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屠殺のエグザ

第四章第二話:練習 と 失敗

「だから、ああいうのは止めろって言っただろ!」
 昼休み、屋上へと向かう途中で、晶はそう毒づいた。
「でも嘘じゃないもん。勘違いする方が悪い」
「勘違いするように喋ってるんだろうが、お前はっ」
  今日は今日で酷かった。いつものように昼食に誘いに来たこよりは、昨夜は同じ布団で寝たなどと言うものだから、また教室は大騒ぎになったのだ。周りの晶に 対する視線は更に冷たく、こよりに対しては「悪い先輩に騙されている可哀想な後輩」という印象を持たれているものだから、それがまた晶にとっては業腹だ。 原因はこいつだっての。
「俺の平穏な学校生活を返してくれ、ホントに……」
 重たい鉄扉を押し開ける。真天に昇る太陽が、遮るものも無く眩しいくらいに輝いていた。

 神経を集中する。右眼の奥、自分の中にあるもう一つの眼を、ゆっくりと閉ざしていくイメージ。流れ込む本質の世界に、蓋をするように――。
「くそっ、全然出来ない」
 昼食を終え、晶はこよりの指導の下、〈析眼〉を閉じる練習をしていた。こよりの言う通りやってはいるのだが、そもそも抽象的過ぎて今ひとつイメージが掴めない。
「ごめんね。でも私だって、〈析眼〉を『閉じる』練習なんて、したことないもん」
 台詞とは裏腹に、やはり全然悪いとは思ってなさそうな顔である。
「したことないって……お前は普通に出来たってのか?」
「というより、普通の〈対置能力者(エグザ)〉は、閉じる練習なんてしないよ」
 こよりは、フェンスの土台に腰掛けて、足をぶらぶらさせている。晶の練習には、あまり興味が無さそうだ。
「どういうことだよ?」
「だから、〈析眼〉を『開く』練習はするけど、『閉じる』練習なんてしないって言ってるの。普通は、最初は閉じてるもんだからね、〈析眼〉は」
 とするとつまり、〈析眼〉が開きっぱなしの晶が異常だ、ということだろうか。
 その後も十数分、〈析眼〉を閉じるよう試みた晶だったが、結局出来なかった。
「ま、毎日練習してれば、そのうち出来るようになるんじゃない? それよりさ、〈変成〉の練習してみない? それなら、君はこの間から何度もやってるんだから、大丈夫でしょ。思い通りに出来るようになったら、かなり便利だよ」
 こよりの提案に、晶は無言で頷いた。さっきの練習で、かなり精神的に疲れている。
「〈変成〉を行うには、いくつか条件っていうか、制限があるの。まずは、それを覚えて」
 こよりは、二つの条件を挙げた。
 まず、〈変成〉対象に触れていること。これは、自身の体であれば、どこであっても構わない。
 そしてもう一つの条件として、〈変成〉対象を視界に収めていること。〈変成〉は〈析眼〉が持つ能力の延長にあるものなので、〈析眼〉で捉えていなければ発動しないらしい。
 以上の条件を満たした上で。
「〈変成〉対象の本質を、少しずつ〈変成〉したい特性に誘導していくイメージで行う……らしいわよ」
「らしいって何だよ」
「だって私、〈変成〉持ちじゃないもん。やったこと無いに決まってるでしょ」
 確かに、こより本人も伝聞でしか知らないだろう。これ以上、こよりに具体的な使い方を聞いても意味が無い。晶は、言われた通りにやってみることにした。
 〈析眼〉は既に開きっぱなしだ。手近にあったコンビニの袋を手に取り、〈変成〉を試みる。
 目指すイメージは、鋼。
 質量は変えずに、硬さのみを変質させていく。
 ビニール袋の本質は見えている。その中から、硬度を。
 強く、強く。

 思い描いた、通りに。

 同時刻。
 〈急進の射手〉は、〈協会〉本部内を歩いていた。
 一つは、報告。
 今日、ターゲットを討ち、目的の人物を確保すること。
 一つは、確認。
 既に命が下されていた〈血の裁決〉に先んじて動くことの是非。
 それらを直属の上司に済ませ、今はまた、彼女の持ち場に戻る最中だ。
「気の抜けない仕事になるわね」
 何しろ、ターゲットである二人組の片方、倉科こよりは、過去例を見ないほどの戦闘力を有した〈エグザ〉だ。また、もう片方、村雨晶に至っては、〈対置〉こそ出来ないものの、〈変成〉持ちの〈析眼〉を右眼に宿している。慎重に行かねば、返り討ちに遭うかもしれない。
 〈急進の射手〉は、腰に巻いたポーチから手のひら大の金属塊を取り出した。
「〈対置〉!」
 掲げ、一瞬の発光と共に、それは弓へと姿を変えていた。
 折りたたまれていたそれを一振りすると、両翼が開いて弓の形を成す。〈急進の射手〉は、一メートルを超える長さの弓を、じっと見つめて呟いた。
「〈神器・アトラーバオ〉……これがあれば、私は負けない」
 その瞳に、歳に似合わぬ決意を秘めて。
 〈急進の射手〉と呼ばれる少女は、手にした弓を再び金属塊へと〈対置〉した。

 いつまでやってるつもり、と問われたが、晶は無視した。隣を歩くこよりが、呆れ顔でため息をつく。
「そんなすぐに出来るようになるわけ無いじゃん。いくら〈変成〉も〈析眼〉を閉じることも昼休み中に出来なかったからって、歩きながらしなくても……」
 今は既に放課後、晶は帰途も前髪を上げ、前を睨んでいる。〈析眼〉を閉じる練習だ。どうせなら〈変成〉の練習の方を頑張って欲しいんだけど、と漏らすこよりに、晶は
「俺は戦わないって言ってるだろ。俺にとっては、こっちの方が重要だ」
と言い返した。
 前髪を上げた晶の眼には、「本質の世界」が見えている。物体の本質を見ることが出来る眼、〈析眼〉が、この世の成り立ちを晶に見せているのだ。
 左眼では見えない世界、右眼だけが見せる世界。物の硬さ、材質、経過年数、過去に受けた接触の痕跡、果ては空気の流れまで。
 この眼は、すべてが見える。
 この眼で、世界のすべてを知る。
 〈エグザ〉ではない晶にも、それが出来る。
 しかし、それも晶にとっては、邪魔なだけの能力だ。だから、閉じることで余計な物を見なくて済むのなら。
 晶は、この能力を封じたい。
 その一念で、ただひたすらに前を睨む。右眼の奥にある、もう一つの眼を閉じていく感覚。見えている本質の世界に、蓋をしていく感触。
 それらを、思い描きながら。
 それでも、〈析眼〉は閉じずに。

 ふと、睨み続けた「本質の世界」に、違和感が生じた。本来なら起こりえない空気の流れ、変化の量でいえばごく僅かなそれに、反射的に振り向いた晶の視界へ、

 一矢が、飛び込んできた。

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