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屠殺のエグザ

第十二章第五話:日常 と 終末

 未曾有の危機である、と、幹部の一人が声を張り上げた。
「観測されてからすぐに差し向けられた〈エグザ〉十二人からなる小隊は全滅。いや、そう判断せざるを得まい。未だ連絡が付かず、例の現象に終息は見られない。これ以上の、これ以上の災厄があるか?」
 否。幹部の拳が、デスクを叩いた。
「〈屠殺のエグザ〉め、リストから外したと思ったらこれだ。奴は〈協会〉を馬鹿にしているのか」
 別の幹部が、ため息混じりに呟く。
「ですが、村雨晶の報告によれば、彼の眼を持っているのは〈屠殺のエグザ〉でなく、その弟、倉科宗一です。この件も、恐らく彼の主導によるものでしょう」
 出席者の視線が、一斉に集まる。発言者、零奈は立ち上がり、ぐるりと全員を見回した。
「討伐部隊を編成するにせよ、主敵は倉科宗一だと考えるべきです。確かに〈屠殺のエグザ〉は強敵ですが、〈複製〉も〈変成〉も持つ人外とは、比べるべくもないでしょう」
 零奈の発した「討伐部隊」という単語に、小さなどよめきが起きる。度重なる事件で疲弊した現在の支部に、一体どれだけの戦力が残されているのか。もはや、確かめるまでもない。
「私が出よう。人選は任せてもらって構いませんな?」
 立ち上がったのはラーニン。有無を言わせぬ調子は、彼を差し置いて他に誰もいないことの証左でもあろう。
 幹部達は、皆互いに顔を見合わせた。こよりを取り逃がして今の事態を招いたのは、元を正せば彼が原因である。その責任が取られる前に、今回の事件は起きてしまった。
「……他に適切な人員がいるわけでもない。言いたいことは分かっていると思うが」
「勿論です。事態の収拾には全力を尽くします」
 その一言で、方針は決定された。即ち、誰がこの責任を負うのか、である。

 朝になり、街が慌ただしく動き出す。
 人と車が忙しなく行き交い、新たな一日を準備する。
 学生である晶にとって、この時間は通学に充てられる。
 いつも通りの時間。
 ある時を境に、失ったはずの日常。
 晶は、いわばそれを取り戻した。
 片眼と一人を代償として。
 どちらも、晶にとって忌むべき非日常の象徴だった。
 ――これで、良かった。
 晶は一人で、学校へ向かう。隣を歩く少女の姿は、ない。

 眼を失ってから、一週間が過ぎた。日常は淡々と過ぎていく。

「晶、最近こよりちゃんと一緒にいねぇじゃんか。ケンカでもしたのか?」
「……黒木、衣谷」
「振られたか」
「えっ、マジで?」
 クラスメイト二人が訝るのも無理はない。それほどまでに、こよりはぱったりと来なくなった。いや、それどころか。
「けどまあ、それだけじゃ、こよりちゃんが学校にも来ない理由にはならんわな」
 衣谷の言う通り、あれからこよりは登校していない。当然と言えば当然だが、事情を知らない二人にとってはさぞ奇異に映るであろう。
「なあ晶。何があったんだよ。教えろよお」
「何で黒木に教えなきゃいけないんだよ。これは……」
 鬱陶しそうに言いかけて、しかし迷った。その先が、出てこない。
 黙り込んだ晶の肩がポン、と叩かれた。衣谷だ。
「お前達二人の問題だってのはこっちだって分かってるさ。けどな、そうやってイジけてるお前さんをこれでもかと見せ付けられて、んで放っとけって、そりゃないだろ」
「別に俺は、イジけてなんか……」
「晶は暗いわ、こよりちゃん来ないわ、もう俺何しに学校来りゃいいんだって感じだぜ」
 黒木がヤレヤレ、と両手を上げてみせる。
「……お前がこよりちゃんと付き合ってたわけじゃないのは知ってる。けど、お前が彼女をどう思ってたのかは、分かってるつもりだ。俺も、黒木もな」
 遺憾ながら、と黒木が相槌を打つ。
「何があったか知らんが、これでいいのか? そんなわけないだろ」
「お前が……!」
 思わず立ち上がった勢いで、椅子が大きく音を立てる。突然の大声にクラスメイトの視線が集まった。だが、それに頓着する余裕など、晶にはない。
「お前らが言うな! 何も知らないで、無責任に喚くな! これでいいわけないって、勝手に決めつけるな!」
 教室が、シンと静まり返る。衣谷が、ポツリと呟いた。
「怒る元気があるなら、まだマシか」
 衣谷がくるりと背を向ける。
「ま、元気が出たんなら、それでいいや」
 そのまま、教室を出て行く。その後ろ姿を見送りながら、黒木が「元気出せって言いたいなら、素直にそう言えばいいのになあ」と呑気な口調で言った。

「晶、いい?」
 放課後、校門で晶を待っていたのは、零奈と真琴だ。晶は僅かに表情を硬くすると、立ち止まらずにそのまま校門を抜ける。
「……何ですか?」
 別に二人を無視する意思はない。だが、立ち止まって話し込む気もなかった。
 歩くペースを変えない晶を追って、二人が付いてくる。零奈は早足で、真琴は小走りに。
「報せておきたいことがあるの、晶」
 晶の背中を、零奈の声が追う。応える晶の声は、硬い。
「俺には関係ない話です。もう〈析眼〉もないし、〈エグザ〉の話に巻き込まれる理由もない」
「〈協会〉は、あの娘と弟の討伐を決定したわ」
 零奈の言葉を聞いて、晶は立ち止まった。
「……どうしてですか。あいつは何もやってない。俺は無事だし、討伐される理由なんて……」
「貴方の意識が戻った二日後、不自然な空間の歪みが観測されたわ」
「最初は小さな歪みだったんですけど、歪みは加速度的に大きくなって、すぐに危険なレベルになりました」
 晶の言葉を途中で遮った零奈の後に続けて、真琴が説明する。
「歪みの中心は、廃棄された研究所。……こより先輩の、お家です」
「……何で……」
 晶が言葉を失う。起こって欲しくなかった、起こらないと信じていた出来事が起ころうとしている。
「〈協会〉の解析で、歪みの原因は、極端に大きな質量の物体が一ヶ所に集中して存在していることだと分かったわ。〈協会〉は調査と対応のために複数の〈エグザ〉を送ったけど、全員の連絡が途絶えた。今もまだ、誰一人戻ってこない」
 零奈の、努めて淡々と喋る内容が、じわじわと脳に染みていく。その話が本当なら、こよりと宗一は――世界を、壊し始めたことになる。
「既に空間には穴が開いて、〈浸透者〉が表出しているそうです。このままのペースで質量の増大が加速していけば、間もなく空間の自己崩壊が始まります」
「そうなったら……どうなるんだ?」
 背中を向けたまま晶が問う。その声は、少し掠れていた。
「……そうなったら……もう誰にも止められない。空間に開いた穴は〈此の面〉と〈彼の面〉の物質を飲み込みながら巨大化して……やがて、二つの世界全てが飲まれる」
 下校する生徒が、立ち止まった晶達を次々と追い抜いていく。聞こえるはずの喧騒は、しかし晶の耳には入らない。頭の中を、零奈の言葉が何度も巡る。
 ――こよりが、世界を壊し始めた。
 晶の眼を欲したのが、このためだというのなら。

 だが、だとしても。

「――どうして俺に、この話を?」
 ややあって、晶が絞り出すように言った。決して大きくはない声。この喧騒の中では届くかすら怪しいほどの。
「私達が、行くから」
 はっきりと、零奈は言った。
「指揮は〈血の裁決〉。彼の人選で、同行するのは〈疾風の双剣士〉と私。……だから……」
 晶は振り向かない。振り向く勇気が、持てない。
 零奈が、そして真琴がなぜここにいるのか。
 なぜラーニンはここにいないのか。

 その理由に、気付いていたとしても。

「……俺は……」

 こよりが世界を壊すというのなら。
 それがこよりの選択だというのなら。
 晶が、守りたかったこよりは――。

「俺には、もう……」

 晶は耐え切れず、硬く拳を握り締めた。
 どうすればいいのか。
 どうしろというのか。
 答える者は、誰もいない。

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