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屠殺のエグザ

第七章第一話:少女 と 少年

 翌朝、晶とこよりは、いつものように並んで家を出た。右手には鞄、体を包むのは学校指定の制服。たとえ〈協会(エクスラ)〉から追われていようとも、二人は高校生なのだ。
「怪我は大丈夫なのか?」
 晶は、前を向いたまま尋ねた。
「あ、うん。――大丈夫」
 こよりもまた、俯いたまま答える。
  昨夜はつい何も考えずに、こよりを抱きしめてしまったが、冷静になって考えてみたら、あれは相当恥ずかしい。いや、しかしあれで、こよりが落ち着きを取り 戻し、家を出ることを思い留まったなら、効果というか対応という点では間違いではなかったわけで、しかしやはり相手の気持ちも考えずにそういう行動に出るのはどうだろうかと――。
 結局、晶の思考は同じところをぐるぐる回るだけで、つまりは頭が回っていないのと同じなのだ。結論はどこにも行き着かずに、漂流しているだけである。
 そんな調子で、朝から二人の会話は極端に少ない。もっと正確言えば、会話が続かない。晶の理由は昨夜の、己の行動だが、こよりの理由は何だろうか。こよりも同じく、昨夜のことが原因ならば、晶としては――悪い気はしない。
(まあ、違うだろうけどな)
 隠してきた、蓋をしてきた過去を、零奈によって暴かれた。その精神的ショックが大きいのだろう。一昨日は身体に傷を負い、昨日は心に傷を負った。傷だらけのこよりに、自分は何が出来るだろうか。
  会話らしい会話も無いまま、人通りの多い通りへ出た。通勤途中のサラリーマンらしき人に混じって、学生の姿もちらほら見られる。晶たちと同じ高校の制服だけでなく、この近くの中学生も歩いていた。駅へと続いているこの通りは、歩行者だけでなく車も多い。一応信号は付いているものの、晶たちが通りに出た時に、ちょうど赤になってしまった。どちらにせよ、高校はこの道をずっと辿った先にある。二人は信号を待つことなく、通りに沿って進路を変えた。
「コンビニ、寄るんだよね?」
 駅に向かって歩きながら、こよりが口を開いた。いつものことながら、昼食を調達しなければならない。
「ああ。……マズったな、もう信号無いぞ」
 高校の近くにあるコンビニは、晶たちが今歩いている側の反対に建っている。そして、先ほど渡りそびれた信号が、向こう側に渡れる最後の信号だった。
「駅前なのに、なんであそこだけ信号が無いんだろうね?」
「俺に訊くなよ。国土交通省にでも問い合わせてくれ」
 一応の横断歩道は付いているのだが、肝心の信号機が付いていない。交通量も多いため、ここを渡るには強行突破か、あるいは長時間立ち尽くさなければならないのだ。考えただけで晶はうんざりする。見えてきた件の横断歩道には、恐らく二人と同じ境遇であろう人が何人か、車が途切れるのを待っていた。
「〈析眼〉開いて駆け抜けるか?」
  物体の本質を見る眼、〈析眼〉を用いれば、移動している車の速度や加速度、ここまでの距離や到達時間その他諸々が正確に把握出来る。加えて、〈析眼〉が持つ自己の最適化機能によって、運動能力は肉体的・物理的限界まで高められるのだ。〈析眼〉を駆使すれば、次々と走ってくる車の隙間を駆け抜けることは、造作も無い。
「怒られると思うよ、そこ交番だし」
 こよりが指した通り、コンビニの裏には交番がある。どう考えても強盗には入られそうに無い立地だ。
「交番から直接は見えないし、一気に駆け抜ければ――」
と、晶が言いかけた時だった。横断を待つ人々の足元から、五歳くらいの少年が、道路の向こう側へと駆け出したのが見えた。
「まずいっ!」
 晶は咄嗟に、右眼を隠していた前髪をかき上げ、〈析眼〉を開く。手前の車線は大丈夫、だが反対側の車線はカーブしており見通しが悪い。建物の隙間から見え た車の速度と視界を考えれば、少年を発見した時にブレーキをかけても、空走距離が終わる前に少年に当たってしまう。ここから少年までは十五メートルほど。 一気に駆けても、間に合うかどうかは微妙だ。
 しかし、助けないわけにはいかない。
 晶が飛び出すと同時に、飛び出した少年に続いて、もう一つの人影が飛び出した。人影は人間離れした速度で近付くと、少年を抱き上げる。そしてそのまま速度を落とさずに、向こう側へと駆け抜けた。直後に、人影の背後を自動車が通過する。
「ダメですよー飛び出しちゃ」
 その声は、まだ幼さの残る少女のものだった。間一髪で少年を助けたというのに、とてもそうは思えないのんびりとした口調。少女は抱きかかえていた少年を下ろし、少年と視線を合わせるようにしゃがんだ。一拍遅れて、横断歩道で待っていた人たちから歓声と拍手が巻き起こる。
「大丈夫だったのか、あんたは」
 晶とこよりが、少女に駆け寄った。どうやら少女は、この近くの中学校に通っている生徒らしく、藍色のセーラー服を着ていた。晶は素早く〈析眼〉で確認するが、どうやら二人とも怪我は無いようだ。少女は晶の方へ振り向き、答えた。
「あ、はい。大丈夫で――」
「無茶しすぎだ。もし――」
 言いかけた二人が、同時に絶句する。そして、一瞬の後。
「あ……あわわわわーっ!」
 少女は叫び、信じられない速度で逃げていった。
「な……何、あれ」
 少女の奇異な行動に、こよりが呆然とする。よほど晶が怖い顔をしていたのだろうか。
「どうしたのかな、あの娘」
 こよりは晶に問うが、晶は少女が去っていった方向をじっと見つめている。
「どうしたの?」
「あの娘……」
 足元の少年が、そのままどこかへ駆けていく。少女の救出劇を見ていた人たちも、朝の慌しい時間に押されるように散っていった。
「あの娘、〈対置能力者(エグザ)〉だ」
「〈エグザ〉? あの娘が?」
「ああ。〈析眼〉を持っていたし、助けた子の肩を持っていた手は、確かに〈換手〉だった」
 物体の本質を見る〈析眼〉、物体の位置情報を書き換える〈換手〉の両方を持っていれば、物体と物体を入れ換える〈対置〉能力は扱える。少年を助けた時の身のこなしは常人離れしていたが、それも〈析眼〉や〈換手〉がもたらす、自己の最適化の恩恵なのだろう。
「君にそれが分かったってことは――」
「多分、あの娘も気付いた。俺もあの娘も、〈析眼〉を開いていたしな」
 〈エグザ〉には〈協会〉と呼ばれる連合体がある。ほとんどの〈エグザ〉はそこに加入しているということなので、恐らくは彼女もそうなのだろう。ならば。
「片眼だけ〈変成〉持ちの〈析眼〉なんて、君くらいだからね。――見るなり逃げたってことは、君の素性と……私が誰か、分かったって事かな?」
 こよりが力無く笑う。己の復讐のために〈エグザ〉を殺め続けたこよりは、〈協会〉から〈屠殺のエグザ〉と呼ばれ、追われているのだ。そしてこよりは、そんな自分を悔い、責めている。
「いずれ分かるさ。こよりが〈屠殺のエグザ〉なんかじゃないって事は」
 だから、それまでは。
 自分が、彼女を守らなければ。
「うん、でも……私のやってきたことは、消えないから」
 過去は消せない。過去は変えられない。物体の本質を自在に書き換える〈変成〉という能力を持つ、晶の特別な〈析眼〉をもってしても。これから襲い来る〈エグザ〉を打ち倒し続けても、こよりの傷は深くなるだけだ。
 分かっていた。過去も未来も、修羅でしかないのだと。
「――過去は……償える」
 いつか、こよりに罪を購える機会が訪れるまで。
「だから、大丈夫だ、こより」

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