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屠殺のエグザ

第六章第二話:神器 と 二つ名

「殺される……?」
 零奈の言葉を、晶はすぐに飲み込めなかった。あまりにも唐突過ぎる。晶がどう返していいか迷っている隙に、零奈は一歩踏み出した。
「私は貴方を保護しに来たの、晶。このまま彼女と――倉科こよりと一緒にいたら、貴方は間違いなく殺される。それが嫌なら、私と一緒に来て」
 零奈の歩みは止まらない。ゆっくりとだが、確実に晶へと近付いている。零奈は、まっすぐに晶の眼を見ていた。少なくとも晶には、彼女が嘘をついているようには見えない。しかし――。
「こよりが、そんなことするわけないだろ」
 見ず知らずの一般人を、その身を挺して助けたこよりだ。仮にそれが演技だとしても、今まで晶を殺すチャンスなどいくらでもあった。
「貴方を保護する。そう言って彼女は近付いてきたんでしょう? 〈変成〉持ちの〈析眼〉を持つ、貴方に……」
「そうだ。その言葉通りに、こよりは俺を守ってくれた」
「保護の義務など、彼女には無いわ。だって彼女、〈協会(エクスラ)〉に所属していないんですもの」
「〈協会〉……?」
 そう言えば、こよりと出会った頃、こよりが言っていた記憶がある。晶のことを、最初は〈協会〉未所属の〈エグザ〉だと思った――だったか。
「〈エグザ〉の組織よ。強力な〈浸透者〉を連携して返依したり、〈エグザ〉絡みの事件の処理をしたり、その目的は多岐に渡るわ。その中に、貴方のような特殊な立場の人間を保護する目的もある」
「残念だけど」
 晶は、零奈の言わんとするところを遮った。
「こよりは俺に、自分が〈協会〉に所属しているとも言ってないし、〈協会〉の命令で保護しに来たとも言ってない。義務で保護するって言う零奈先輩より、俺はこよりを信じるよ」
 零奈は立ち止まり、心底残念そうな顔をした。
「……仕方無いわね」
 声のトーンが落ちた。晶の背に、緊張が走る。
「なら、実力行使で保護させてもらうわ」
 零奈が、晶へ向けて疾駆しようとして――身を屈めた。その頭上を、鋭く光る刃が通過する。屈んだ零奈はそのまま左へ跳んだ。それを追うように向けられる、一振りの剣。
「こより!」
 晶を抑えようとした零奈を背後から襲ったのは、こよりだった。横へ逃げた零奈は、そのまま後退する。対するこよりは、晶を守るように間に立った。対立の構図が晶と零奈から、こよりと零奈へと切り替わる。
「彼に……手を出さないで、〈急進の射手〉」
 こよりは剣を右手で握っている。折れた骨は繋がったようだが、痛みが完全に引いたわけではないのか、こよりの顔は苦しげに歪んでいた。
「まさか貴女が出てこられるとはね。昨夜あれだけの重傷を負いながら、大したものだわ」
 零奈がせせら哂う。分かって言っている、今のこよりでは、まともに戦えないことを。
「こより、お前怪我は……」
「大丈夫」
 問いかけた晶に、こよりは零奈を睨んだまま答えた。
「君は、私が守るから」
「よく言うわ、いけしゃあしゃあと」
 零奈の手が、腰に提げているポーチへと伸びる。そして掲げられたその手には、一握りの鉄塊。
「その口、二度と利けないようにしてあげるわ!」
 一瞬の発光、直後に鉄塊は、弓へと〈対置〉されていた。零奈はその弓を、矢を番えることなく引き絞る。
「危ない、隠れて!」
 こよりと晶、二人は同時に、道路脇の電柱の影に飛び込んだ。間を置かず、雨のように襲い来る無数の矢。
「くそ、矢もねぇのに何で射られるんだよ!」
「あれは〈神器〉よ。普通の武器じゃないわ!」
 晶は眼を凝らす。確かにあの弓の本質は、普通の武器ではない。何か、〈析眼〉や〈換手〉にも似た本質が、武器自体に宿っている。
「〈変成〉を使って、武器に〈析眼〉や〈換手〉に近い本質を与えたもの、それが〈神器〉よ」
 零奈は絶え間無く矢を射続けながら、ゆっくりと近付いてくる。晶の問いに答える冷静な声は、零奈にとって圧倒的に有利な状況の証だ。
「私の〈神器〉の名は〈アトラーバオ〉。自動的に矢を〈複製〉して、番えずに射ることの出来る〈神器〉」
 矢を番える必要が無ければ、番える時間を短縮出来る。そして、矢切れは絶対に起こらない。確かに強力な武器だ。
「私たち〈エグザ〉は、こういった〈神器〉を切り札として持っているわ。強い〈エグザ〉なら、特にね。――貴女も持っているでしょう? 倉科こより」
 その言葉に、こよりの肩がびくりと震えた。もちろん電柱の影になって零奈からは見えなかっただろう。だが零奈は、まるでそれが見えているかのように――ゆっくりと、言葉を紡いでいく。
「ふふ……でも、出せるわけないわよねぇ。だってその〈神器〉の名前ときたら、まさに貴女の本性ですもの」
 こよりの顔から、血の気が引いた。唇が細かく震えている。
「ど、どうしたってんだよ、こより!」
「彼には知られたくないものね。貴女が――」
「やめてぇっ!」
 堪えられなくなったのか、こよりが電柱の影から飛び出す。雨のように降り注ぐ矢の前へ飛び出すなど自殺行為だが、今のこよりにはそれを分別している余裕は無い。零奈は勝ち誇った笑みで――非情にも、その名を口にした。
「〈屠殺のエグザ〉と呼ばれる、史上最悪の〈エグザ殺し〉であるということを」
 〈エグザ殺し〉。一度だけ、こよりから聞いたことがある。晶の〈析眼〉を狙おうという連中なんてみんな〈エグザ殺し〉だから、一般人を殺すのに躊躇しない――確か、そう言っていた。
「あ……あ……」
 こよりの顔が絶望に歪んだ。脱力し、夕陽の照らすアスファルトに膝をつく。
「こよりが……〈エグザ殺し〉……?」
 俄かには信じ難い。だが、それを暴かれたこよりの姿が、皮肉にも事実を物語っていた。
「そう、倉科こより――〈屠殺のエグザ〉は、貴方にそれを隠して近付いた」
 こよりの左頬すれすれを矢が過ぎる。こよりは、微動だにしなかった。
「貴方の〈析眼〉を奪うために、貴方に近付いたのよ、村雨晶」
 零奈が立ち止まる。手に持つ〈神器〉、〈アトラーバオ〉の狙いは、こよりの心臓。
「こより……」
「私は貴女を許さない」
 その宣告は、黄昏の住宅地に凛と響いた。
「幾千もの〈浸透者〉を〈彼(か)の面(も)〉で屠り、幾万もの〈エグザ〉を〈此(こ)の面(も)〉で殺めた〈屠殺のエグザ〉。貴女が、私がすべからく守ると決めた村雨晶を謀り誑かし、その〈析眼〉を奪おうとした罪は、断じて許せない!」
 こよりに反応は無い。その眼はただ、虚空を見つめるだけだ。
「その罪……死を以って償ってもらう!」
 零奈の右手が、引き絞った弦を放す。放たれた矢は一直線にこよりの心臓を目掛けて突き進み、そして命中した。

「……やらせない」
 しかし、その一矢は、

 晶が構えた鞄に突き刺さっていた。

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