インデックス

他作品

ランキング

屠殺のエグザ

第五章第六話:析眼 と 覚醒

「――――――!」
 自分でも、何を叫んでいるのか分からなかった。異様の風体を纏う〈浸透者〉の足元に転がるこよりは、ぴくりとも動かない。
 こよりが突き飛ばし、助けた夫婦が、悲鳴を上げて逃げていく。その姿を眼で追う〈浸透者〉。
 晶は踏み出していた。何も考えられなかった。自分が戦えないとか、〈浸透者〉が怖いとか、そんなことは、何も。
「こっちだ、〈浸透者〉!」
 叫びながら、足元の小石を拾って投げる。逃がした夫婦を追おうとしていた〈浸透者〉は、横槍を入れてきた晶へ振り返り、向き直った。

 バカ野郎、そんな傷で、知らない他人を助ける奴があるか。今お前が死んだら、誰が俺を守るんだよ。お前、本当は俺を守る気なんて無いんじゃないのか。無茶ばっかりしやがって。

 〈浸透者〉へ向けて、駆ける。武器になりそうなのは、こよりが落とした剣だけだ。それは今、〈浸透者〉の足元に転がっている。

 お前がそんなんじゃ、安心して守ってもらうなんて出来ないじゃないか。そうやって戦って、傷付いて、自分でその傷を庇うこともしないで。じゃあ、お前は誰が守るって言うんだよ。

 〈浸透者〉が低く構える。頭から、首の後ろを通る筋肉が収縮していくのが見えた。間違いなく、あの角を発射しようとしている。狙いは、晶の胸の位置か。しかし晶は、構わず突き進む。

――俺が守るしか、ないじゃないかっ!

 瞬間、感覚が爆ぜた。五感の全てが、今まで体験したことがないほどに、クリアになっていく。視界――晶の右眼、〈析眼〉から入る情報に至っては、今までの倍以上の密度で感じることが出来た。
(この……感覚――っ!?)
 右眼の奥にある、もう一つの眼が開いていくイメージ。一般人が触れることすら出来ない、「本質の世界」。今なら判る、今なら視える。

 世界のすべてが、この眼で。

「〈浸透者〉っ!」
 角が射出された。初速は毎秒五十五メートルほど、入射角は約四十度。さっきよりも、狙う位置が下がっている。突然動きの精度が上がった晶を警戒したのか、幾度も見せている、あの曲芸のような攻撃に切り替えたらしい。
 晶が体を捻るのと、地面に角が激突するのが同時だった。角はそのまま、アスファルトに無残な傷跡を残しながら、入射角と同じ角度で跳ね返る。その軌道は、一瞬前まで晶の体があった場所だ。
 晶は、なおも〈浸透者〉から目を離さず、走り続ける。視界の中の〈浸透者〉が、僅かに頭を振った。
(後ろ、来る――!)
 すかさず、晶は左に跳んだ。直後、何かが砕ける音と同時に、背後から角が右腕を掠めて飛んでいく。晶は勢いを殺さずそのまま転がり続け、次いで今度は前から襲い来る第二、第三の角を凌いだ。しかし、やがて勢いが削がれ、起き上がった晶に向けて、四本目の角が射出される。
(くそ、避けられない……っ)
 最初に撃った角は、既に格納されている。横へ跳んでも、膝立ちの状態からでは大した勢いは得られない。もう一本角を撃ち込まれたら終わりだ。避けることは出来ない。なら――。
(受けるまでだ!)
 晶は、足元に落ちていた、二センチ角の木材を拾い上げた。長い間放置されていたのか黒く変色し、ところどころ腐っている。
(角 の硬度と勢いから考えて、あの角に打ち勝てるほど硬度を上げてしまったら、逆に衝撃に対して脆くなる。角を受ける部分はショックを吸収する柔らかい特性に 〈変成〉。ただし、生じるしなりを押さえるために、一面を除いた外皮二ミリを超硬度に〈変成〉。角の底付きを防止するために、クッション部分の硬度を調 整……)
 見える。判る。この眼が捉えるすべての本質が。そして、それらすべての本質を、今なら自由に――

 〈変成〉出来る。

「俺は――」
 射出された〈浸透者〉の角が、目前に迫る。晶は、自らが〈変成〉した木材を振るった。
「お前なんかに、負けないからなっ!」
 鈍い音を発して、角と木材がぶつかり合う。腐っていたはずの木材は、しかし折れたり砕けたりすることなく、柔らかく角を弾き返した。晶は次の角を、前へ飛び出して避ける。
 対する〈浸透者〉は、角を格納しては射出し、を繰り返した。休む間もなく晶へと降り注ぐ角の雨。それらを一つたりとも命中させず、あるいはかわし、あるいは木材で打ち返して疾走した。
 両者の距離が近づくに従い、〈浸透者〉が角を格納するまでの時間が短くなっていく。それは同時に、〈浸透者〉の連射速度の上昇を意味していた。晶にとっては近付けば近付くほど、攻撃出来るチャンスは減少し、シビアになっていくことになる。
(なら、隙を作ってやればいい!)
 晶は、目の前に飛んで来た角の一つを、木材で弾いた。いや、軌道を逸らした、という方が正確か。角は晶の後方へと飛んでいく。しかし〈浸透者〉は、すぐに角と繋がっている鎖をロックし、引き戻し始めた。
(コンマゼロ何秒でもいい、攻撃の隙間さえあれば、割り込めるっ)
 二本目、三本目、そして四本目を避ける。次の角は、戻りきる直前だ。晶は流れるような動作で、〈浸透者〉の下へと滑り込む。その頭上に、次の角が着弾した。砕けたアスファルトが耳を掠める。
(あいつの、剣……!)
 こよりが落とした細身の剣を、滑走しながら拾う。そしてそのまま、〈浸透者〉の向こう側まで滑り出た。すぐさま起き上がり、今度は剣を構えて〈浸透者〉へと斬りかかる。
(さすがに図体がデカいだけあって、筋肉の厚みも半端じゃない。弱点を正確に突かないと、動きを止められないか――)
  それでも必ず、どこかにある。僅か数ミリしか無いとしても、この〈浸透者〉を止められる一点が。今までは見ることが出来なくても、しかし今は、たった今開 いた〈析眼〉なら、それが見える。〈浸透者〉の胸、両の前足の間、その丁度中央。あの巨体を支えられるだけの筋肉が、唯一薄い場所。その向こうに、確かに 脈動する心臓が、今なら見える。
 近すぎる距離では、角は使えない。振り上げられた〈浸透者〉の左足を、晶は最小の動きで回避する。アスファルト すら陥没しかねないその攻撃は、避けたにもかかわらず、晶に風圧から耐えることを強いた。二撃目、右足が振り上げられた状態で、晶は左足の側へと移動し た。足を交差させなければ攻撃出来ない〈浸透者〉だが、当然それは、その巨体を転倒させる危険を孕む。やむなく〈浸透者〉は、右足を下ろし始めた。
(今だ――!)
 右足を下ろしきるまでは、左足を上げられない。下ろし始めた右足では、攻撃が出来ない。晶は、〈浸透者〉の正面へと素早く回った。
「さっさと帰れよ、〈彼の面〉に!」
 一閃、晶が剣を突き立てる。
 夜の街に、〈浸透者〉の哭く声が響いた。

ページトップへ戻る