BLACK=OUT
第九章第二話:黒の料理
しばらくして、資料室に行っていた二人が戻ってきた。手にはそれぞれ、数冊のファイルを携えて。
「ったく、さっさとデータ化すりゃいいのに」
ぶつぶつと文句を繰り返す日向。新規の資料は全て電子データで起こされるが、ここが特殊心理学研究所だった頃の資料は全て、紙に印刷されたものなのだ。
「仕方ないよ。OCRにかけたって、校正作業はあるし……いくらなんでも、手間が、ね?」
苦笑気味に返したマークスは、自分のコンソールにどさりとファイルを積み上げた。一番上に乗せられたファイルが滑り落ちそうになり、慌てて手で押さえる。
「ご苦労さん。そろそろ昼休みにしようか」
宮葉小路が仕事の手を止め、二人に向き直りながら言った。
「お昼、どうしようか?」
口にドーナツを咥えたまま、もごもごと神林が言う。午前中ずっと菓子を食べていた彼女だが、まだ食べるつもりだろうか。
「毎日食堂ってのも味気ないしなぁ」
「たまにはぁ、美味しいものが食べたいですねぇ」
四宝院とメイフェルも、席から顔だけ出して意見を述べる。B.O.P.の食堂も決して味は悪くないのだが、食堂の領域を逸脱するものではない。
と、ここまで話が進んでから途端に青ざめる5人。
「じゃあ私が……」
「ダメだ」
予想通りと言うべきか、しゅたっと手を垂直に挙げて提案しかけたマークスに皆まで言わせず反応速度0.2秒、日向が却下。さしもの彼とて命は惜しい。
「気にしなくて大丈夫。美味しい料理を……」
「マークス、まだ本調子じゃないんだから、無理しちゃダメだ」
日向は、自分が鳥肌立つほど優しい調子でマークスを説得する。
「もし、またお前が倒れたら、俺は嫌だ。だから、今日はゆっくりしてくれ」
「和真さん……」
残りの4人が、一斉に心の中でツッコんだのは、言うまでも無い。
「で、昼飯どうするん?」
何だかんだ言って、混み合う時間になってしまった。これでは最初(はな)から、食堂という選択肢は除外される。
「外で買ってきますかぁ?」
「参ったな、近くに店は一つしかないし、あそこに置いてある物は、もう飽きたぞ」
「あたしは何でもいいわよ~」
協議は遅々として進まない。
しばらく黙り続けていた日向が、その様子を見て諦め口調でこう言った。
「しゃあねぇな。俺が作るか」
「おい、和真って料理出来るのか?」
「『一人暮らしが長い男は料理が出来る』って言いますけどな。ちなみに俺は出来まへんし」
日向のいない作戦室の隅で、ひそひそと二人。確かに四宝院は料理が出来そうに見えないが、しかしそれは日向も同じだ。
「神林さぁん、日向さんってぇ、料理出来るんですかぁ?」
「そう言うメイフェルは出来るの?」
「出来ませぇん」
問い返されて、ぺろりと舌を出しメイフェルが答える。
「宮葉小路さんはぁ、結構お上手ですよねぇ」
「ま、嗜む程度だけどな」
家にいた頃は、専属のシェフが付いていたので、料理は半分趣味で覚えたらしい。
「大丈夫、安心して」
神林が、皆を見回して断言する。
「あいつの腕は悪くないよ。あたしと同じくらいなんだから」
「絶望的だ……」
「どういう意味よっ!」
一時間後。
作戦室に運ばれてきた料理に、神林を除く一同は愕然とした。
「ロクな食材が残ってなかったんで、大したもんが作れなかった」
不満そうに、皿を並べていく日向。
フレンチトースト、チキン南蛮タルタルソース、温野菜のサラダ、ショートパスタのミネストローネ……。
「お、おいおい……」
「少なくとも見た目は美味しそうやね……」
文句があるなら食うんじゃねぇ、と日向が睨み、そして全員分の料理が並べられた。
「っていうかぁ、一時間で用意した量じゃぁないですよねぇ」
「うわぁ、美味しそう!」
一人、両手を合わせて喜んでいるマークス。神林の方はと言うと、既に臨戦態勢だ。
「ささ、早く食べよう」
ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐるトーストが、見た目も鮮やかにアピールしている。
いただきます、の挨拶と共に、各々が食事に手をつけた。
「すごいな、これは。ソース、自作じゃないか」
「ちょっと茹で過ぎな感じがするけど、まあいいんじゃない?」
「バカやろ、マークスの体調に合わせたんだよ」
「すごい、とっても美味しい!」
わいわいと囲む食卓は、それだけで一つのご馳走。かけがえの無い仲間と、かけがえの無い時間を過ごす幸福。
部屋いっぱいに満ちる、柔らかな香りは。
気の置けない仲間たちとの談笑は。
いつまでも消えない、大切な絆。
「お前、よく入るな」
「久しぶりだからね、和真の料理」
神林は皿を抱えたまま、乗せられた物を口に詰め込んでいく。
「しかし、意外やわ。日向さんって料理ほんまに上手いんやなぁ」
感心しきり、といった風で、四宝院がひたすら頷いている。
「意外とは失礼だな、オイ」
「どう見たってぇ、出来そうには見えませんよねぇ」
「悪かったな、ったく」
ここに満ち溢れる笑顔。
自分でいられる心地よさ。
「和真さん」
「ん?」
「ありがとうっ」
そして、大切なひと。
たとえ、自分に残された時間が少ないとしても。
たとえ、これが束の間の平穏だとしても。
今を精一杯に生きていく。
それが、答えだと信じて。