾けて、宮葉小路が笑う。何をくよくよ考えていたのだろう。そうだ、自分の価値を決めるのは、自分だけではなかったのだ。
「……ダメじゃないよ。うん、あたしは、あたしだもんね」
 優しい笑みを浮かべる宮葉小路に、神林は嬉しさの混じった笑顔を返す。
 雲間から、月が覗いた。何処よりも空に近いこの場所に立つ二人を、青白い光が柔らかく照らす。
 ありがとう。
 そう呟く神林の声は震えていた。
 いつもみたいな、明るい笑顔。しかしその頬には、月を受けて白い筋を残す心の証。
 泣くなんておかしい。泣くなんて変だ。
 そう思えば思うほど、気持ちが抑えられずに涙が溢れる。
「今くらいは、無理して笑わなくてもいいんじゃないか」
 諭すような、宮葉小路の言葉がきっかけで。
 堰を切ったように嗚咽が止まらなくなる。
 神林は、そんな自分に耐えるように、宮葉小路の胸へと顔を埋めた。
「ごめん、利君……」
 少しだけ、今だけでいいから。
 ここで、自分の気持ちを受け止めていて欲しい。
「いいさ、そんなこと」
 宮葉小路の手のひらが、そっと栗毛の頭を撫でる。
 明日からは、またいつもの自分に戻るから。
 だから、今だけは……。

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