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屠殺のエグザ

第七章第五話:上 と 下

 〈疾風の双剣士〉荻原真琴。その二つ名が示す、彼女の〈エグザ〉としての本質は速さにある。
 〈析眼〉や〈換手〉がその持ち主にもたらす効果、 「自己の最適化」により、〈エグザ〉は一般人に比べて身体能力が高い。そしてその傾向は、〈エグザ〉それぞれによって異なる。たとえば〈屠殺のエグザ〉倉 科こよりは戦闘における勝負勘などの本能、〈急進の射手〉小篠零奈は動体視力に長けており、〈析眼の徒人〉村雨晶は〈析眼〉としての基本能力――物体の 「本質」を視る能力に長けているが、逆に身体能力の強化はあまりされていない。彼が敵の攻撃を避け、急所を突いた攻撃が出来るのは、ひとえに高性能な〈析 眼〉の「先読み」のお陰である。
 そして荻原真琴は、極めて身体能力の強化傾向が強い。特に高速戦闘に必要な速度、身体感覚、重心感覚、動体視力に優れ、敵に狙いを定めさせることすら許さないほどだ。
  工場に閉じ込めた〈浸透者〉がこよりに飛び掛かり、それを避け反撃に転じたこよりの剣を、後ろへ跳躍し〈浸透者〉がかわす。その僅かな間で工場に設置され た機械や資材の上を跳ね二階へ移動し、着地した〈浸透者〉へ向けて飛び降りざま斬撃を与える――そのような芸当は、それこそ彼女にしか出来なかったであろ う。
「いやああッ!」
 高い叫びと共に放たれる、重力加速度で得られた弾丸のような攻撃。〈浸透者〉はこよりの攻撃を避けて着地した直後 で、真琴の攻撃を再度回避する余裕など無い。当たるはずの攻撃、しかし〈浸透者〉は横目で真琴を見上げ、すぐに視線をこよりに戻し――その時には既に、ゴ ムのように伸びた尻尾が、真琴の腹を抉っていた。
「か……はっ……」
 肺の空気を一気に出されたような感覚、真琴の身体は、放物線を描いて資材の向こう側へと落ちていく。
「真琴ちゃん!」
 こよりが叫ぶ。〈浸透者〉の攻撃は、恐らく致命傷ではない。落ちた先で頭でもぶつければ危ないが、真琴のあの身のこなしなら受け身くらいは取れるだろう。だが、きっとしばらくは動けない。
(一対一……どうかな、返依せるかな……)
  こよりの特性は、自ら向かってくる相手に対してはこれ以上無いほどの効果を発揮するが、逃げの一手に回る相手にはいつまで経っても決め手を与えられない。 この作戦で唯一相手を確実に上回る要素、「数の優位」を失った今、〈浸透者〉を逃がさないために時間稼ぎするのが精一杯だ。
――とにかく、攻めて攻めて、攻めまくるしかない。
「――ふッ!」
 短い呼気と鋭い踏み込み、剣を突き込むように、〈浸透者〉へ向けて一直線に飛び込む。通常の〈浸透者〉相手なら確実に貫けるほどに鋭いその攻撃は、しかし真琴の速度には遠く及ばない。〈浸透者〉は自身の右側、工場の壁の側に身体を半身ずらし、こよりの突きを回避した。
(当たらないくらい、分かってる……!)
 踏み込んだ右足でブレーキをかけ、柄尻を左手で掴み強引に振り回す。多少乱暴でも、〈浸透者〉に避けさせなければならない。
 〈浸透者〉が、自分の首に届こうかという斬撃を屈んで避ける。こよりは右から左へと薙いだ剣を、逆袈裟に振り下ろした。が、流れるような連続技も、この〈浸透者〉相手には通用しない。剣が切ったのは空で、〈浸透者〉の体は遥かに跳躍し、二階へと着地したところだった。
(さすがに……速いっ!)
 足場も無しに二階まで跳躍出来るほどの能力は、こよりには無い。どう対処すべきか一瞬考えた時、視界の端に閃光が走った。
「真琴ちゃん!」
 間に合った。
 復帰した真琴が、少し離れた場所にある足場から跳び、一気に〈浸透者〉との距離を詰める。
「さっきみたいにはいきません!」
 〈SHDB〉の片方を防御に、もう片方を攻撃に構え、真琴が叫んだ。こよりばかりに負担を強いるわけにはいかない。戦闘力ではこよりに及ばずとも、この作戦では真琴が攻撃の要なのだ。
  工場の二階と言っても、外壁に沿って設けられた幅一メートルほどの通路に過ぎない。戦闘のフィールドとしては些か狭すぎるが、真琴はそんなことを意にも介 さず乗り込む。対峙する〈浸透者〉の退路は、後方にしかない。下ではこよりが待ち受けている。いかに素早い〈浸透者〉でも、落下中の移動は不可能だ。階下 へ逃げることは出来ない。ならば。
 〈浸透者〉が真琴を睨みながら低く構える。変貌した空気に、真琴は〈浸透者〉が逃亡ではなく戦闘を選択したことを察した。
「今度こそ……返依させてもらいますよ」
 退路は絶った。逃げるとすれば後方しかないが、それだけなら追随出来る。自分がしっかり戦えれば、今度こそ勝てるはずだ。
 〈浸透者〉はキ、キ、と耳に障る高音で唸りながら、更に低く重心を落とした。
――来る。
  その直感と同時に、〈浸透者〉の顔が眼の前に出現した。真琴は考えるよりも早く、〈SHDB〉を胸の前で交差させる。直後、鈍い衝撃が双剣を持つ両手を 襲った。真琴は軽く後方へ跳躍し衝撃を逃がす。〈浸透者〉の攻撃を重心に合わせ、衝撃の力をそのまま後方への運動エネルギーに変換。元々小柄な真琴の体型 と相まって、軽い跳躍にも関わらず十メートル近く吹き飛ばされた。対する〈浸透者〉は攻撃の手を休めることなく、伸縮する尾を追撃に撃ち込む。真琴はそれ を右の〈SHDB〉で、空中であることを苦にもせずに弾き凌いだ。軌道が逸れた尾は、しかしすぐに軌道を戻し再び真琴へと襲い掛かる。既に着地していた真 琴は、今度はその下を潜るようにして一気に〈浸透者〉との距離を詰めようと走り抜けた。極めて低いその姿勢は、地を駆ける獣を連想させる。迫る〈浸透 者〉、耳障りな呻き声が急激に近くなった。〈浸透者〉もまた、真琴に対し踏み込んでいる。
 不協和音を奏でる双剣と爪。二つが打ち合うたびに散る 火花が、深夜の工場に幾重もの波紋を描く。〈浸透者〉の攻撃は熾烈そのもので、仮に〈析眼〉がその予兆を見抜いたとしても、恐らくは反射神経がついていか ないだろう。その点、攻撃に転ずる決め手こそないものの、見事に凌ぎ続ける真琴は異様ですらあった。
『〈神器〉、大丈夫かな』
 その時、下で待機しているこよりのインカムに、マンションの上で待機している晶からの通信が入った。かなり離れているはずだが、工場の窓から僅かながら中が覗けるらしい。
『いくら〈神器〉でも、あれだけ激しい攻撃を受け続けたら折れたりしないか?』
「普通の〈神器〉なら折れることも有り得るよ。でも、真琴ちゃんの〈SHDB〉に関しては大丈夫」
 どうやら、晶のいる場所からではそれほど仔細に中の状況が分かるわけではなさそうだ。もし見えているのなら、きっと晶はこんな質問を寄越さない。
「あの〈神器〉はね、〈変成〉を利用した〈対置回路〉を組み込んであるの。その特性は、『絶対に折れない剣』」
 剣が受けた衝撃に応じて、剣そのものの硬度などを「絶対に折れないように」〈変成〉する。それが〈SHDB〉の特性である。
「戦闘で直接有利に働く機能じゃないから、あまり役には立たない〈神器〉だけどね。でもとりあえず、折れる心配だけはしなくていいよ」
 とは言え、剣は大丈夫でも真琴は別だ。〈エグザ〉とて人間であり、人間であればこそ疲弊をし、それは僅かな判断の遅れや間違いを生む。ギリギリの戦闘を続けている現状は、決して有利とは言えない。
 高い金属音が次々と耳に刺さる。眼の前で散る火花で、そろそろ網膜が焼き切れそうだ。猛攻を受け続ける真琴自身、徐々に反応速度が鈍くなっていくのを感じている。
(うー、こいつとこんなに打ち合ったこと無いからなぁ)
 力押しなら勝ち目は無い。受けるだけで手一杯で反撃する余裕も無い。つまりは、ジリ貧だ。このままでは負けは見えている。
「こよりさん!」
 突破口を求め、真琴は叫んだ。
「〈対置〉してください!」

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