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BLACK=OUT 2nd

第八章第三話:罠

 踏み込みは認識するのが精一杯で、反応の暇など与えられはしなかった。止めようと前に出た征二の傍を潜り、抉るような拳の振り上げがライカを襲う。
「フィスト・ファスト!」
 フォーが叫んだ。その声に呼応するようにライカの身体が翡翠に輝き、輪郭がぶれ、そしてそこには拳を振り切ったマークスの姿だけが残る。
「支援用テクニカルだ。反応速度を高めて身体能力を強化する。普通なら圧倒するレベルだが、白相手じゃトントンが関の山か」
 一瞬で、ライカがマークスの背後に回る。繰り出した右手をマークスは後ろも見ずに屈んで回避し、そこから流れるように足払いへと移行する。ライカはそれを跳んで躱すと同時に眼下へ拳を落とした。
「おお! やるのう、やるのうライカ! ほれフォー、はよう妾にも支援を掛けんか。妾も混じる、混じるぞっ」
「雅、お前は一応後衛だろうがよ! ——ああったく!」
 くるくると独楽のように回るマークスの頬を、ライカの拳が削る。それは仕留めきれなかったライカには隙を、マークスには反撃の機を生んだ。剃刀のように鋭い手刀が、その切っ先に軌跡を描きながらライカの首元に迫る。
「楽しそうじゃの、妾も混ぜてくれ!」
 翠に光りながら飛び込んできた雅が、舞うように扇を振るった。もつれ合う三人の周囲に突風が渦巻き、砂煙を上げてマークスの身体だけが吹き飛ばされる。
「妾は風を操るのに長けておっての、斯様な乱戦でもお主だけを狙うなど造作もない。ふふん」
 得意げに鼻を鳴らし胸を張る雅が、ちらりと征二を見た。なるほど、言うだけのことはあって、雅の戦い方は優美で贅がない。
 マークスは空中で器用に身体を捻り着地した。余った勢いが彼女の小さな体躯をさらに奥へと押し込める。
「……テクニカルユーザー?」
 眉をひそめ雅を睨み付けるマークスに休む暇を与えず、次の一閃が彼女を襲う。雷のような軌跡を残しながら奔るそれを認識するのは、もはや征二には難しかった。
「その通りだ。お前たちB.O.P.と俺たちでは、ポジションの考え方が違う。雅は——前に出るテクニカルユーザーだ」
 フォーの支援で強化されたセブンが、圧倒的な速度をもってマークスに迫る。元々スピードにおいてはノースヘルでも右に出る者のいないセブンに更なる速度が上乗せされ、同じく強化されなければ視認すら不可能な領域に到達していた。
 それでもマークスには届かない。迫る刃の先、数ミリが足りない。マークスの動きは最小限で、確かめるようにセブンの斬撃を避け続ける。
「私は支援と回復に特化しています。速さも力も、あなた方には遠く及ばない。——つまり私のBLACK=OUTは、速度と力を志向しています」
 マークスの身体が沈んだ。残像を残し、実像はセブンの懐に潜り込む。
「させねーよ!」
 いつの間にか、もつれ合う二人の周囲を無数のナイフが浮遊していた。それらは全て刃先をマークスへと向けており、フォーの叫びに応じて一斉に少女へ襲いかかる。マークスの判断は速い。セブンの右腕の下を潜るように、その場を退避する。しかし完全に回避されたはずのナイフは軌道を曲げ、執拗にマークスへと追い縋った。驚異的なバランス感覚で躱すマークスだったが、その内の一本がついにマークスの腕を裂く。
 滴り落ちる鮮血。傷口を押さえ、顔を歪めるマークスがフォーを睨む。
「テクニカル? でも、これは……」
 得意気に口元を歪め、仁王立ちのフォーの周囲には、やはり無数のナイフが、刃を下に立った状態で浮遊していた。
「その通り、俺は式神使いだ。使役出来る数はこんなモン。碧もまあまあだが俺にゃ遠く及ばねぇなぁ」
 宮葉小路の式神は、確か同時に八体までだったはずだ。しかしフォーは、見る限りで十や二十どころではない数の式神を平気な顔で操っている。文字通り、格の違いが感じられた。
「そうですか。式神なら私がいくら逃げても追い続け、捉えることが出来る……そう言いたいわけですね」
 マークスがそう話している間にも、残る三人がじりじりと彼女を囲んでいる。征二は興奮と緊張で、思わず生唾を飲み込んだ。
 ——勝てるかもしれない。マークスに。
 いくら彼女が強いといっても、その主な攻撃手段は肉弾戦だ。一対一ならともかく、多勢に無勢ではマークスにとって有効な攻撃手段はない。ましてや唯一後方に控えているフォーはヒーラーであると同時に式神使いだ。三人の僅かな隙を帳消しにするだけの牽制は十分に出来る。
 味方に回復の必要がない時でも支援火力として機能する。そういう意味では、フォーとマークスは同じなのかもしれない。フォーは式神、マークスは銃という違いだけで——。
 ——銃?
 何かが引っ掛かった。マークスは二挺拳銃を扱う。その速射と命中率は他の追随を許さず、あるいはこの状況からでも逆転が可能になるかもしれない。
 いや違う、そうじゃない。征二は頭を振って己の考えを否定する。これはそういう類いの不安ではない。それにマークスは今、左腕を使えないはずだ。フォーの式神が与えた傷は深く、彼女は腕を持ち上げることも出来ていない。現に今も、マークスは傷を押さえて……。
「いけない!」
 頭が真っ白になる。これは、彼女の罠だ。
「止めるんだ! マークスは……!」
 征二の叫びに応じて、少女を囲む三人が飛び掛かる。
 だが、遅かった。
 マークスを中心に、白い光が眩く満ちる。突然の出来事に不意を突かれた三人は目が眩み一歩も動けなくなってしまった。
 ——同じだ、あの時と。
 マークスは傷を押さえる振りをして、指で記述詠唱を行っていた。あの光は回復のテクニカルが発動したということだろう。今の彼女は完全に傷も塞がり、自由に両腕が使えるはずだ。
 再び薄闇に覆われた場の中央、仁王立ちの少女は薄く笑っている。割かれたはずの左腕にはもう傷跡すらなく、ただその周囲に血で描かれた複数の幾何学模様があるだけだ。
「正解です、水島さん。半分だけ」
 ゆったりと歩くマークスが腰に手を伸ばす。銃を持つ気だ。
「させると思うか、白!」
 片目を瞑ったセブンが、その背に迫る。振りかざす剣がマークスを捉えようとした瞬間、その異変は起きた。
「私の思いも知らないで!」
 一喝、マークスを中心に、青い冷気が噴き出す。それは見る間に征二たちを飲み込み、周囲に満ちた。
「これは……こんな……」
 背筋が凍る。四肢から、その末端から気力が奪われていく。征二だけでなく、他の皆も同じであるようだ。マークスに襲い掛かったセブンも、剣を振りかぶった姿勢のまま硬直している。
 体が泥のように重い。芯が支えを失ったように心は不安定になり、何かへの渇望だけが精神を支配する。
 わけの分からぬまま、征二の頬を一筋の涙が流れた。

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