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BLACK=OUT 2nd

第十章第一話:うたかた

 その朝は来た。
 準備を整えた日向に、宮葉小路が声を掛ける。
「水島に戻った後、彼の身柄はどうする?」
「そろそろ迎えが来るはずだ」
 日向がニヤリと笑うと同時に、インカムに通信が入る。
『ゲートにノースヘルが来てます。ライカ=マリンフレア一人のようですが』
「離れたところに輸送車両でも隠してあるんだろ。いいぜ、入れてやれ。ロビーまで降りる」
『ええんですか? また二年前みたいなことになったら……』
 遠慮がちではあるが、四宝院は悪夢の再現を恐れていた。無理もない、あの事件の時は非戦闘員の四宝院ですら戦わざるを得ない状況に陥っていたのだ。
「俺が呼んだんだ。大丈夫、あの女にとってみれば、征二を人質に取られたようなもんだし、従うしかない。征二の身柄はあいつに預ける」
「……これでまた、敵になるんだね」
 神林がため息をつく。
「それは違う」
 首を振る日向を、神林が不思議そうに見ている。マークスが頷いた。
「敵になるかどうかを決めるのは、水島さんです。私たちが決めることじゃない」
 日向が小さく笑い、マークスの頭をくしゃりと撫でる。くすぐったそうに身を竦める少女は、もう二年前の少女ではない。悲しみを乗り越え、一人で戦い、そしてそう言い切れる強さを持った少女だ。
 ——さて、征二。お前は何と戦っていたんだ?
 いずれ答えは出るだろう。いや、出さなくてはならない。引きこもり、現実から目を背ける時間は、もう終わりだ。
 間も無く、嫌でも、征二は引きずり出されるのだから。

 ロビーに降りた日向を、一人の少女が睨み付けた。日向と、奥に控えたマークスを見るや、僅かに身体を低くしたところを見ると、武器こそ出していないものの、彼女がどういうつもりでここに来たのかよく分かる。
「日向和真! 言った通り、私は来た! 征二を返してもらう!」
 ライカに答えず、日向は摘まんだデバイスの画面を見せた。画面には今の時刻が表示されている。
「そう急くな。あと二分ある。俺もあんたに返してやりたいが、こればかりは俺にもままならん。二分の間、ちょっと話をしようぜ」
「お断りだ!」
 余裕の態度が気に食わないのか、ライカが噛み付く。日向は気にも留めず続けた。
「まあそう言うなよ。この会話は征二も聞いてるはずだ。さて、ライカ=マリンフレア。あんたに訊きたい。あんたはなぜ、征二を迎えに来た? 碌なことにならないのは分かってるよな?」
「そんなこと——」
 ライカが苛立たしそうに歯噛みする。今にも獲物に襲い掛かろうと牙を剥く猛獣のようだ。
「そんなこと決まってる! 征二は、征二は私たちの仲間だ! 奪われたなら取り返す、それだけだ!」
「ノースヘルにとってもそうか?」
 日向が、冷たく言い放つ。ライカは一瞬目を見開き、そして顔を歪ませた。
「……それは」
 はっきりしない物言いは、思い当たる節でもあるのか。
「征二は自分のこと、自分を取り巻く状況、二つの意味で苦しい立場に立たされる。お前に征二を支えられるか?」
「ごちゃごちゃうるさい! 私は——!」
「もし選ばないといけなくなったら——どちらを選ぶ?」
「私は——」
 ライカが目を閉じる。逡巡し、再び目を開いた時、その顔から、苦悩の色は消えていた。
「ああ、私は——決まっている」
 真っ直ぐに、曇りのない目で日向を見据えるライカに、日向は満足そうに頷く。
「それでいい」
 日向は振り返り、並ぶ仲間たちを順に眺めた。一人ずつ、目に焼き付けるようにゆっくりと、束の間の別離を確かめる。最後にマークスで視線を止めた。少女は、何も心配ないと言うように、微笑みながら頷く。
「——時間だ」
 さよならとは言わない。日向だけでなく、誰も言わなかった。踵を返し、ライカへ一歩を踏み出す。日向の意識は、そこで途切れた。

 輸送車両の荷台で揺られながら、ライカはちらちらと隣の征二を気にしていた。
 無事に日向から取り戻した征二は、何かに取り憑かれたように虚ろで、まるで生気がなかったのだ。ライカは歩くことすら覚束ない征二を、半ば抱きかかえるようにしてB.O.P.を後にし、遠くで待機してもらっていた輸送車両に乗り込んだ。それまで征二は一言も発せず、ライカもまた、何も言えないでいた。征二の目の焦点は合っていない。こんな征二は初めてだ。
 征二を支えられるかと、日向は言った。愚問だ、日向などに言われるまでもない。だが、だとしても、この征二を見ていると少し不安になる。
 予想に反して、日向は呆気なく征二を返した。必ず一悶着あるだろうと踏んでいたライカにとっては些か拍子抜けする結末だが、労せず征二を取り戻せたことは僥倖だ。だが同時に、日向の思惑を訝ってもいた。
 ——征二の中に、日向がいる。
 それは紛れもない事実で、いつまた彼が表に出てくるか分からない。ノースヘルにとっても今の征二は爆弾で、易々と戦場で運用出来ない人材になったのは確かだろう。なら、征二の居場所は?
 日向の問いは刺さった。分かり切っているのだ。もうノースヘルに、征二が存在意義を見出すことは出来ない。彼はもう、水槽から放り出されたのだ。
 水を求めて喘ぐ征二の寄る辺になれるか? なりたいと、確かにライカは思う。しかし彼は自分を必要とするだろうか。この胸に抱きしめて、少しでもその傷を癒すことが、自分に出来るのだろうか。
 歯痒い。今も隣で、征二はこんなに苦しんでいるのに。なのに自分は声の一つも掛けられないでいる。こんなにも、こんなにも、征二の力になりたいと思っているのに。
 何て、自分は、無力な——。
「……僕は」
 その時、戻って来て初めて、征二がぽつぽつと口を開いた。
「僕は、偽物だったよ」
 ライカの胸に、熱い塊が込み上げる。衝動に突き動かされるように、征二の頭を抱き締めた。胸の中で征二が嗚咽する。ライカはただ、その震えを抑え込むように、強く強く力を込めた。何も言葉を掛けられない、その不甲斐なさを埋めるように、ただそれだけが許されたように、赤子のように泣く征二を抱えながら、ライカもまた涙を流す。
 痛みを、悲しみを、所在ない己を、遣る瀬ない思いを、全部、全部押しやるために。それが何も生まないことを知りながら。

 これから、どうなるのだろう。
 征二は、そして、私は。

 不意に浮かんだ泡沫の不安が、小さく影を落とした。

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