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BLACK=OUT

第三章第八話:碧の世界

 こつこつと。
 足音を響かせ、宮葉小路は歩く。
 辺りは静かだ。
 それもそのはず、時計の針は二時を指している。
 宮葉小路とて、会議が無ければとうに就寝している時間である。
「あいつ、起きてるかな……」
 漏れた呟きは壁に反響し、木霊として残る。
 尤も、それを聞く者は存在しないのだが。
 しばらく歩くと、宮葉小路はその足を止めた。
 長く伸びた廊下の突き当たり、目の前には無機質な扉がある。
 とても重厚そうには見えないその薄い板で……。
 こちら側とあちら側、二つの世界が隔てられている。
 不思議なものだ。
 厳密に言えば繋がっている世界。
 しかし、概念上閉じてしまえば、それはもう別の世界、別の場所、完結された空間になるのだ。
 そうして人は安息を得る。
 果てに手が届かない世界は、操作出来ないから。
 果てに目が届かない世界は、真暗で不安だから。
 たとえ……。

その安心を守る扉が、蹴れば打ち抜けるほどに脆くとも。

  所詮は……そこにあるのは、偽りの世界だと。
 宮葉小路は、思っていた。

  一呼吸置き、宮葉小路はインターホンに手を伸ばす。
 IDカードを通し、認証キーを叩くと、程なく中から応答があった。
「利光? 寝たんじゃなかったの?」
「いや、ちょっとね」
 答える声は自然だが、宮葉小路とて居心地がいいわけではない。
 侵入制限があるわけではないが、寮として使用しているフロアの西側は、女子用とされている。
 そこへ、こんな夜中に突っ立っているのだ。
 怪しい事この上ない。
「ちょっと待ってて、開けるから」
 部屋の主はそう言うと、通話を終了した。
 十秒程経っただろうか、ロックを示すステータスランプが、「ピッ」という電子音と共に赤から緑へと変わった。
 それを確認し、コンソールを叩く。
 中では、寝巻き姿のエレナが、ベッドに腰掛けていた。
「お邪魔します」
「相変わらず他人行儀だね」
 余計なお世話だ。
 これは、幼少の頃より身に付いた癖に過ぎない。
「礼儀だ、礼儀。日本人としてのな」
 憮然として言い放つ。
 エレナが自分の部屋に来ることもあるが、「お邪魔します」なんて言った試しは無い。
 尤も、それはエレナ個人のスタイルなのだろうが。
「それで、どうしたの?」
 悪戯っぽく、エレナがこちらを見る。
 立ったまま、というのも何なので、ソファーまで歩いて行き真ん中に座った。
 ちなみに、ここが彼の定位置である。
 さて、と宮葉小路が切り出した。
「エレナ、判ってると思うけど……」
「お昼の件?」
 先回りして、エレナが問い返す。
「ああ、そうだ」
 判っているなら話は早い。
「エレナ、いい加減休憩と称して遊びに行くのは止めろよ」
「でも、休憩中に本部から出ちゃいけないなんて、どこにも規定されてないけど?」
「常識の問題だ、常識の」
 はぁ、と頭を抱える。
 彼女は、いつだってこんな調子なのだ。
「それに、一時間で戻ると言ったら、絶対に一時間で帰って来い。 ……その、心配するだろう」
 そっぽを向いて呟く宮葉小路に、エレナは「あらぁ」と笑う。
「心配してくれたんだ、利光」
「っ……あのなぁ!」
 エレナの事だ、大丈夫だろうとは思ったが……。
 その、……それとこれとは話が別なのだ。
「もう、照れちゃって。カ~ワイイ」
 悪戯っぽく、と言うべきか。
 寧ろ、極上の邪悪な笑みを浮かべている。
 そうとしか、宮葉小路には見えない。
「まあ……結果的に、敵の影が垣間見えたんだ。今回は良しとするが」
 良しとするが、二度としないで欲しい。
「とりあえず、絶対に無茶するなよ。まだ相手の正体も掴みきれてないんだ」
 手綱を握っていないと、エレナは暴走しかねない。
 MFTのリーダーとして、彼女以上の適任者はいないが、単独行動を取った時の彼女は恐ろしく無茶をする。
 全体のためなら自己をも殺しかねない……それが、エレナ=フォートカルトという人間の生き方だった。
「大丈夫だって。何かあれば、利光が守ってくれるんでしょ?」

――ああ、そうだ。
 彼女は……エレナは僕が守らないと。

  守って、
 護って、
……今までも、そしてこれからも。

  そのために力を付けた。
 偽りの世界、手の届く世界、全てをコントロール出来る仮想の世界でしか力を持ち得なかった自分だけど。
 そこから飛び出し、世界を隔てる扉を蹴破り……。
 果ての無い世界からエレナを守るために、僕は強くなったんだ。

「当たり前だ」
 宮葉小路は、真っすぐにエレナの双眸を見つめる。
「お前を守るなんて、僕にしか出来ないだろう?」
 でなければ、自分がここにいる意味が無い。
 それが自分の生き方だ、と。
 そう、彼の瞳が告げていた。
 宮葉小路財閥会長の子息、株式会社SLAの次期社長としてではなく。

――宮葉小路利光の在り方として。

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