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屠殺のエグザ

第五章第四話:背中 と 小石

 目の前に〈浸透者〉はいる。なのに、攻撃は背後から受けた。不意打ちによる動揺と、背中を強打されたことによる痛みでよろめきながらも、こよりは攻撃の来た背後を振り返った。
(――やられた……っ!)
 〈浸透者〉の射出した角は、鎖で本体と繋がっている。その鎖が橋の欄干に掛かり、飛び去ったはずの角がこよりへ帰ってくるようになっていた。最初にこよりを狙った攻撃は外れたのではなく、次の攻撃への布石だったことになる。
(あの時頭を振ったのは、鎖を上手く引っ掛けるた……うあっ!)
 再び背中に痛み。〈浸透者〉に背を向けていたのだ、当然と言える。
 耐えかね膝を付くこより。しかし、留まるのは自殺行為だ。こよりは、まだ激しい痛みの引かない体を捻り、次に来るだろう攻撃を回避する。
  〈エグザ〉は〈析眼〉で、敵の動きを予見し、行動する。僅かな筋肉の動きから、次に動く筋肉、ひいてはそれが生み出す結果とも言える攻撃の軌跡を読むこと で、未然に危機を回避するのだ。それらは全て、物体の本質を見抜く眼〈析眼〉の能力の賜物であり、それこそが〈エグザ〉の回避能力の全てを支えていると 言っても過言ではない。
 逆に言えば。

 背後から、視界の外からの攻撃に対しては、無防備になる。

 こよりは、回避した方向――左側から払われた〈浸透者〉の腕によって、弾き飛ばされた。未だ鎖の絡む欄干に一度激突し……河へと、落ちていく。
「おい、大丈夫か!」
 晶が叫び、駆け出すと同時に、〈浸透者〉は角を元に戻し、その巨大な体躯に対して些か異様なほど俊敏に、橋の向こう側へと走って行ってしまった。晶は一瞬躊躇するが、今は〈浸透者〉を追うより、こよりの無事を確認せねばならない。
 ちょうどこよりが落ちた辺りから、下を覗き込む。しかし夜の川面は真っ黒で、こよりの姿は見当たらない。耳を澄ませてみるが、不自然な水音が聞こえるわけでもない。
「くそっ」
 晶は岸へ戻り、土手を駆け下りた。まさか〈エグザ〉たるこよりが泳げないなどとは思わないが、彼女は戦闘によるダメージを受けている。もしかしたら昏倒しているかもしれない。打ち所が悪ければ――。
「ちくしょう、お前はあれくらいで死ぬようなタマじゃねぇだろ!」
  叫びながら、河岸に群生した雑草を掻き分け、河へと近付いていく。もしも意識を失っているのなら――最悪の想像を、思い描いては否定し、晶はこよりを探し た。誰も手入れをしていないとしか思えないほど生えている雑草は、この季節にあってもなお晶の背よりも高い。分け入ると視界など無いに等しいその中へ、晶 は躊躇無く踏み込んでいく。
「くそっ……」
 まさか本当に死んだんじゃないだろうな?
 馬鹿言うな、お前が死んだら誰が俺を守るって言うんだよ。
 お前は、お前が――。
「俺を守るんだろうが、ちゃんと仕事しやがれ、この腹黒〈エグザ〉っ!」
 同時に、晶の額に小石が命中した。
「誰が腹黒〈エグザ〉よ。失礼だね君は」
 藪の向こうから、少女の声が聞こえる。晶の正面、伸びきった草を掻き分けてひょこりと出た顔は、間違いなくこよりだった。
「お……ま……」
 こよりは、全身びしょ濡れだった。しかし見たところ、出血などはしていないようだ。晶は一瞬、額を押さえて硬直していたが、
「何も石ぶつけることはねぇだろ!」
すぐに、そう怒鳴った。
「人の悪口を言う方が悪い」
 こよりは、相変わらずの涼しげな表情で切り返す。なおも反論しようとして、左手で押さえている右腕が眼に入った。
「……腕、痛いのか?」
 右はこよりの利き腕だ。痛めたのだとしたら戦闘では不利だし、怪我の具合如何によっては、戦闘続行は不可能である。それに、何より――。
「うん、でも大丈夫。まだ戦えるよ」
「折れてはいないのか?」
 平気そうにこよりは答えているが、痛みを堪えているのが丸分かりだ。
「ちゃんと動くし、今は私の腕より〈浸透者〉を片付けるのが先だもん。治療なら、その後で充分だから」
 何でも無いことのように、当たり前のようにこよりは言う。それは違うだろ、という言葉は、結局口から出せなかった。それがこよりにとっては当然で、疑う余地も無く、だから戦うことの出来ない自分が言えることでは、なかったから。

「どっちに行ったの?」
 晶と共に土手を上がり、こよりは問うた。河に落ちたこよりは、逃げていく〈浸透者〉を見ていない。
「進んできた方向に、橋を渡っていった。結構な速さで逃げていったけど、多分、まだ近くにいるぜ」
「それは……まずいね」
 こよりは、〈浸透者〉が向かったと思われる場所を見据え、眉根を寄せた。その視線の先には、数年前に建ったマンション群がある。
「時間が時間だから出歩いている人は少ないと思うけど、最悪の場合は……」
「また人が襲われる、ってのか?」
 言葉を継ぎ、問うた晶に、こよりは無言で頷いた。今回は、こよりの背後から奇襲をかけるほどの〈浸透者〉が相手だ。今まで戦ってきた相手より、ずっと知能は高い。そんな敵が、住人が沢山眠っているであろうマンションなどに近づいたら――。
「時間が無い。ねえ君、私の剣は?」
 晶から、橋から落ちたときに手を離れた剣を受け取ると、こよりはそれを軽く振った。と同時に、僅かに顔が歪む。
「やっぱり痛むんじゃないのか?」
「大丈夫、これくらい」
 こよりは笑うが、その額には汗が浮いている。やはり、相当痛いらしい。
「行こう。手遅れになる前に」
 言って、こよりは先に駆け出した。慌てて晶も、後を追う。いつの間にか、夜風の冷たさは気にならなくなっていた。

――どうして、そうまでして〈浸透者〉を追うんだろう。
 橋を渡りきり、土手の上の道路と交差する十字路を左へ。少し進むと現れる、真っ直ぐ土手の下へと降りられる脇道を二人は駆け下りる。
 揺れるその背中を見ながら、晶はずっと感じている違和感を考えていた。
 こよりは、〈浸透者〉を追うのが〈エグザ〉の役割だと言っていた。なら、あの行動は――己の傷を押してまで〈浸透者〉を追う姿勢は、義務感の表れなのだろうか。それとも、一般人に被害が及ばないようにという、ある種の正義感だろうか。
 解らない。
 晶は、自分に出来ることしか知らない。自分に出来ないことしか知らない。
 自分は戦えないから、戦わない。戦えるほど強くない。自分を守れないほど弱いのに、戦えるわけがない。それを、晶は知っている。
――あいつだって、解るはずなのに。
 怪我をした腕で戦っても、不利なだけだ。それでもし死んでしまったら、どうするというのだろう。使命だ義務だというのなら、こよりには何より「生き残る」という、そのための大前提があるはずだ。
――どうしてあいつは、そんなに戦いたいんだろう。
 ふと、何となく頭をよぎった疑問に、晶は慌てて首を振った。
 そう、誰も、好んで戦ったりなどするはずがないのだから。

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