屠殺のエグザ
第十二章第九話:前進 と 停止
校門で上級生に絡まれている彼を見た時、今まで見付けられなかった「出口」を見付けた気がした。
〈エグザ〉であれば誰もが分かる、燦然たる〈析眼〉。それもとびきり、〈変成〉持ちだ。
これがあれば、自分たちの望みが叶う。それだけじゃない、弟を〈エグザ〉にしてやることが出来る。
彼の眼を奪うことに、何の抵抗もない。あるはずがなかった。
近付いて油断させ、奪う計画は、しかし修正を余儀なくされた。彼が、〈析眼〉を全く使いこなせていないことが分かったからだ。
今、この眼を奪ったとして、弟がそれを十分に使えるようになるには、時間が掛かる。ならば、彼自身に〈析眼〉を使わせよう。やがて硬い〈析眼〉が自由にその力を発揮出来るようになるまで、彼を戦いに投じよう。
計画は、順調だった。
戦いの最中、〈此の面〉の人間を助けたのは、自分でも驚きだった。いや、だがあれは、彼の信頼を得るためだ。決して、断じて、守りたいなどとは。
眼を覚まして、最初に見た顔。心配そうな顔をすぐに隠して。そっぽなんて向いて。憎まれ口を叩いて。
でも、ずっと手を握ってくれていた。
ああ――。
もしかして、私は。
目指す出口を、間違えたのか。
◇
静まり返るフロアに響く、こよりの嗚咽。〈エグザキラー〉は晶の傍を掠め、壁に突き刺さっていた。膝を折り、顔を伏せて。
「いつもそう。君は、ずるい」
そして、泣きながら。
「私にそれが出来ないことを、知ってるくせに」
ごめん。晶は、小さく息を吐いた。
「こうするしかなかった。宗一は、あの子は、すごく優しい子なの。料理が上手で、家族思いで。なのに――」
こよりが、泣き崩れる。
「私が、あの子を変えちゃった……!」
宗一は、戦うことを選んだこよりのために、世界を壊すことを選んだ。宗一にそこまでの決意をさせたのは、自分なのだ。
「やめよう、なんて言えない。あの子は、私のためにやってるのに。私のために、両手を血で汚したのに! 私があの子を裏切ったら、あの子は一人になっちゃう。あの子にはもう私しかいないの。最後の、家族なの!」
泣き喚くこよりを、晶は片手で抱き寄せた。左手はもう、使えない。
「止めよう、こより。宗一君を、止めよう。大丈夫、俺も行く。姉弟だろ、きっとちゃんと伝わる。お前が思ってること、ちゃんと言おう」
背負い過ぎたのだ、今まで。
腕の中で泣きじゃくるこよりの身体は、折れそうに細くて。なのに、誰にも頼れずに、ここまで来たのだ。
間違いだとか、
正しいだとか、
もう、そんなことじゃない。
「私、壊したくないよ。君のいる〈此の面〉を、壊したくない」
「壊さなくていい。そんなことしなくてもいいんだ」
「ここにいたいの、晶のいる世界に、〈此の面〉にいたいの」
ああ、それが。
やっと。
「それが、こよりの願い?」
返事の代わりか、こよりがぎゅっとしがみついてくる。
「やっと、名前を呼んだな」
いつか、こよりに言われた、同じ言葉。
「……許して、もらえるかな」
誰に対しての許しか、訊くまでもない。こよりは今、ようやく選んだのだ。
「当然だろ」
素っ気なく、当たり前の様に。
だけど、絶対に離さない。
二度とこの手を、離すものか。
◇
歪みに、頭がくらくらする。元の〈析眼〉に比べると、さすがに精度の落ちる〈析眼〉だが、それがむしろ、今はありがたいほどだ。
「大丈夫? 晶」
横から、こよりが心配そうに晶の顔を覗き込む。
「ああ。それより、お前は? それは元々宗一君のだけど、痛かったりしないか?」
「うん、大丈夫」
笑って答える。表情は、柔らかい。
晶の右眼は今、こよりの〈析眼〉だ。宗一が素直にこよりの言うことを聞いてくれればいいが、しかし。
「宗一は、もう後戻りが出来なくなっている」。それが、こよりの判断だった。ならば戦闘は避けられないかもしれない。
今の宗一は、最早〈エグザ〉にとって究極と言っていい存在だ。〈変成〉持ちの〈析眼〉、〈複製〉持ちの〈換手〉を持ち、使う〈神器〉は〈神器封殺〉。勝てる相手では、ない。
晶の眼を奪ったのは、自分だから。こよりは、右眼を、晶に与えた。
「零奈先輩たちは大丈夫かな」
「……宗一は、今の宗一は、強いから。あの三人でも、難しいと思う」
階段を降りる。階下からは、何も聞こえない。もし戦っているのなら、何かしらの物音が聞こえるはずだ。
ならば、勝ったか、負けたか。
いずれにせよ勝負は付いたのだろうが、果たしてどちらなのだろう。
「殺しは、しないと思う。あの子なら」
それは希望的観測か。
いや。
多分、違うのだろう。
ある意味では、もっと、残酷な。
「その通り。僕は殺さないよ。いつでも殺せるけどね」
声が、響いた。
暗闇に燗と光る右眼。幼さの残る顔立ちに不釣り合いな、狂気。
「宗一!」
やあ、と宗一は、両手を広げてみせた。
「おかえり、姉さん。首尾はどうだい? ああ、聞くまでもないね、彼がそこにいるということは、結局殺さなかったんだ。あれ、じゃあ、でも何で彼が姉さんの〈析眼〉を持ってるの? 新しい余興かい?」
「聞いて、宗一!」
宗一が、焦点の合っていない眼でこよりを見ている。一瞬こよりは躊躇するが、しかしもう止まれない。止まり続けるわけには、いかない。
「もう、終わりにしよう。こんなの、やめにしよう? こんなこと、お父さんも、お母さんも、望んでないよ!」
あの日から、止まってしまったままの時間を、再び動かさなければ。
もう、どこにも行けはしない。
宗一はしばらく、こよりと晶を交互に眺め、やがておかしそうに笑った。
「ああ、なるほどね。村雨晶。君は本当に、僕にとって邪魔な存在みたいだ。僕の姉さんに、あまり変なことを吹き込まないでもらいたいな」
「違う、宗一!」
「僕はね、ずっとあんたが嫌いだった。僕と同じ、出来損ないの〈エグザ〉。僕は〈換手〉だけ、あんたは〈析眼〉だけ。僕の〈換手〉は〈複製〉持ちで、あんたの〈析眼〉は〈変成〉持ち。同じ、同じはずなのに、あんたは〈析眼〉が使えて、でも僕は〈換手〉を使えない。眼を伴わない〈換手〉は、ただの役立たずだ。あんたを見てると、自分が惨めで仕方ない」
だけど。
劣等感か。
――否。
「今の僕は、〈析眼〉を手に入れた。事実上、最強の〈エグザ〉だ。徒人になったあんたとは違う。生殺与奪さえ、僕の思うがままだ。折角生かしておいてあげたのにさ、世界が壊れるところ、見たいだろうから。でも、もうだめだ。あんたを生かしておくのは、姉さんにとって良くない。――殺すよ」
語る口調は、優越感に満ちていた。
最後の言葉は、ひたすらに怜悧で。
刃を向けるよりもなおはっきりと、敵対の意思を示している。
「ひとつだけ、訊いておきたい。零奈先輩たちは、無事なのか?」
予想外だったのか、宗一は一瞬面食らったような顔をしたが、すぐに暗い笑みに戻った。
「生きてるよ。大したことなかった。殺すまでもなかったよ」
周囲に眼を配るが、三人の姿は見えない。既に〈移動〉させられた後か。
「でもあんたは殺す。殺して、この世界を壊すんだ」
見ていて、姉さん。
宗一は、笑った。