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屠殺のエグザ

第十章第二話:前進 と 後退

 深夜、封鎖区域の境界線。
 警官は一定間隔で配置されているが、監視の眼には穴がある。警官たちも何故封鎖されているのか、中で何が起こっているのか把握していないのだろう、さほど監視は厳しくなかった。
「こより、準備はいいか」
 晶の呼びかけに、こよりは頷いて答える。晶の武器はこよりから借りた折りたたみロッド、こよりの武器は細身の剣。見上げるとそこには満月、蒼い夜だ。
 封鎖のテープを潜り、一歩を踏み出す。先は真っ直ぐに伸びる路地、両脇は建設中のビル。人工の断崖に挟まれた空間、その先に、静かに影が降りる。
「……やっぱり、来たんですね」
 開いた晶の〈析眼〉には、その異常が既に視えていた。恐らくは、こよりにも。
「行かせない。分かってるでしょ? この先は……死地よ」
 人影は一歩踏み出し、その顔を、月光の元に晒す。
「それでも行かなきゃいけないんです、俺は……。だから、そこを通してください――零奈先輩」
 零奈の、シルバーカラーのコートが鈍く光る。いつもかけている眼鏡をしていないのは――〈析眼〉を使う上で邪魔になるから。彼女は、本気だ。
 こよりが晶を制し、前に出る。
「君は下がってて。……どうせ、私を倒しに来たんでしょう? 〈急進の射手〉小篠零奈」
 こよりはそう言って、その視線で零奈を射抜く。並の〈エグザ〉なら縮み上がりそうなその眼力にも怯まず、零奈は薄く笑って見せた。決して楽しそうには見えない、こよりへの憎しみにも似た感情が生み出した表情。
「分かってるじゃない、〈屠殺のエグザ〉。あなたがいなければ、晶はこんな危険なことをしなくて済んだんだもの。あなたが何を企んでいるのか知らないけど、どうせここへ晶が来る事だって折込済みなんでしょう? あなたが何をしようが興味無いけど……晶を巻き込むことだけは、許さない」
 言い終わるや否や、零奈は〈神器・アトラーバオ〉を取り出し構える。
「あなたにはここで死んでもらう。そして、私は晶を連れ戻す!」
「ちょ、ちょっと待ってください零奈先輩! こよりは……っ!」
「大丈夫だから。ちゃんとケリをつけるよ」
 叫ぶ晶、静かに応えるこより。狭い路地に殺気が満ちる。
 こよりは武器を新たに〈対置〉せず、既に持っていた剣を右手に持ち、半身に構えた。
「〈神器〉、〈対置〉してもいいのよ?」
 零奈が挑発するように顎でこよりに示す。もちろん、〈アトラーバオ〉は構えたままだ。
「お心遣いありがとう。でも結構よ。私は〈神器〉に頼った戦いなんてしないもの……あなたと違って」
 挑発的な物言いは、こよりなりの応酬か。言い返された零奈が、ムッとしたように顔をしかめた。
「あなたの戦い方はもう見てる。真琴ちゃんから話も聞いた。……伊達に〈屠殺のエグザ〉なんて呼ばれて無いわ――よッ!」
 刹那の踏み込み、こよりは一気に距離を詰める。コンマ数秒で間合いを得るほどのダッシュを、しかし。
「フッ!」
 一種の呼吸法か、零奈は鋭く息を吐きながらのバックステップ。同時に放たれる、無数の矢。もちろんこよりの接近と同じ速度は望めない後退だが、長い間合いが零奈に利する。雨のように降り注ぐ矢は、否応無くこよりの足を鈍くした。得られる時間はそれでも僅か、その隙に。
(壁を……上った?)
 零奈は両脇に迫る壁を交互に蹴り、自らの高度を上げていく。いわゆる三角跳びの要領だが、零奈はこれを後ろ向きに行っていた。
 水平に放たれていた矢が、次第に垂直に近くなっていく。
(前を向いているなら、私には楽だけど……)
  零奈への接近と、矢の回避に専念しながら、こよりは頭の片隅で思考する。常人には難しい高さへの上昇も、〈析眼〉を持つ〈エグザ〉にはそれほど難しくは無い。自身の持つ運動エネルギーを最も有効に活用するというのは、〈エグザ〉なら(例外はあれど)誰でも行っていることだ。だが。
 零奈はこれを、後ろ向きで行っている。当然、〈析眼〉は使えない。
(さて、いつまで逃げるつもりかな……ビルの高さにも、限りがあるわよ?)
 既に十五メートルは上っただろうか。上部はまだ壁が無く、鉄骨がむき出しになっている。ここまで来れば、追いかけるのも楽だ。足を置く場所に困ることも無い。
 鉄骨に足を乗せ、力を込める。上方への慣性を利用し、必要最低限の力で自身の身体を更なる高度へと持って行く――直後、零奈の速度ががくんと落ちた。
 相対的に一気に二人の距離が近付き、こよりは己の失敗に気付く。既にこよりへ向けて、無数の矢が放たれていた。次の鉄骨に到達するまで、回避出来ない。
「くっ!」
  こよりは迫る矢を剣で叩き落とす。とはいえ、全て落としきれるものではない。落とすのはあくまで、胴体に届く矢のみ。頭や手足に当たる矢は、手足を振った反動を利用して姿勢を制御しかわしていく。百戦錬磨のこよりだからこその危機対応能力、その全てを余すことなく発揮し、こよりは辛うじて危機を脱しようとしていた。身体が次の鉄骨へと近付き、方向を制御出来るようになる直前。
 ガキッ、という鈍い音と共に、こよりの手から剣がもぎ取られた。回避のために姿勢を変えたせいで、視界に入らなかった鉄骨に剣が挟まれてしまったのだ。手からこぼれた剣はゆっくりと回転しながら地面へと吸い込まれていく。当然こよりには、他の武器は無い。徒手空拳で挑めるほど、〈急進の射手〉は甘くないだろう。
(まずいっ!)
 下から晶が叫ぶ声がした。視線を、剣から零奈へと動かす。きっと、既にこよりへ向けて無数の矢が放たれているのだろう。これでもう、チェックメイトだ。
(……?)
 しかし、次にこよりの視界に入ったのは意外な光景だった。矢が射られているどころか、零奈は〈アトラーバオ〉の構えを解いている。それだけでなく、零奈はこよりを見ていなかった。一目散に、今度は下へと移動している。
(どういうこと……かな、これは)
  武器を失ったこよりは、絶好の的だったはずだ。しかもこの状況下で下へ逃げる理由はどこにも無い。矢は上へ向かって射るより下へ向かって射る方がずっと有効であるはずだ。ましてや、視界から相手を外すなど〈エグザ〉同士の戦闘では致命的とも言える愚行である。僅かな時間があれば、眼の届く範囲に手ごろな資材などごろごろしているのだ。地面に転がっている剣と、その資材を〈対置〉するなど容易い。〈エグザ〉には、武器を拾いに行く必要など無いのだ。
(……となると、答えは一つだね)
 恐らく、零奈はこよりが剣を〈対置〉するのを待っている。別に正々堂々と勝負をしようだとか、そんな理由ではない。つまり零奈にとってこの戦闘が、彼女の戦法に向いていないということ――それでも零奈が勝つための――いわば、必然だ。
 零奈が〈急進の射手〉と呼ばれる理由。――それは彼女が、奇襲戦法を得意としていることから来ている、と真琴は言っていた。

 通常、弓を使う〈エグザ〉は狙撃戦法を好む。自らの姿を隠して、遠距離から攻撃するのだ。しかし、隠れているという状況から、〈エグザ〉にとっては重要 な「視界の確保」が、大抵の場合は難しくなる。ましてや対〈エグザ〉戦の場合は、射た矢から居場所が簡単にばれることも少なくない。
 だが零奈は、中距離から接近しながら無数の矢を放つ。奇襲を受けた相手は、まず矢を避けながら後退するという選択肢しか取れなくなり、結果的に対応が後手後手に回るのだ。
 この、「矢を番えずに射ることが出来る弓」〈アトラーバオ〉の利点を最大限活用した戦法により、零奈は弓使いとしては独特な戦闘スタイルを確立した。
 しかし、始めから姿を見せ、宣戦布告しているという状況においては、奇襲戦法は使えない。そのために零奈が考えたのは、恐らく。
 こよりは、手近な資材に手を触れた。

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