屠殺のエグザ
第十二章第二話:ゆっくり と 始まる
電話を切り、零奈はふぅ、とため息をついた。ちょっとだけ、晶の声が聞きたかっただけなのだが、まさかこよりが出るとは。
――あなたは、それでいいの?
こよりの問いが、脳内で繰り返される。
分かっている、そんなことは。本当は大丈夫じゃないことくらい、自分が、一番。
だが、ならばどうすればいいのだ。零奈はこよりに敗れ、晶はこよりを選んだ。これ以上、どうしろというのだろう。
こよりへの返事は本心だ。自分は影の存在であるべきだし、ましてやこよりが晶を受け入れない理由になど使われたくない。
そう、こよりは未だ、晶と距離を保とうとしている。彼女が隠している「何か」とそれは関係あるのだろうか。
だったらなぜ、自分から晶を奪ったのだ。零奈とて、晶の隣にいたかったのに。
――まったく。
「要らないなら……晶を返してよ……」
「存外乙女思考だな、〈急進の射手〉」
「ひゃうっ!?」
思わぬ独り言への返事に、零奈は飛び上がって驚いた。
「ち、ち、〈血の裁決〉! いつからいたのよ!?」
「いつからもなにも、お前が〈析眼の徒人〉へ電話を掛けているところからいたが。しかし珍しいリアクションが見られた。お前が声を裏返して悲鳴を上げるシーンなど、そうそうお眼にかかれるものではない」
最初からか。全部聞かれていたのか。
「い、今のは別に……っ」
「今更隠すようなことでもあるまい。皆知っている」
必死の言い訳も、ラーニンに一言でやっつけられる。そんなに分かりやすかっただろうか、自分は。
「……〈血の裁決〉。もしもこれを誰かに話したら……」
顔を真っ赤にして凄む零奈に苦笑しつつ、ラーニンは手を振ってみせた。
「言わんよ。しかし、そう恥ずかしがることもあるまい。私としては、お前は〈析眼の徒人〉と共にある方がいいのではないかと思っているぞ」
「ほ……本当?」
不安そうな零奈に、「うむ」と大真面目にラーニンが頷いてみせる。
「〈析眼の徒人〉と直接話すようになって、お前は随分と丸くなった。いつ切れるか分からぬほど張り詰めていた雰囲気も柔らかくなったしな。それはお前にとって、いい変化だろう」
零奈は黙ってラーニンを見つめていたが、やがてふっと視線を逸らすと、小さな声で言った。
「……あなたもね」
「何?」
「丸くなった。以前のように追い立てられる感じがしない。人を気にかけたり、笑ったり……以前のあなたでは考えられないわ」
予想外の言葉に面食らうラーニン。まさか自分に話が及ぶとは思わなかったのだろう、居心地が悪そうだ。
「……一応、礼を言っておくわ。ありがとう」
「ああ。……しかし慣れぬと些か気持ち悪いな。素直なお前というのも」
「一言多いのよ!」
◇
過去に例を見ないほど立て続けに起きた事件が終息し、ゴタゴタが続いていた〈協会〉もようやく落ち着きを取り戻しつつあった。こよりは無事にリストから外され、真琴にとってはようやく、大きな仕事が片付いた気分である。
〈四宝を享受せし者〉、通称レイスを、晶は倒した。レイスは過去に幾度となく大規模な厄災を引き起こしている。その内の一つが、晶の母が命を落とす原因となった、あの〈浸透者〉大量発生事件だ。
調べてすぐに分かったが、真琴はまだ、晶にその事実を告げていない。多分、今更だろう。
だが、それにしても。
(大規模な事件が一度に起き過ぎてる……これは本当に偶然かなぁ?)
まるでこの支部を狙い撃つかのようだ。そしてその渦中には必ず、こよりがいる。
何よりも解せないのは、レイスだ。
今まで彼が起こしてきた事件は、いずれも無差別かつ大規模なものだった。しかし今回は、ターゲット以外を積極的に攻撃していない。彼の目的が〈グラックの五大神器〉にあったのは確かなので、今まで無差別だったのは、ターゲットが不明確だったから、ではないだろうか。
だとすれば。
――レイスは、こよりが〈エグザキラー〉を持っていることを知っていた、ということになる。
確かに、〈協会〉所属の〈エグザ〉であれば、知っていても不思議ではない。だが、レイスは〈協会〉との接点を、ほとんど持っていないのだ。知る手段があったとは思えないし、もしあったなら、無差別な攻撃はしなかっただろう。また、こよりはもっと早く襲われているはずだ。
状況が、不自然過ぎる。
「間違いなく、誰かの意志が働いてる」
それが誰かは分からない。だが、この一連の事件の裏に、何者かが存在するのは確かだ。
終わっていない。
この事件は、まだ。
◇
初めに〈此の面〉に移ったのはこよりだ。姉弟は〈彼の面〉から出たことがなかったし、生活の拠点もない。何の拠り所もない場所に自分を連れて行くわけにはいかなかったのだと、宗一は理解している。
宗一には〈エグザ〉としての力はない。〈析眼〉を持たずに生まれた「出来損ない」は、どちらかと言えば馬鹿にされる存在であった。宗一の場合は特に、〈複製〉持ちの〈換手〉を持っていることも、それに拍車をかけていた。両親が〈エグザ〉として、それなりに有名だったのも影響したと言えるだろう。
物心ついた頃からそんなでは、彼が周囲に興味を示さなかったのも無理からぬことだ。――唯一、事あるごとに彼を庇ってくれた姉、こよりを除いて。
宗一にとって、こよりが世界の全てだった。自分を認めない世界、自分を不要と言った世界、自分を出来損ないと揶揄した世界。
ならば、さぞお前たちの世界は完成されているのだろう。痛みも、妬みも、苦しみもなく――ましてや歪んだ二重構造でなど、あるはずがあるまい。
違うというなら、そうでないというのなら。
完成された世界とは、姉の世界だ。お前たちの世界じゃない。
だが、こよりはこの世界が好きだった。両親も、他の〈エグザ〉たちも、彼女は愛していた。
だからこそ、宗一は今の世界を辛うじて受け入れていたのだ。
こよりが好きな世界だから。
こよりが望んだ世界だから。
だが、その世界は呆気なく、終わる。
こよりは憎んだ。〈此の面〉を、〈彼の面〉を、〈浸透者〉を、〈エグザ〉を、この世界を、この歪んだ世界全てを。
こよりが望むなら是非もない。
壊そう、歪んだ世界を。
創ろう、新たな世界を。
そのために、出来る限りをやろう。
宗一は、世界を壊す選択を下した。
◇
単身〈此の面〉に渡り、数えきれぬほどの同胞を殺めるうち、〈屠殺のエグザ〉と呼ばれるようになって久しい。
己の憎しみのままに突き動かしてきた身体を宗一が追い、結果としてこよりの行動には直情だけでなく、計画性も加わった。そこを担ったのは、言うまでもなく宗一だ。
こよりの、〈エグザ〉や〈浸透者〉、〈此の面〉そのものに対する憎しみに、「世界の破壊」という解を提示した。それからのこよりの歩みは、全てそこへ向かうためのものだ。
それでも。
宗一を巻き込みたくなかった。そう思う。
屠るうちに擦り切れていく自分の心。唯一の肉親。同じ苦しみを共有する存在。互いに依存せざるを得ない現状。
分かっていた。
こよりは宗一のために剣を振るい、
宗一はこよりのために泥を被る。
この数年。
これだけの苦しみと孤独を、互いに耐えたのだ。今更、今更、振り上げた剣を振り下ろすことを躊躇うなど、そんなことは、絶対に。
もう、戻れない。
両親と笑って過ごしたあの日にも、宗一を受け入れる前にも、晶と出会う前へも。
ならばもう、進むしかないのだ。戻れないのなら、戻ることが許されないのなら。
だから、壊そう。
世界を、現在を、
――晶を。