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屠殺のエグザ

第十章第一話:受信 と 着信

 数多の被害を出した〈浸透者〉との戦闘から数日。被害区域は封鎖され、一般人は一切の立ち入りを禁止されていた。報道によればガス管の爆発ということになっているが、そうじゃないことを晶は知っている。
――〈浸透者〉。
 この世界〈此の面〉の裏側にあって、互いに影響を及ぼしあっている向こう側の世界〈彼の面〉から現れる、異形の存在。
 いや、異形というのは語弊があるか。〈此の面〉に本来存在し得ない〈彼の面〉の存在は、〈此の面〉への顕現において〈此の面〉を構成する理の上では異形になってしまう、というだけの話だ。〈浸透者〉とて、〈彼の面〉ではただの動物か……あるいは、人間だったはずである。
 その〈浸透者〉に街は破壊され、〈協会〉は壊滅的なダメージを受けた。その災禍は、まだ完全には終わっていない。

「あ! 晶せんぱーい!」
 警察が封鎖している区域の外、約束の時間通りに真琴が来た。隣には〈血の裁決〉ラーニン=ギルガウェイトの姿もある。晶は手を挙げて応え、携帯をポケットに仕舞った。
「〈屠殺のエグザ〉とは一緒じゃないのか、〈析眼の徒人〉」
 ラーニンの言葉に、晶は首を振る。
「そっちは封鎖区域内の〈浸透者〉相手で手一杯なんだろ。区域外の〈浸透者〉を片付けて回ってるよ、あいつは。……それと、あいつはもう〈屠殺のエグザ〉じゃない」
 ああそうだったな、とラーニンはばつの悪そうな顔をした。
「晶先輩の首尾はどうですかー?」
「とりあえずこの周りは大体押さえたと思う。あとはこの封鎖区域内の歪みを矯正すれば、〈浸透者〉の発生はかなり抑制出来るはずだ」
「そうか」
 ラーニンは静かに頷く。
「手間をかけさせたな、〈析眼の徒人〉」
「まあ俺にしか出来ないだろ。適当な物体を〈変成〉して回って、空間の歪みを矯正するなんて」
  先日の戦闘の後、ラーニンから頼まれた内容だ。此の面に増えた分の質量と彼の面が失った分の質量を同じにするために、晶の〈析眼〉で〈変成〉を行い、物体 の質量を下げて回る――それも、一箇所でやると空間に与える影響が強く出すぎる恐れがあるため、分散しなければならない。現在発生している空間の歪みを見ながら、〈変成〉する位置や量を調整しなければならないため、一日に数箇所回るのが限界だった。
「それよりも、大丈夫だったのか、あんた。〈協会〉で弾劾されたんだろ」
 晶の問いに、ラーニンは「そうなんだがな」と答えた。
「支部は壊滅状態だし、他支部からの増援もほとんどが封鎖区域内の〈浸透者〉討伐に駆り出されている。何しろ湯水のごとく〈浸透者〉が溢れてくるんだからな。 返依しても返依してもキリが無い。正直、猫の手も借りたいくらいだからな。私の処分はとりあえず保留、最優先はこの事態の収束というのが〈協会〉の判断だ」
「〈協会〉内部はすごいですよ。もうほとんど〈浸透者〉と〈対置能力者〉の戦争状態です」
 〈協会〉所属の二人が言うのだから、相当なのだろう。封鎖区域は径にしておよそ三キロ半に及び、その中、特に中心部は〈浸透者〉の巣窟となっているというのだから、封鎖区域外に〈浸透者〉が広がらないようにするだけで精一杯というのも頷ける。
「〈協会〉の人材も無尽蔵ではない。戦いが長期化すれば、それだけ我々に不利になる。このままでは、ジリ貧だ」
「……そっか……」
 その時、ポケットの携帯が鳴った。ディスプレイには、こよりの名前。
『こっちは大体片付いたよ。そっちは?』
「ああ、こっちもほとんど終わった。今、真琴とラーニンが傍にいる」
 晶は、二人を横眼で見ながら答えた。
「あとは、封鎖区域の中だけだ」
 ややあって、こよりが口を開く。
『……いつ、行くの?』
 今の封鎖区域の中は、死地に等しい。そこへ飛び込むには相応の準備と――覚悟が、必要だ。
「今日」
 晶は短く、そう答えた。時間をかけてはいられない。これ以上被害が広がる前に止める。その強い意志が電話の向こうにも伝わったのか、こよりが小さく、諦めたようなため息をついた。
『この状況で即答出来るっていうのはすごいことだよ、君』
 心なしか、こよりの声が笑っているように聞こえる。
『なら、私も準備しておかなきゃね』
「無理しなくていいぞ。中には〈協会〉の〈エグザ〉もたくさんいるんだ」
 ラーニンのような〈執行者〉がいないとは限らない。もしかしたら零奈みたいに、個人的にこよりを狙っている〈エグザ〉だっているだろう。
『君が行くのに私が行かないわけないじゃない。忘れた? ……私は、君を守るって言ったよね?』
 晶は小さく笑った。そうだ、自分たちは、互いに守り合う宣誓を交わしていることになる。こよりが自分を守るというのなら、そのために傷付くこよりを自分は守る。そう決めたのだ。
 だから。
「ああ、そうだったな。頼りにしてるよ、こより」
 それだけ答えて、晶は通話を切った。

 こよりが携帯を切ると、すぐに電話がかかってきた。相手を確認して、通話ボタンを押す。
『だいぶ信用を得たみたいじゃない。ねぇ?』
 からかうような声。こよりは無表情で相手に問う。
「聞いてたの?」
『当たり前だろ。報告を待ってても良かったんだけどさ。自分の眼で……おっと、耳、かな。確かめるのが一番じゃない? それに、それが僕の役割でしょ』
 こよりは顔をしかめる。相手の言うことが正論とはいえ、盗聴まがいのことをされていたのはいい気分ではない。
『それにしてもよくやったよね。彼、村雨晶だっけ? 多分好きになっちゃってるよ、完全に。どうする? 告白なんてされちゃったら』
「別に。それが私の役割なんでしょ?」
 電話の向こうで、おかしそうにクスクス笑う相手に、こよりは冷たく答えた。
『うんうん、分かってればいいよ、分かってれば。それにしてもあれだね、案外簡単に〈協会〉って潰せるもんだね。ちょっと特殊な〈浸透者〉を送り込んでやったらこれだもん。わざわざ〈屠殺のエグザ〉なんて呼ばれる必要なかったね』
 なおもおかしそうに笑う相手に、こよりは小さくため息をついた。
「用が無いなら切るわよ。聞いてたでしょ、準備しなきゃ」
『そうだね。僕もそろそろ……準備しておく時期、かな』
 その言葉に、こよりの口が何かを言いかけて――閉じる。
『準備が出来たら言うね。それじゃ、ご武運を。……自分が呼んだ〈浸透者〉の後始末で死んだなんて、笑えないからね?』

 切れた電話のディスプレイを、こよりはじっと見つめていた。通話履歴に並んだ二つの名前。近しいのに相容れない、この二人は。
「……ここまで来たんだ。もう、戻れない――戻れないよ、もう」
 自分がここに来た意味。晶の傍にいる理由。そのどこにも自分の意思はなくて、でもその願いを叶えたいと思う自分がいて。――だから、やらなきゃなんだ。
 手にした〈エグザキラー〉が重い。まだ、私は〈屠殺のエグザ〉なのだ。

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