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屠殺のエグザ

第十一章第一話:事実 と 真実

 長く続いた騒動も、収束し始めれば早かった。
 晶たちが封鎖区域の内外で行った空間の歪みの矯正、そして〈浸透者〉掃討。入口さえ閉じてしまえば後は容易で、数日後、〈協会(エクスラ)〉の〈対置能力者(エグザ)〉によって残った〈浸透者〉が全て返依された頃、封鎖は解除された。
「随分いいタイミングだな?」
 そう晶がぼやいたのは朝の通学途中、撤去される封鎖テープを横眼に見ながら、である。
「中はまだボロボロなのに、ろくに確認もせずに封鎖を解除なんてするか、普通」
 零奈から掃討が終了したと聞いたのは昨夜のことで、それまでは警察関係者は誰一人封鎖区域に入ることなんて出来なかったはずだが。
「知らないのは下っ端だけよ。上層部は〈エグザ〉の存在を知っているわ。それどころか、一部の〈エグザ〉は警察内部で活動しているもの。〈協会〉からの出向という形で、ね」
 鞄を後ろ手に、隣を歩くこよりが答える。
「だから今回の件にしても、ちゃんと内密に話は通っていたのよ。ここまでは〈エグザ〉の領分、ここからは警察の領分、ってね」
「知らぬは一般市民のみ……ってか」
 つまらなさそうに、晶が呟く。
「〈浸透者〉や〈エグザ〉の存在を、どうして公表しないんだ?」
  〈エグザ〉の能力自体は、不可思議ではあるがさほど危険なものではない。だが〈浸透者〉は違う。この前の事件のように表出してしまえば、一般人にも被害を及ぼしうる危険な存在だ。陰ながら守る――そう言えば聞こえはいいが、結局防ぎきる保証などどこにもない。「狙われていますよ」と一言伝えてもらう方が、 襲われる側としても余程ありがたいことだろう。
 こよりはしばらく晶を見つめると、静かに口を開いた。
「……危険だからよ」
 いつもより抑えた、低い声音に、晶はその真意を汲む。こよりは、〈浸透者〉のことを指して言っていない。
「俺には、そうは思えないんだけど」
「そうなのよ」
 並んで歩く二人の間に、暫しの沈黙が訪れる。二つ目の交差点を越えたところで、今度はこよりが晶に問うた。
「ね、君は〈対置〉能力は科学で解明可能だと思う?」
 唐突な問いだが、話が繋がっていることは明白だ。晶は簡潔に答えた。
「思わない」
 そして少し考え、言葉を付け足す。
「――今の科学力では」
「そう、今の科学力では」
 晶の弁を反復し、こよりは一度言葉を切った。
「でも、〈対置〉能力が科学で証明され、再現されるようになれば、世界は変わるわ。――良くも、悪くも」
 物体同士を入れ換える能力が再現出来たら便利だろうか? ……いや、少なくとも〈対置〉能力を持たない晶は、特別欲しい能力だとも思わない。
 違う、そうじゃない。〈対置〉能力は〈対置〉だけではないのだ。晶が持つ〈変成〉もまた、〈対置〉能力の一端であるはず。それが再現出来れば、世界の常識は大きく変わる。
「〈対置〉能力は、今の科学の考え方、その根底を大きく揺るがすに十分だわ。今の科学は、現象から逆算してその原理を定義しているけれど、〈対置〉能力はその定義を書き換えているんだもの」
  林檎から手を放すと落ちていくのは、そういうルールを世界が持っているからだ。だが〈エグザ〉は、そういったルールそのものを書き換えることが出来る。晶が今まで見知ってきた通り、書き換えられる範囲は非常に限定的だ。だからこそ世界は大きく崩壊せずに済んでいるし、その能力を余すことなく活用することが出来ている。しかし、もし科学でこれを再現可能となったらどうなるか。
「そうしたら、際限が無くなる。今までの物理は消滅して、ありとあらゆる自由が手に入る。――そしてその自由は、まず軍事に転用される」
「……あり得ない話じゃないな。最先端技術ってやつは、まず軍用だ」
 それにしても、スケールの大きな話だ。晶は小さく肩を竦めた。
「なるほど、だから公には出来ないってことか。納得した」
「君は壊したくないでしょ? 君が生きている、この世界を」
 そうだな、と返事をしながら、晶は頭の片隅で、こよりはどうだろうか、と考えていた。〈此の面〉はこよりにとって、大切な世界になっただろうか。この世界にいる人たちを、こよりは大切に思ってくれているだろうか。

 もしそうなら、嬉しいのだけど。

「晶、いる?」
 もはや恒例となり、今更誰も気にしなくなった昼休みのお約束。こよりと零奈の訪問だ。もっとも、過去のそれとは、零奈の目的や意図は違っているだろうが。
「あ、零奈先輩。どうですか、そっちは」
「相変わらず忙しいわ。人手不足甚だしいわね。早急に補充人員が欲しいところだわ」
「〈血の裁決〉の処遇はどうなったの?」
 横から口を挟んだこよりに、零奈は「お咎めなし」と首をすくめて答えた。
「というより、それどころじゃない、っていうのが上層部の本音ね。この支部も壊滅状態、平時の運営すらままならない状況だわ。加えて今回のは、いわば支部の不手際が生んだ不祥事だからね。情けない話だけど、御自らの保身の方がよほど重要な問題なんでしょう、彼らにとっては」
 どことなくどころか、はっきりと棘のある言い回しは、零奈がそのことを快く思っていない証拠だろう。もっと優先すべき問題があるのに、上層部の眼は違う方向を向いている。そのことが一層現場を混乱させ、彼女を疲弊させているのだから無理も無い。
 晶は納得したが、こよりは少し違うようだ。晶の机を、指でトントンと叩きながら、横眼で探るように零奈を見る。
「さて、それはどうかしら。あの会長が、たかが支部一つをコントロール出来ないとは思えないけど?」
「……どういう意味?」
  また始まった、と晶は内心でぼやいた。あの直接対決以降、正面きっての戦闘はしなくなった二人だが、和解には程遠い。というよりも、こよりがあえて挑発的な態度を取るものだから、零奈のテンションが沸点から下がらない、というのが正しいか。問題が解決した以上、もう少し仲良くして欲しいと思うのだが。
「さあね。あえてこの惨状を放置している理由があるんじゃないか、って思っただけよ。支部一つを丸々身動き取れない丸裸の状態にしておく理由なんて私には分からないけど」
 長く〈協会〉を敵に回していたこよりは、ある意味で実にその内情に詳しい。以前に似たような状況があったかどうかは不明だが、彼女なりに何か感じるところがあったのだろう。
「思い付きで発言しないで欲しいわね」
 しかし零奈は、小さく鼻を鳴らして軽くあしらった。こよりもこれ以上反証を重ねる気は無いらしく、興味無さそうにコンビニの袋を弄っている。
「はいはい、そこまでそこまで。あんまりここで物騒な話をするなよ。零奈先輩も行くでしょう?」
 のんびりしていると昼休みが終わる。彼女たちの冷戦に付き合って貴重な時間を浪費するなど、晶にとっては願い下げだ。パンパンと手を叩き話題を打ち切ると、晶は上を指で示しながら移動を催促した。
「よう色男。二股もソコソコにしとけよ」
「だから零奈先輩は従姉弟だって言ってんだろ!」
 対外的には、零奈が晶の従姉弟で、父の留守を預かる保護者係だという説明をしてある。従姉弟であることは事実であるようだし、母からの遺言を守り晶を護衛しているのも事実ではあるので、間違ってはいないはず。見せているのは事実で、真実ではないのだが。

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