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屠殺のエグザ

第六章第三話:こより と 過去

 暗い部屋の中。陽はとうに暮れており、しかし照明は落とされたままである。団欒を目的として作られたこのリビングダイニングには、当然のようにテレビも置かれているが、それも今は電源が入っていない。
 テーブルと揃いの椅子には、こよりが俯いたまま座っている。その表情は、暗い室内でも更に影を落としていた。
 そんなこよりに背を向けるようにして、晶は立っている。二人の間に言葉は無い。互いの息遣いさえ聞こえない静寂に、この部屋は沈んでいた。

 こよりを庇って立ちはだかった晶に、零奈は苛立ちを隠せない様子でまくし立てた。
 どうして、なぜそんな女を庇うの? その女は貴方を騙していたのよ。このままじゃ貴方は殺される。退いて、その女だけは許せないの。
 晶は答えない。いや、答える必要などなかった。自分はこよりを守ると決めた。無茶をして傷付くこよりの盾になると決めた。こよりが本当に悪者なら――それを暴かれたくらいで、こんなに傷付いたりしない。
 晶に退く意志が無いことを知ると、零奈は悔しそうに顔を歪ませ、一歩下がった。
 私は貴方を傷付けるわけにはいかないの。だから、今日は退くわ。だけど、いつか必ず〈屠殺のエグザ〉は私が倒すから。そして、貴方を守るから。
 そう言って、零奈は姿を消した。

「……どうして……」
 何時間もの沈黙を破って、こよりが消え入りそうな声で呟いた。
「どうして、何も訊かないの……?」
 あの後、茫然自失のこよりを引っ張り起こして、とりあえず家に入った。落ち着けようとこよりの前に置いた水は、今もまだ手付かずのままである。日が暮れて部屋が暗くなっても、晶は動けなかった。ほんの僅かでも、今はこよりの傍を離れてはいけない気がして。
 そうして始まった、永遠に続くかと思われた静寂を破ったのは、本当に小さな声。晶もまた、静かに答えた。
「必要ねぇよ」
 どうして、こんなぶっきらぼうな言い方しか出来ないのだろう。きっと、もっと気の利いた台詞なんて、いくらでもあるだろうに。だがそれでも、今の晶には精一杯の台詞である。この気持ちは、こよりに届いただろうか。
 こよりは、言葉を続けなかった。しかし、また始まった沈黙は、今度は長く続かなかった。
「私は……〈屠殺のエグザ〉よ」
 ぽつり、と。
 呟くように、こよりはその二つ名を口にした。
「〈急進の射手〉小篠零奈が言った事は、本当。〈彼の面〉では返依すべき〈浸透者〉を残らず殺し――〈此の面〉では〈エグザ〉を……」
 最後の方は、声が掠れてよく聞こえなかった。
 しばらく、嗚咽が続いた。暗闇の中で吐露される、少女の過去の代償。――恐らくは、晶が知らなくてはならない、消せぬ罪過。
「私は、〈彼の面〉で生まれた〈エグザ〉。お父さんもお母さんも、〈エグザ〉だった――」
 〈エグザ〉を両親に持ち、自分もまた〈エグザ〉であったとしても、家族の幸せに変わりは無い。こよりは幸せだった。両親と弟の四人で暮らしていた、〈彼の面〉の記憶。その頃は、〈エグザ〉であることは、何の関係も無かった。
 しかしある時、事件が起こる。こより達の家の中で、〈浸透者〉が表出したのだ。まだ幼かったこよりに戦う力は無く、ましてや弟は〈エグザ〉ではなかったため、戦うことは出来なかった。
 こよりの両親は、こより達を守るために戦い、そして――命を落とした。
「私は、〈此の面〉を憎んだ。〈此の面〉にいる〈エグザ〉がちゃんと仕事をしていれば、私たちの家に〈浸透者〉が表出することなんて無かった。そもそも〈此の面〉さえ無ければ、〈浸透者〉なんて存在は有り得なかった」
 それからこよりは、戦い続けた。まだ幼く、ただ〈対置〉能力を持っているというだけの少女が、憎しみに突き動かされて。
「憎かった。〈浸透者〉が。だから私は殺し続けたの。返依すなんて許さない。私のお父さんもお母さんも帰ってこないのに、彼らだけ〈此の面〉に返依るなんて、許せない。そう、思っていたから……」
 やがて、〈エグザ〉の責務から逸脱したその行動は、〈協会〉に目を付けられることになる。度々こよりを止めるために〈エグザ〉が派遣され、時には力尽くでこよりを拘束しようとした彼らを――ある日、こよりは殺してしまった。
「不思議と、恐ろしくはなかった。だって、私は〈エグザ〉も憎かったから」
 しかしそれが、こよりの指針を変えた。〈彼の面〉に〈浸透者〉が現れる遠因となった〈此の面〉の〈エグザ〉。彼らを殺してしまえば、〈此の面〉は〈浸透者〉に飲み込まれる。――〈此の面〉を、滅ぼすことが出来る。
「そして私はここに来た。この世界を……〈此の面〉を、壊してしまうために」
 こよりが〈此の面〉へ渡ったという情報を得た〈協会〉は、何人もの〈エグザ〉を〈此の面〉に送り込んだ。〈此の面〉側の〈エグザ〉もまた、自分たちを殺しに来たこよりを警戒し、そして結果的には、こよりは殺す〈エグザ〉に不自由しなくなっていた。
 そうして何十人と〈エグザ〉を殺めていくうち、いつしかこよりは〈協会〉から〈屠殺のエグザ〉と呼ばれるようになっていた。まるで家畜のように同胞を手に掛ける、史上最悪の〈エグザ殺し〉と。
 そうして日本に来て、晶を見たとき、こよりは晶を殺すことしか頭に無かった。
「最初はね、最初は君を殺そうと思ってたんだ。〈変成〉持ちの〈析眼〉を奪えば、私はもっと強くなれる。――私の復讐の、力になる」
 零奈の言っていることは、本当だった。少なくとも最初は、晶は騙されていたことになる。
「……どうして、殺さなかったんだ?」
 でも、そうだ。
 今のこよりに、晶を殺したり、〈析眼〉を奪う意志は無い。それだけは、信じられる。
「君が、……優しすぎるから……っ」
 こよりが顔を伏せる。再び激しくなる嗚咽。普段の明るくて腹黒くて、悪戯でよく笑うこよりからは、想像もつかない姿だ。
「何度も、何度も殺そうと思った、〈析眼〉を奪おうと思ったのに……っ。この家に住まわせてくれたり、ごはんの用意してくれたり、辛い戦闘の時に助けてくれたり、私を……守るって、言ってくれたり……っ」
 今までずっと、追われるだけだった。眼の前に現れる人は、皆自分を狙う人だった。
「だから、私は失いたくないの。君を、君がいるこの〈此の面〉を。お父さんとお母さんが死んで、君まで失ったら――私は、本当に一人になっちゃうから……」
  そうか。晶は、ここでようやく気が付いた。こよりは、〈此の面〉や〈エグザ〉が憎くてここに来たんじゃない。自分を守ってくれた大切な人を奪われて、その 理不尽にどうしていいのか分からずにここまで来てしまったのだ。こよりが本当にしたかったのは、〈此の面〉を滅ぼすことじゃない。――失ってしまった大切 な人を、取り戻すことだったのだ。
「どうして……こうなっちゃったのかな……」
 こよりが呟く。最初に〈エグザ〉を手に掛けてしまった時点で、ある意味では運命は決まっていたのかもしれない。粛清のために襲い来る〈エグザ〉を倒さなければ、生き延びられなかったのだろうから。
 こよりの行動は、客観的に見て悪に他ならない。零奈から見て許されざる行為であることも事実だろう。それはこよりも分かっている。これが正義と掲げられるものは、何も無いということを。
「ごめんね。私は、君を騙してた」
 こよりが、立ち上がった。
「私、出て行くね。もう、二度と君の前には現れないから。あ、でも、ちゃんと護衛はするからね。君から見えないように、君が気分悪くなったりしないように、気を付けるから、だから――」
 そして振り向いたこよりは、泣き顔に満面の笑みを張り付かせていた。
「――だから、さよなら、だね」

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