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屠殺のエグザ

第十一章第八話:携帯電話 と 援軍

 被害を受けたのは携帯電話だけ。それはまさに、奇跡的な状況だった。いや、少ないながらもこなしてきた、実戦経験が生きたのだろうか。
 レイスの一閃、〈陽炎魔鎌〉の一撃、その切っ先が見事に命中した。件の携帯電話は今、〈陽炎魔鎌〉の先で突き刺されている。
――やっぱり、逃げ切るのは無理か。
 額を冷たい汗が流れていく感覚。喉はカラカラに乾き、こよりから預かった〈神器・エグザキラー〉を握る右手が震える。誰の眼にも、晶が極度の緊張に襲われていることは明らかだろう。究極の〈エグザ〉殺し、〈四宝を享受せし者〉が相手とあらば、それも致し方ないことではあるが。
――なら……戦うしかない。
 だとしても、晶は気丈にレイスを睨みつける。少なくとも、背後からの一撃を、自分はかわせた。空気の流れを読んでの回避行動は、既に幾度となく行っている。それと同じことを、やっただけ。
 レイスは、未だ〈陽炎魔鎌〉の先に貫かれた携帯電話を気にするでもなく、晶を見ている。顔のおよそ半分を覆うゴーグル――〈析眼加速〉により、相変わらず表情は読めない。いや、少なくともレイスに限って言えば、何も着けていなくとも読めなかっただろう。
 晶は腰を落とすと、〈エグザキラー〉を構えた。
 大丈夫、使える。この手は〈換手〉じゃないけど、〈神器〉は使えるんだ――。
 考えてみれば当たり前だ。使用者が〈変成〉や〈複製〉の能力を持たなくとも、〈神器〉はその能力を如何なく発揮する。そのために組み込まれた〈対置回路〉が、眼や手の代わりをする。なら――徒人にも、使えるはずだ。
 〈エグザキラー〉の刀身に幾本も走る紅の線、埋め込まれた〈対置回路〉が活性化し、その能力を発現する。レイスが持つ〈陽炎魔鎌〉のアンチテーゼとして制作されたこの〈神器〉は、レイスにとってまさに天敵。〈変成〉の有無という一点を除き、ほぼ対等な〈析眼〉を有する相手であっても、圧倒的な差がある実戦経験の溝を埋めるに十分なはずだ。
 勝てる、いや、勝たなきゃ。
 とにかく、〈陽炎魔鎌〉を無効化する。その一点に集中し、晶は最初の一歩へ踏み込もうとして――睨んだ視界が捉えたものに、踏み込みを躊躇してしまった。

「……〈対置〉……?」

 眩い白光は、間違いない、〈対置〉のそれだ。だが、レイスがその手に握っていたものといえば。
 果たして、レイスの右手に収まっていたはずの〈陽炎魔鎌〉は、一振りの巨大な剣へと姿を変えていた。
 レイスは、少なくとも二メートルはありそうな大剣を、軽々と肩に担ぐ。柄を縦方向に囲むように存在するリングが鍔に接続されているあたり、およそ剣とは思えないデザインだが、分厚い刀身はどう見ても剣のそれだ。そしてその刀身の表面に走る朱は、間違いない――
「〈神器〉……」
 ここにきて三つ目の〈神器〉か。〈陽炎魔鎌〉、〈析眼加速〉に引き続き現れた〈神器〉は、真琴から得た情報に含まれてはいない。
 レイスの行動は、晶を倒し〈エグザキラー〉を得るために必要なものなのだろう。だとすれば、あの〈神器〉はレイスにとって切り札に等しいものに違いない。ほとんど交戦らしい交戦をしていない二人だが、既に状況は〈神器〉戦と言ってよい様相を呈している。こちらの〈神器〉を上回る能力を、あの大剣が持つというのなら、勝機は。
「それでも、だとしても!」
 徒人であること。〈神器〉の知識に乏しいこと。実勢経験の決定的不足。
「だとしても、負けるわけにはいかないんだよ!」
 晶が走る。そうだ、俺には〈変成〉がある。唯一の違い、唯一の能力差。万に一つの可能性でも、そこに全力を注ぎ込めば、あるいは。
 晶がレイスに到達するより早く、レイスが無造作に大剣を横薙ぎに振るう。間合いの違い、そんなものは承知の上だ。大剣の軌道は高い。潜れる。
 疾駆の姿勢をより低く、次の一歩を踏み込む。頭上の大剣が髪を数本飛ばすのも構わずに、レイスの懐に潜り込んだ。もう、こっちの間合い。力強く踏み込んだ左足を軸に、〈エグザキラー〉を右から逆袈裟に振り上げる。
 カウンター気味に放たれた剣閃は、しかしレイスに届かない。振り回した大剣はとうに振り切られており、その巨大な質量が生み出す遠心力を利用して、レイスは真後ろに下がっていた。だが、それすらも。
「読めてる!」
 裂帛、剣を振り上げた姿勢のまま、次の一歩を踏み込む。レイスの体は宙に浮いたまま。迫撃は間に合うか。
 間に合う。そう晶が判断した時には、既に振り上げからの振り下ろしに、体勢は移行していた。ようやくレイスが着地。ここからでは回避は間に合わない。ならばレイスは、受けるしかない。ここは読んでいたか、レイスは空中にいる間に、既に右腕を引き、大剣を体に引き寄せていた。晶の攻撃を当てることは難しいだろう。だが。
「これで……!」
 〈エグザキラー〉を当てれば、レイスの〈神器〉の機能を無効化、あるいは限定できる可能性がある。〈陽炎魔鎌〉のように〈神器〉自身も〈対置〉効果の対象に入っていれば、の話だが、悪い賭けではない。
 〈エグザキラー〉とレイスの〈神器〉、二つの〈神器〉が急速に接近する。そして。
「ダメーっ!」
 突如響いた少女の叫び声。この声は、間違いない。
「真琴!?」
 鬼気迫る叫びに、得体の知れない不安が晶を襲う。本能が鳴らす警鐘に、しかし既に攻撃態勢に入った身体は止まらない。打ち合うな、打ち合っては駄目だ。だが、もう遅すぎる。
 激突する刀身。散る火花。そして、眼も眩む白光。
 それが収まった時、晶の手に握られていたのは〈エグザキラー〉ではなく、ただの剣だった。
 レイスが僅かに眉をひそませる。思わず漏らした動揺を振り払うためか、レイスは些か乱暴に〈神器〉を薙いだ。その細身からは想像できない力強い一閃に、晶は身体ごと吹き飛ばされる。
 だが、動揺を見せた意味は大きい。吹き飛ばされながらも、あまりに無防備にさらけ出されたレイスの筋運動は、晶に受身を取らせるだけの余裕を与えた。宙で綺麗に身体を捻り、足から着地。慣性に従い、後ろへ持っていかれそうになる身体を、前傾姿勢と足の踏ん張りで安定させる。地面を滑る靴の裏から、ゴムの焦げる匂いがした。
「……こより!」
 レイスを挟んで向こう側、並ぶ二つの人影の右側。
 晶が置いてきたはずの少女、倉科こよりが、〈エグザキラー〉を手に、立っていた。
 レイスの反応は速い。即座に状況を把握し、振り向きと接近を同時にこなす。三十メートルはあったはずの距離は、一瞬にして消滅した。レイスの目前には、既にこよりが迫っている。
 振り下ろされたレイスの〈神器〉を受けたのは――晶だった。
 今度こそ、レイスの顔が驚愕に歪む。一瞬の隙を突いて、晶はお返しとばかりに吹き飛ばした。晶と同じく宙で姿勢を整えるレイス。だが、晶との違いが一点あった。それは、背後に待ち構える存在があるということ。
 疾風の如き踏み込みは、両者の相対速度を恐ろしく増加させる。〈エグザ〉ですら反応できるか怪しい襲撃は、ましてや視界の外、背後から放たれる一撃。防げる方が、おかしい。
 重さこそないものの、カミソリを思わせる速さとするどさを伴った双牙、真琴の持つ〈SHDB〉がレイスを襲う。防げるはずのないそれを、しかしレイスは剣を背中に無理矢理回すことで辛くも防いだ。だがそのために姿勢の安定化を犠牲にし、真琴とすれ違った後、その身体が地面を転げる。
「大丈夫でしたか、先輩」
 そのまま晶たちと合流した真琴だが、レイスから眼を離しはしない。依然脅威は脅威としてそこにあるのだ。
「……よくあの状況で、俺と真琴を〈対置〉できたな。絶対、やってくれないと思ってたけど」
 こよりは答えない。いや、なんと答えていいのか、迷っているようだ。
「……一人じゃ、できないこともあるよ。君も――私も」
「ああ」
「〈四宝を享受せし者〉を一人で何とかしようなんて、無茶すぎ。君は……無謀だよ」
「お前には言われたくないな、それ」
 時ならぬやり取りに、しかし晶は、少しだけ心が軽くなるのを感じていた。

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