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屠殺のエグザ

第十二章第八話:最下層 と 最上階

 外観からは地下室の深さなど分からない。歪んだ空間の影響で〈析眼〉もあまり役に立たない。思ったよりも長く続く階段を下りきって、三人は開けた場所に出た。
 元は倉庫として使われていたのかもしれない。色々なガラクタが乱雑に積まれている。いや、もしかしたらガラクタではないのかもしれないが、何に使う道具なのか、壊れているのかいないのかもよく分からない。どうやってここに運び入れたのか不明だが、相当な重さの装置もある。
 そして、ここが歪みの中心だった。
「〈協会〉の犬か。性懲りもなく、のこのこと。無能揃いとは思っていたが、ここまでとはね」
 ガラクタの影から現れたのは、まだ顔立ちに幼さを残した少年。紫の衣を纏い、瞳に狂気を宿した〈出来損ない〉。
 倉科宗一。
「何が目的だ、倉科宗一。君のことは知っているが、まさか〈此の面〉への復讐というわけでもあるまい。このようなやり方では、〈此の面〉はおろか、〈彼の面〉まで巻き込んで、世界は終わる。君たちの生まれ育った、〈彼の面〉もだ」
 一歩前に出たラーニンを、宗一は鼻で嗤った。
「それが何だって? 〈彼の面〉が滅んで、僕が何か困るかい?」
「〈彼の面〉はあなたの故郷でしょう? 帰るべき場所が、なくなるんですよ?」
 宗一は動じない。ただ、真琴に一瞥をくれただけだった。
「そんなもの、とっくに失っているんだよ、僕達は」
 その声は、ぞっとするほど暗かった。
「〈彼の面〉が何をしてくれた? 僕を出来損ないと蔑み、そのくせ両親を守ることすら出来ない奴らの世界が何を? 僕は、僕達は許さない。家族を奪った〈此の面〉を、家族を守らなかった〈彼の面〉を!」
 だから、世界は滅ぶんだ。
 だから、世界を滅ぼすんだ。
 二つの世界がこんな悲劇を生んでいるというなら、こんな世界は壊してやる。
 暗い声に、狂気の笑いが混じる。
「その力を、僕は手に入れた。ほら見ろ、ざまあない。僕を出来損ないと揶揄した奴らが、今は僕に手も足も出ないんだ。っはは! ざまあみろだ!」
 廃墟の地下に響く、でたらめな笑い声。歪んだ空間の中心で嗤う、狂気の存在。ここは、何もかもが狂っている。
 脳をかき回される様な感覚に、零奈は思わず両耳を塞いだ。気を抜いたら、飲み込まれそうだ。
 と、笑い声が止んだ。顔を上げた宗一の表情は、負の感情に支配されたように、病んでいた。
「……こんな世界を、僕は変える。僕なら変えられる。この眼とこの手で……世界を〈変成〉してみせる!」
 これが――宗一を動かすものか。だが、だとしても。
「狂っているな」
 ラーニンが呟く。
「もしもこより先輩も同じ気持ちだと思っているなら、あなたの眼は節穴です!」
「私は……」
 零奈は、静かに頭を振った。呑まれるな、この歪みに。自分は、何をしに来たのだ。
「私は、あの娘が嫌いよ。晶に手を出したことも、あまつさえ彼の眼を奪ったことも、私は絶対に許さない。だけど――」
 もしかしたら、これが最後。
 晶の力になるのは、これが。
「だけど、それでも、あなたがあの娘を歪めるのを、黙って見ているなんて出来ないのよ!」
 振り切る。この狂気を。たとえ人外が相手でも、引けない。晶なら、諦めない。
「言いたいことは、それだけかい?」
 激昂から一転、宗一は静かな口調で言った。
「もう少し、もう少しなんだ。もう少しで叶う。僕達の願いが、叶うんだ。こんなところで時間を取りたくないんだよ。君達が障害なら……」
 宗一は、そっと手近なガラクタに歩み寄ると、手を触れた。
「排除、しなくちゃね」
 白い閃光。これは、〈対置〉の光。宗一が触れたガラクタは、別の物に置き換わった。
 黄金に輝く、長大な――。
「紹介しよう」
 宗一は、それを三人に突き出した。
「これが僕の〈神器〉、〈神器封殺〉だ」

 踏み込みに、晶は反応出来なかった。
 気が付いたら眼の前にこよりがいて、晶は反射的にロッドをかざす。運良く、ロッドは〈エグザキラー〉を弾いた。考えず、すぐに真横へ転がる。耳元を、剣先の過ぎる音が掠めた。
「よく避けるね、眼もないのに」
 こよりは様子を見ているのか、一度動きを止めた。地面を転がった状態では、次の一撃は避けられなかっただろう。晶は、荒い息で答えた。
「〈析眼〉なんてなくても、なんとかなるさ。短い間だったけど、ずっとお前を見てきたんだ」
 だから。
 もう、これ以上。
「動かないの?」
「俺はお前と話をしに来たんだ。倒しに来た訳じゃない」
 そう、とこよりは〈エグザキラー〉を構える。
「私は、話をする気なんてない。邪魔な君を殺すだけ。今までも、これからも――私は、〈屠殺のエグザ〉なんだから!」
 こよりが踏み込む。先ほどよりも、なお速い。何とか受けたが、大きく後ろへバランスを崩した。それとて、徒人としては驚異的、あるいは、奇跡的だ。
 晶は、反応しているのではない。ただ、こよりの癖から動きを予測しているだけである。しかしそれ故、精度は低い。体勢を崩した今となっては、なおのこと。
 追撃に迫るこよりの刃を受ける選択肢などない。晶は抗わず、そのまま後ろに倒れた。頭上を過ぎる〈エグザキラー〉。返しの刃を待つことなく、晶は全力で地面を転がり、その勢いで起き上がる。タイミングを合わせたかのように、そこに迫る刃。反射的に飛び退くと、背中が壁に当たった。もう、逃げ場はない。
 焼けるような激痛。左肩に、〈エグザキラー〉が深々と刺さっていた。
「勝てないって、分かってるでしょ? なのにどうして戻ってきたの?」
 痛みで、動けない。口を開けば、呻き声しか出ないかもしれない。それでも、言わなきゃいけないことがある。
「お前、言ったろ。もう、〈屠殺のエグザ〉は嫌だって。このままだと、お前、また、間違えるから」
「……私は、〈屠殺のエグザ〉よ」
「いいや、違うね」
 違わない。こよりが叫ぶ。
「私は壊すの! 〈此の面〉を、憎い〈此の面〉を――」
「だってお前……」
 こよりの言葉を、晶が静かに遮った。
「もう、大事になっちゃってるだろ? 〈此の面〉と、〈此の面〉に住む人たちが」
 身の回りの物全てを引き上げた部屋の中で、ロッドだけは置いて行った。こよりと、長い時間を共にしたはずの、このロッドを。
「ここにいたいって、そう思うから置いて行ったんじゃないのかよ? もう一度戻るために置いて行ったんじゃ、ないのかよ!」
「違う!」
 こよりが、〈エグザキラー〉を引き抜いた。晶の体が崩れる。
「違うって言うなら。自分は〈屠殺のエグザ〉だって言うなら、〈此の面〉を壊すって言うなら、それが本当だって言うなら――俺を、殺せ」
 朱に染まる剣先を突きつけられながら、晶は動じず、こよりを見上げる。
 お前が最後に殺すのが俺なら、俺は納得出来るから。それが、お前の意志だと思うから。それが、お前の願いだと思うから。
「私は、私は――」
 こよりの顔が、歪む。
「私は殺せる! 君も、〈此の面〉も! だって、――もう!」
 迸る激情。こよりは、〈エグザキラー〉を突き貫いた。

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