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屠殺のエグザ

第三章第一話:寝台 と 床板

 寝返りと同時に訴えられた、体の節々の痛みに眼が覚めた。薄く持ち上げた瞼の向こうには、己の境遇を考えればちょっと腹が立つくらいに爽やかな陽光が、溢れんばかりに降り注いでいる。
(う……疲れが……ぜんっぜん取れてねぇ……)
 昨日はあろうことか、戦闘まがいの事までしてしまった。護衛対象にフォローされるって、どんなだよ。
 晶は体を起こそうと手を突き――初めて、その異常に気が付いた。柔らかく押し返してくるマットレスの感触ではなく、固く冷たいフィードバック。
 晶は、床に寝ていた。
(……落ちたか?)
 道理で体中が痛いわけである。道理で疲れが取れていないわけである。しかし、それにしては――。
(いや、何か妙だ)
 ベッドから落ちたのなら、当然もろとも落ちているはずの掛け布団などが、全く落ちていない。一瞬、ベッドに倒れこんだまま寝てしまったのかとも考えたが、確かに昨夜は、布団に潜り込んだ記憶がある。
 ゆっくりと体を起こし、原因を確かめようと晶がベッドの上を覗き込むと、

 そこには、倉科こよりが安らかな寝顔で横たわっていた(ついでに、よだれも垂れていた)。

「っておい!」
 突如眼の前で展開された惨状に一瞬引くが、それよりも怒りの方が勝ったのだろう、すぐに肩を掴んで揺さぶりまくった。
「何でお前がここで寝ている! どうして俺が床なんだ! そもそもどうやって家の中に入った! それから誰がそのシーツを洗うと思ってんだ!」
 ドッキリ度はともかく、現実的問題としては最後のが一番大きい。
「うにゅー」
「寝惚け指数高そうな顔で妙な擬音発してんじゃねぇ! いいから起きろ! 答えろ!」
 無理矢理揺すり起こされたこよりは、まだ片足だけしか現実に帰ってきていないような顔で、眠そうに両眼をグシグシっと擦った。
「むらさめあきらさん」
「何だこの不法侵入超能力者!」
「おはよーございます」
 がくっ、と、礼というよりも崩れ落ちるように、こよりは上半身を起こしただけの状態でお辞儀をした。そのまま突っ伏し、動かなくなって約二秒、再び晶がこよりの体を起こす。
「言いながら寝てんじゃねぇ! ……っくあーもう、何をどうしろと!」

 どれだけの苦難が晶を襲おうとも、予鈴は待ってはくれない。ようやく半分ほど現実に帰ってきたこよりを部屋から追い出すと、晶は着替えた。制服に袖を通しながら枕にちらりと眼を遣るが、絞れば滴りそうなその惨状に、慌てて現実から逃避する。
――ああくそ、後で客間から新しい枕取ってこなきゃ。

 階段を下りると、こよりが顔面をびしょびしょに塗らした状態で立っていた。
「あ、おはよう。昨日はよく眠れた?」
 どうやら、完全に眼が覚めたようである。顔が濡れているのは、洗面所で洗ってきたからか。
「眠れるわけないだろ! 説明しろ、何でお前が俺の家で、あまつさえ俺のベッドで寝ているんだ!」
「寒かったからねー」
「意味が解らん!」
「だから、昨日君が家に入ってからも護衛してたんだけど、まだ夜になると冷え込むんだよねー。で、窓から覗いたら、君の鞄があったからさ」
 もうすぐ五月、昼間はともかく、夜になると急に冷え込む日もある。だから、
「鞄と私自身を〈対置〉して、中に入っちゃった、てへ」
 家宅侵入をしてもいい、などという法律は、残念ながらこの国には無い。
「てへ、じゃない! 入るなっつったろうが! ……って、つまり俺の鞄は今外かぁっ!」
 晴れてて良かった、神様ありがとう。ついでにこの悪魔っ娘も滅してやってください。
「で、大人しく中で寝ようと思ったんだけど、君の部屋ってベッド一つしかないじゃない。それもシングルサイズ」
「普通だろそれ! むしろお前ん家どんなだよ!」
「で、しょうがないから、君と私の位置を〈対置〉しましたー。お陰でよく眠れたよー」
 晴れやかな、非常に晴れやかな笑顔。晶は、思いっきり体の力が抜けていくのを感じた。
「……何か、朝からどっと疲れたぞ、おい……」
 ダメだ、こんな奴のペースに巻かれるな。俺はあくまで日常を生きる。日常を、日常の通りに生きるんだ。
 晶はそう思い直し、朝食の用意を始めた。用意と言っても大したことはなく、単に食パンをトースターに放り込み、出来合いのスープを温めるだけだ。時間が有れば卵くらい焼くのだが――今朝はこの騒動のお陰で、あまり時間が無い。
「うわあ、いい匂い。君は、朝はパン派?」
「別に。和食は準備に時間かかるし、面倒だからパンにしてるだけ」
 面倒くさそうに答える。そうこうしている間にパンが焼きあがり、スープも温まった。
「うし、いただきますっと」
 ぱん、と勢いよく両手を合わせて、食べ始める。うん、今日はいい感じに焼けた。
「あのー、村雨晶さん? つかぬことをお伺いしますが」
「何だ」
「私の朝ごはんは?」
 刹那の静寂。晶は、眉一つ動かさずに答えた。
「不法侵入者に出すメシは無い。飢えてろ」

「うー、君って時々、鬼みたいだよね」
「悪魔に言われたくない、この腹黒似非アイドルめ」
 通学中、こよりはずっと文句を言い続けていた。朝食を摂り損ねたこよりは、結局途中のコンビニで調達したのだが、それを食べ終わってもまだ言い足りないところを見ると、よほど根に持っているのだろう。食べ物の恨みは恐ろしい、というのは、本当のようだ。
「メシ食いたきゃ、俺がダメだと言ったことは守れよ。それがウチのルールだ」
 晶が宣言したところで校門に辿り着き、どうやら待ち構えていたらしい黒木と衣谷に接近され、この話題は強制的に打ち切りとなった。
「やあおはよう、こよりちゃん。……と、ついでに晶」
「お前、いい根性してんな」
「全く朝からいきなりイチャついているとはな。お熱いことで」
 呆れ半分、嫌味半分に衣谷が言う。こよりは意味が通じていない振りなのか、きょとんとした顔で小首を傾げて見せた。
「晶と一緒に登校してきて、仲いいねってことだよ」
 黒木のフォローに、こよりは初めて気が付いた、というような顔。見事な演技だ。
「いえ、そんな……晶先輩とは、昨日の夜から一緒でしたから、その……一緒に学校に来たのも、その流れと言いますか……」
 たどたどしく答え、少し顔を赤らめて俯いてみせる。あくまで、恥ずかしそうに。……って!
「おま……そ、そんな誤解を招くような言い方すんな!」
 晶の言葉など耳に入らない感じで、二人が呆然としていたのは、言うまでもない。

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