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屠殺のエグザ

第八章第二話:その眼 と その手

 皿洗いは終わった。洗濯物も干した。部屋の掃除はこよりがやってくれている。二階から不吉な音が聞こえたりするが気にしない。たまに悲鳴とか聞こえるのは気のせいだ。
 リビングの壁に掛かった時計を見ると、午後二時を少し回ったところだった。任せていいかは別にして、掃除をこよりがやってくれているので、休日である今日はもうすることが無い。
「テレビでも観るかな」
 安い作りのソファーに腰を下ろし、リモコンのボタンを押す。途端に派手な笑い声が聞こえた。バラエティ番組のようだ。
「んー……あんまり好きじゃないんだよな、こういうの」
 何が好きかと聞かれたら「実録! 警察二十四時」みたいなやつなのだが、それは昼間にはやっていない。わざわざテレビ欄を見るのも煩わしく、晶は適当にチャンネルを変え始めた。

 数日前、屋上で零奈が晶に答えた言葉。
 自分が晶を守ることに固執する理由は、晶がこよりを信じる理由と同じ。零奈は確かにそう言った。
(……けど、俺がこよりを信じる理由は……)
 こよりのことが好きだから。
 晶ははっきりと、零奈にそう答えた。その答えと同じということは。
(零奈先輩もこよりが好き……?)
――どう考えても違うだろう。小学生のいじめっこじゃあるまいし。殺したいほど愛してる、なんて、ちょっと零奈先輩の雰囲気に似合ってる気はするけど。
 なら、多分。
「零奈先輩が……俺のことを好きなのか……?」
 だが、晶には覚えが無い。そもそも、零奈の顔すら、あの襲われた日に初めてちゃんと見たようなものだ。それまでに関わりがあった記憶など、当然無い。
 その時、背後の階段から、トン、という足音が聞こえた。足音の主は、からかい口調で晶に言葉を掛ける。
「なあに、誰が好きだって?」
 掃除を終えて降りてきたらしいこよりだった。そういえば、いつの間にか掃除機の音が止んでいる。晶が振り返ると、こよりはニヤニヤ顔で晶に近付いていった。
「あ、もしかして、私への告白の練習?」
「そんなわけあるか。というか、テレビ見ながら告白の練習する奴なんているかよ」
 その時チャンネルは、ちょうど落語をやっていた。こよりは「なあんだ」と、本気とも冗談ともつかない顔でため息をついてみせる。
「それは残念。ちょっと期待したのに」
「ふーん、そりゃ悪かったな。けどとりあえず、当面そんな予定なんて無いから安心しろ」
 軽口はいつものことだ。こよりもだいぶ立ち直った。出会った頃と変わらない。

 何一つ、変わらない。

 ひどいなぁ、とこよりが口を尖らせた時、玄関のチャイムが鳴った。
「誰かな?」
「さあ? 誰も来る予定は無いし、セールスか何かじゃないか?」
 言いながら、晶が腰を上げる。この家にはインターホンが付いていないので、直接玄関まで行かなければならない。
「はーい」
 応えながら、ドアを開ける。そこには。
「……えーと、誰?」
 胸の前で菓子折りを持った、少年が立っていた。背は晶より少し低い程度だが、顔立ちにまだ残る幼さから、中学生くらいだろうと知れた。髪は少し癖があるのか、所々跳ねている。少年は、くりっと丸い眼で真っ直ぐ晶を見つめながら言った。
「村雨晶さんですか?」
「え? あ、ああ……」
「いつも姉が、お世話になっております」
 混乱のまま答えた晶に、少年は深々と頭を下げた。
「あ……姉……?」
 姉って誰だ? 姉……姉って、もしかして。
 ちょうどその時、こよりがリビングから顔を出した。玄関先に立つ人影を認めるなり、こよりは叫ぶ。
「そ、宗一……!?」

「突然お邪魔しちゃって、すみません」
「ああ、いや、別にいいよ。……けど、驚いたな」
 やってきた少年は、こよりの弟だった。長く帰って来ない姉の様子を見るのと、相手先である村雨家に挨拶も兼ねて、というところらしい。中学一年生にしては、かなりしっかりしている。少なくとも、こよりにはそういう機微は期待出来そうにない。
「えっと、俺のことは……?」
 少年、倉科宗一はこよりにちらりと視線をやると、答えた。
「はい、聞いています。右眼だけが、〈変成〉持ちの〈析眼〉なんですよね」
「ああ、まあ。……宗一君も〈エグザ〉なの?」
 晶の問いに、宗一は困ったように頭をかく。
「いえ、残念ながら僕は違います。ですから、お役には立てません」
「あれ? でも――」
 晶はちらりと宗一の手を見た。それを見た宗一は、困ったように笑って答える。
「手だけが〈換手〉なんですよ。眼は普通なんです。……不完全遺伝で、〈析眼〉が消失してしまって」
 珍しいんですけどね、こういうのは、と宗一は笑った。
「そっか。あ、じゃあ宗一君も〈彼(か)の面(も)〉の出身なんだよな。んー……そうだよな、〈換手〉か〈析眼〉がないと、〈此(こ)の面(も)〉に来た瞬間に〈浸透者〉になっちまうもんな」
 自己を最適化する〈析眼〉〈換手〉を持つからこそ、異なる世界で本来の姿を維持出来る。それはつまり、晶もまた〈彼の面〉へ行くことが可能、ということか。
「……何か、あれだな。俺は〈析眼〉だけ、宗一君は〈換手〉だけ……」
「似てますね、僕たち」
 晶と同じように、宗一も親近感を持ったのだろうか。二人は顔を見合わせて笑った。
「さて、晩飯食べてくだろ、宗一君」
「え、でも」
「食べていきなよ宗一。彼のご飯、結構美味しいんだから」
「お前が威張るなよこの居候」
 晶の突っ込みに、こよりは居候じゃないもーん仕事してるもーん、と、晶の苦情などどこ吹く風だ。
「……でも晶さん、姉さんに料理は……」
「分かってる。鬼門もいいとこだ」
 というか家事全般壊滅的であることは既に把握済みだ。まだ見ていないが、二階の惨状など想像するだに恐ろしい。
「まあ、メシくらい食ってけよ。せっかく来てくれたんだし、いつまでもお姉さん借りたまんまだしな」
「いいですけどね。僕も姉さんの弁当作らなくて済むし」
「ちょっと君たち、酷い言いようだぞー!」
 こよりが唇を尖らせて抗議する。突っ込みを返す晶に、苦笑したような顔で曖昧な表情を浮かべる宗一。

 こうして、〈析眼〉が繋いだ三人は出会い、
 その夜は、更けていった。

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