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屠殺のエグザ

第十二章第七話:驕り と 誇り

 階段に、足音が響く。一歩一歩を確かめる様に、顔はただ、上に向けて。
 たった一つの確信を持って、晶はこの階段を上る。
 いる、この先に、こよりが、必ず。
 動悸が抑えられない。逸る気持ちは収まらない。今にも走り出しそうな中で、なのに足はゆっくりと進む。
 もう、〈析眼〉はない。だけど分かる。こよりの存在を、感じられる――いや、信じられる。
 一歩ごとに、一段ごとに、少しずつこよりへ、近付いていることを。
 視界が開ける。辿り着いた場所で、その中央で、人影がこちらに振り向いた。
 廃棄された研究所の最上階。晶が眼を奪われた場所。この場所に、

「……来るとは、思わなかった」

 こよりが、厳しい顔で立っていた。

 ロビーに群れていた最後の一体を返依し、零奈は荒い息を吐いた。
「何とか片付いたか。かなり足止めを食ってしまったな。これ以上状況が悪くなる前に、倉科宗一を探そう」
 〈断罪剣〉を肩に担いだラーニンの顔は、さすがに疲労の色が隠せないでいる。真琴や零奈も似たり寄ったりで、先の戦闘がどれだけ過酷なものだったかを物語っていた。
「歪みの中心は、地下のようね」
「そのようだ」
 三人は、晶が向かったのと逆――地下へと、階段を下りて行く。空間の歪みはいよいよ酷くなるが、〈浸透者〉は見当たらない。あるいは、歪み過ぎた空間は〈浸透者〉も避けるのか。
「どうやら、この先で間違いないようだな」
 歪みの中心が地下なら、そこにいるのは倉科宗一だろう。晶から奪った〈析眼〉なら、それが出来る。
「晶先輩は上に向かったんですよね」
 無事に会えたでしょうか、と真琴は言った。
「どうかしら。あの娘が地下にいる可能性は高いし……」
 どこから敵が現れるか分からない。三人は慎重に、歩を進める。反響する三人分の足音は、この状況下ではあまりに不気味だ。
「……〈疾風の双剣士〉。君に訊いておきたいことがあるのだが」
 先頭に立つラーニンが声をかけた。前方を警戒しながら、振り向かずにである。
「その……他意があるわけではないが、なぜ君は彼女を――倉科こよりを信頼出来るのだ? 君だけではない、何より不思議なのは、村雨晶君だ。あのような目に遭って、なぜ……」
 零奈ははっきりと、こよりを信用しないと言っている。それが普通なのだ。こよりは〈屠殺のエグザ〉と呼ばれた存在。忌むべき死神を信用出来る根拠など、どこにもない。だが真琴は、そんなこよりの味方であり続けた。晶もまた同じで、こよりを止めるために今、〈析眼〉も持たずに一人で向かっている。眼を奪った張本人に、これ以上手を汚させないために。誰かを傷付けることで、これ以上こよりが傷付く前に。
 真琴の返事はない。ラーニンとて、分かりやすい答えを求めていたわけではなかった。不規則に反響する三人分の足音の中から答えを読み取ろうとして、やがてラーニンがそれを諦めかけた頃、
「ボクが小さかった頃なんですけど」
 ようやく、真琴が口を開いた。
「〈析眼〉を開けるようになって、本質の世界に触れたことで、すごく得意になっていた時期があったんですよ」
 あまり出来のいい〈析眼〉じゃなかったんですけどね、と真琴は苦笑混じりに続ける。
「〈析眼〉で視れば何でも分かるって。重さも、硬さも、何で出来ているかも。〈析眼〉の前では、何も隠せません。見える世界は全てで、何もかも見通せる……そう思ってたんです」
 ラーニンは黙って聴いている。一見無関係なこの話が、彼への答えであることは明白だ。
「その頃、同じくらいの歳の、よく遊んでた〈エグザ〉の男の子がいたんです。すごく意地悪で、嫌なことばかり言う子で、ボクは、その子が少し苦手でした。ボクが嫌いなのかな、だったら別の子と遊べばいいのに……って」
 でも、そうじゃなかった。
 本当は、その子が自分を好いていたということを知ったのは――彼が、いなくなってから。
 〈析眼〉で何でも視えると思っていたのに、こんなに近くにいた人のことさえ分かっていなかった。何も、視えていなかったのだ。
「ボク、泣きました。いっぱい泣きました。ボクもその子のこと、……好きだったから。それで、思ったんです。もう〈析眼〉で人を視ないって。ちゃんと、心を感じようって」
「君の言うことも分かるがしかしな。それは口で言うほど簡単ではないだろう」
 そう、決して分からないわけではないのだ。真琴のような経験をする者も、珍しくはない。〈エグザ〉であれば、多かれ少なかれ似たような経験をした者は多いだろう。
「私は、分かる気がするわ。驕るもの、特別なチカラだって。本当は、そんなことないのに」
 零奈が、小さく呟く。幼かったあの頃、その驕りが晶を傷付け、叔母を死なせてしまった。そして、それが驕りだと教えてくれたのが。
「それが、晶のすごいところね。あんな〈析眼〉を持っていても、驕らない、惑わない。〈析眼〉じゃ見えないものを知っていて、それをちゃんと見るのよ。本当の眼で、まっすぐ」
 零奈は振り返った。晶が向かったのなら、こよりは、きっとそこにいる。

 あとは、こよりがどんな答えを出すのかだ。

 最上階。
 晶が眼を奪われた場所。
 壁のない、広々とした空間には、何も置かれていない。その中央に、こよりが立っている。
 桜色のロングコート。黒く光るブーツ。今では見慣れた、こよりの姿。
「何をしに来たの?」
 こよりの声は冷たい。感情を感じさせない、平坦な口調。そこにいるのは、〈屠殺のエグザ〉か。
「止めにきた。世界を壊すなんて、そんなこと、お前にやらせるわけにはいかないから」
 こよりの顔が、一瞬歪む。
「止める? 私を? どうやって?」
 しかし、それはすぐに能面へと戻った。
「話し合いでどうにかなると? そんなわけないよね。なら戦うつもり? もう眼はないのに? 徒人が〈エグザ〉に勝てると、本気で思ってるの?」
 晶は答えず、一歩を踏みこんだ。腰から、こよりのロッドを抜き、構える。
「……やっぱり、引かないんだね」
 こよりが右腕を真横に突き出す。その手に握られているのは、黄金色に輝く〈神器〉。〈グラックの五大神器〉の一つの、〈エグザキラー〉。
「なら私は、君を殺すしかない」

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