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屠殺のエグザ

第九章第五話:足 と 腕

 晶の〈析眼〉が映したそいつの本質は、確かに別物へと変貌を遂げていた。外観は変わらない。だがそれが在るべき場所が異なっている。
 〈此の面〉。――本来〈彼の面〉に在るべき〈浸透者〉は、今や完全にこの世界の存在となってしまった。もう、誰の眼にも見える形に。
 立ち込める粉塵の向こう、巨躯の〈浸透者〉が、ゆっくりと首を回す。崩れ落ちてくる瓦礫を避け退転した晶たちと眼が合った。――来る。
  そう認識した刹那、見た目に似合わぬほどの俊敏さを持って、第一撃が加えられた。降って来る瓦礫よりもなお速く、先読みが可能にする回避行動の、およそ限界に近いレベルで。晶はその類稀なる〈析眼〉でいち早く、こよりは天性のセンスにより、真琴は常人のレベルを軽く凌駕する反射神経で、それをかわした。後方へと跳んだ晶、側方へと逃れたこより、懐へと入り込んだ真琴。回避行動が、次に繋がる布陣となる。
 その巨体ゆえ、間合いの詰まりすぎた真琴は、〈浸透者〉にとって攻撃しづらい。距離を離した晶も同様。自然と狙いは、こよりに絞られる。
「くっ……!」
  次々と降り注ぐ瓦礫の間を縫い、その隙間に挿入される〈浸透者〉の攻撃を紙一重で避ける。〈浸透者〉の足で踏み潰されれば言うまでもなく、たとえ瓦礫の下敷きとなっても無事では済まない。何しろその一つ一つが、小さくても一抱えほどの大きさなのだ。当たり所が良くても、負傷すれば〈浸透者〉の攻撃はかわせない。
 リズムよく地を跳ねながら、こよりは右手の〈エグザキラー〉を普通の剣と〈対置〉した。〈対置〉効果を無効化させる〈エグザキラー〉なら 〈浸透者〉の回復能力も恐らく無効化出来るが、反面こちらも返依すことが出来なくなってしまう。たとえ不利と分かっていても、〈エグザキラー〉は使えない。
 〈浸透者〉の攻撃を、真琴が微妙に遅らせてくれている。すぐに回復されるとはいえ、攻撃時に軸足を攻撃されれば、〈浸透者〉もバランスは保てまい。重い分、足に掛かる負担は相当のはずだ。あとは、自分がこいつを抑えればいい。
 後ろへ流したこよりの視界には、晶が映っている。〈協会〉の〈エグザ〉が束になっても敵わなかった〈浸透者〉を御するには、恐らく彼の力は必要不可欠だ。
 〈変成〉。
 物体の本質を自由に書き換えるその能力を、どう扱うか。
 事前に十分な作戦を立てられなかった以上、彼の機転と発想に賭けるしかない。
 足場は悪かった。崩れ落ちた瓦礫によって歩道は埋め尽くされ、平らな地面など残っていない。踏んでも崩れぬ場所、角度、あるいは崩れるまでに次の足場へと跳べるだけの猶予を、こよりの〈析眼〉は看破する。
  衝撃と共に、こよりの眼の前に〈浸透者〉の腕が振り下ろされる。適度な距離を保たねばならないこよりにとって、多少なりとも〈浸透者〉に攻撃を加えられる瞬間は決して多くない。今は、その僅かなチャンスの一つだ。剣を薙ぎ、こよりはすぐに後方へと跳ぶ。紙一重、こよりを掠めて打ち下ろされた前足が再び横払いに振るわれた。一度〈浸透者〉との間合いを開けたこよりは、再び〈浸透者〉へ向けて突進する。距離を開けすぎるのも良くない。晶の意図――それは、恐らく。
 晶は先ほどから、〈浸透者〉の周りを執拗に走り回っている。周囲は瓦礫の山だが、その巨躯の下は〈浸透者〉自身が傘の役割を果たし、アスファルトが覗いていた。
(動きを、止めろってことね……)
 〈浸透者〉の動きを止めるには、こより自身が静止するのが一番だ。だがそうすれば、間違いなくこよりは〈浸透者〉に仕留められる。こよりは、晶に眼を遣った。
 〈浸透者〉の正面にこより、背面に晶。異形を挟み、二人は互いに頷き合う。
 こよりが足を止める。〈浸透者〉にとっては攻撃の好機、迷う素振りも見せず、その腕が振り下ろされた。轟音を上げ、必死の一撃がこよりに迫る。

 晶は瓦礫の山を飛び降り、

 真琴は後方へと退避し、

 こよりは己に迫る腕を睨み付けた。

 晶の掌がアスファルトへと叩きつけられ、

「〈変成〉!」

 晶が、その能力を叫ぶ。

 突如、〈浸透者〉の攻撃がその軌道を逸らした。腕がこよりの鼻先を掠めて、地面に吸い込まれるように――いや、まさに吸い込まれていた。〈浸透者〉の身体が前のめりに、むき出しのアスファルトへと沈んでいく。
「固まれぇっ!」
 晶が叫び、路面へ沈んでいく〈浸透者〉の身体が止まった。足を固定され、〈浸透者〉は全く身動きが取れない。
「やったね」
「さすがです、晶先輩!」
  〈変成〉でアスファルトを液状化させ、再び硬化する。それだけならさほど難しくはないが、広範囲を〈変成〉してしまえば、こよりや真琴が巻き込まれて一緒に沈んでしまいかねない。〈浸透者〉の足元をピンポイントで〈変成〉するために、〈浸透者〉が足を止めている必要があった。そのためにこよりが足を止めるのは危険ではあったが――しかし、こよりは本当に……晶を信じて、足を止めてくれた。
(それだけで……いいよな、今は)
 〈浸透者〉が唸り声を上げる。三人は、ゆっくりと地に埋まった巨体に近付いていった。
「返依せるか、こより」
「やってみる」
 こよりが掌を〈浸透者〉に当てる。このまま〈対置〉を発動すれば、〈浸透者〉は〈彼の面〉へ返依るはずだ。
「上手く行くでしょうか……」
 真琴が晶の脇に寄り、囁く。
「回復のみとはいえ〈変成〉持ちの〈浸透者〉ですし、〈此の面〉に表出したことによる本質の変換で何らかのエラーが出てると思うんですよね。おまけに完全に表出してしまっている以上、ちゃんと返依せるかどうか……」
「もし返依せなかったら、どうなるんだ?」
 晶の問いに、真琴は言葉を選びながら答えた。
「残念ですけど……倒してしまうしか、方法はありません。返依せないからって放置しておくわけにはいきませんし……でも、こんな大きな〈浸透者〉の身体を〈此の面〉に残したままにしたら、間違いなく〈此の面〉は質量オーバーで空間に穴が空きます。その穴から大量の〈浸透者〉が現れることになりますが……」
「それは、避けたいな」
 ぞっとしない話だ。晶は頭を振って、こよりに視線を戻した。懸命に体を動かそうとする〈浸透者〉だが、足を完全に止められているため、ほとんど動いていない。無効化された〈浸透者〉に、こよりがその能力を発揮する。
「返依りなさい、〈彼の面〉へ……〈対置〉!」
 今まで幾度も見てきたように、〈浸透者〉の本質が組み変わる。危ういバランスで〈此の面〉に顕現していた本質は、〈対置〉というアプローチによってそのバランスを失い、本来あるべき場所へと返依る――はずだった。
「そ……んな……」
 異形、〈浸透者〉の体が歪んでいく。骨格から考えれば有り得ない位置から幾本も腕が生え、長々と伸びていく。
「下がれ、こより! 失敗だ!」
 晶の声と同時か、あるいはより早く、こよりは後退した。直後、こよりのいた場所に無数の腕が突き刺さる。
「参ったわね……もう、手段が無い」
 倒せない、返依せない――状況は、絶望的だった。

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