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屠殺のエグザ

第十一章第三話:予兆 と 発露

 〈協会〉本部の中央情報室には、各支部から上げられた全ての情報が集約される。その内容は〈浸透者〉の情報から新たに登録された〈エグザ〉に至るまで多岐に渡り、情報の種別毎に担当へ送られるのだ。数いる担当の一人が、その日常業務に没頭している最中、気になる情報を眼にして手を止めた。
「……あれ? もしかしてこれ……」
 呟きを拾ったのか、隣の同僚が身を乗り出してモニタを覗き込む。
「どうかしたか? ……おっと、これは穏やかじゃないな。どこからの情報だ?」
 さてね、と、担当が端末を操作する。表示されたプロパティを眼にして、二人は同時に唸った。
「この支部って……あれだろ? こないだ壊滅して混乱のまま未だ復旧してないっていう……」
「だよね。信頼できるのかな、コレ」
 話しながらも端末を操作し続ける。画面に表示された情報を、過去の情報を集積したアーカイブのそれと照合──画面に並んだ二つの情報のうち、共通項目がマーキングされた。
「本当なら、十中八九間違いないな」
「さて、どうしようか。あの支部じゃ、今は〈浸透者〉の対応で限界でしょ? こんな化け物の相手をする余裕はないと思うけど」
 何はともあれ、上には上げないとね、と担当はファイルにインポータント属性を付与して、レポートフォルダに放り込んだ。あとは、上が判断することである。
「さて、続きをやるか」
 二人は、業務に戻った。

 その朝は、こよりの悲鳴で眼が覚めた。「きゃー」というより「ぎゃあああ」というのがより近い、どちらかというと断末魔のそれだったが。
 ドタドタと慌しい足音が階下へ降りていき、静かになった、と晶が布団を被り直したのも束の間、再び地響きを上げてこちらへ迫ってくるのを耳にして、ため息混じりに起き上がる。せっかく今日は──。
「たいへんだー!」
 バン、と乱暴にドアを開け放ち、こよりが叫んだ。
「寝坊、寝坊だよ! もう授業始まってるよ!」
「……ゆっくり……」
「は?」
「……眠れると、思ったのに」
 起こすな、騒ぐな、勝手に部屋へ入ってくるな、とブツブツ言いながら、晶は壁に掛けられたカレンダーを指で示す。カレンダーの今日の日付には大きく丸が付けられており、そこに「課外」と走り書きされている。
「……これがどうしたの?」
「本気で忘れたか、お前!」
 きょとんとするこよりに、晶は強く言った。こよりはHRを寝て過ごすタイプなのだろうか。
「今日は課外授業だ。三学年合同のな。何か知らんが演奏を聴くとかで、市立ホールに現地集合。十時からだ。ここからなら歩いて十分もかかんねぇし、本当ならもうちょっと寝れたぞ」
 晶が不機嫌そうにまくし立てる。こよりは気にした風でもなく、「あれ、そうだっけ」などと言って小首を傾げていた。
「そっかそっか。よかったー」
「……良くねぇよ……」
 時計を見るが、さすがにもう二度寝という時間でもない。渋々晶はベッドから立ち上がる。
「……おい」
「ん?」
「着替えるから、出て行け」

 さすが、三学年合同だけあって市立ホールは大変な混雑ぶりだった。エントランスは当然ながら、ピロティも生徒で溢れかえっている。学年クラス関係なくごった返しているあたり、教師たちは生徒を整列させる気など更々ないらしい。一応、事前にプリントが配布されているので、その席へ勝手に座れということだろうか。
「プリント失くしてなくて良かったよ」
「そこまでは知らんぞ。今回は良かったけど、ちゃんと聞いとけよな」
「君は?」
 生徒の間を縫うように進んでいると、大ホールの扉が見えてきた。こよりがそちらを指差しながら尋ねる。
「二年生は二階席。奥の階段から上がる」
「私一階席だ。ちょっと残念だね」
「何が?」
 嫌な予感に、思わず声が固くなる。こよりの声の調子でおおよそ見当は付くが、これは。
「同じだったらさ、どさくさに紛れて一緒に座れるじゃない?」
 やっぱりか。晶はため息混じりに答える。
「あのな、右も左もどの席も、ちゃんとそこに座る予定の奴がいるに決まってるだろ。勝手に席を代われるか」
「大丈夫。私がちょっと本気出してお願いすれば、誰でもイチコロだもん」
 てへっ、と舌を出して、ウィンクをしてみせるこより。
「『だもん』じゃねぇ。小悪魔……ってか、堕天使レベルだな、本当に。とにかく、そういう不正はナシだ。わかったな」
「……さすがに慣れてきたね、君」
「家では一緒なんだから、わざわざここで隣に座ることもないだろ。んじゃ、俺はもう行くぞ」
 さっさと二階席へ、と奥の階段へ向かおうとした時、何かに袖が引っかかった。生徒達の隙間から確認してみると、誰かが晶の袖を握っている。こよりだ。
「……どうした?」
 こよりは「ん」と、少し寂しそうに、少し泣きそうに、笑って言った。
「……また、後でね」
 ああ、と晶が応える。ややあって、こよりの手が袖から離れた。こよりの口が、何かを言いかけて閉じる。
 その時、後ろから強く押された。いや、人の波に押し流された、が正しいか。急速に開いていく、こよりとの距離。しかし、この流れに抗ってまで気にするほどではないだろう。そう考えて晶は、こよりの態度を気にしながらも、二階席へと向かった。

 秩序の欠片もない混雑っぷりのおかげで、開演時間が三十分ほど遅れた。あれではそれも致し方なし、と晶は達観したものだったが、教師たちが「さっさと座れ」「席に着け」と呪文のように繰り返しているのを見るのはさすがに気が滅入る。こうなるのは眼に見えていたのだから、事前にピロティで整列させて、三階席の生徒からでも順次入れていけば良かったのだ。「早く席に着かないから遅れた」と言っているが、晶に言わせれば教師の怠慢が生んだ結果である。
 まあ、どうでもいいのだが。
 ともあれ、三十分遅れではあるものの無事開演し、晶は今演奏会を楽しんでいる最中、というわけである。
 開演のアナウンスの後に続いて最初の演奏、演奏者のMCから、二曲目を演奏中。音楽には疎い晶なので、マンドリンがどういう楽器かというのは今日初めて知ったのだが、今ひとつギターとマンドリンの区別が付かない辺り、やはり分かっているとは言えないのかもしれない。それでも、聴いていて気持ちのいい音であることには変わりなく、結構楽しんで晶は聴いていた。
 粒の揃った弦楽器特有の減衰音がホールに響き、強く、弱く、叙情の調べを奏でる。西洋ファンタジーの世界を想起させるメロディーラインが、やがて激しい動きのあるイメージに変わり、心の奥底に押し込めた感情を解放するように一気に爆発させた時、

 本当に、爆発音が響いた。

 一瞬静まり返ったホールが、次の瞬間に耳をつんざく悲鳴で満たされる。爆発音がしたのではなく、文字通りホールの天井が爆発したのだと晶が理解するのに、さほど時間は要しなかった。見上げた天井から崩れた欠片が客席に降り注ぎ、ホールが粉じんで満たされる。ガス爆発か、まさかテロということはあるまい、と、一瞬の間に様々な思考が脳を駆け巡った。この非常事態にあっても、この時点で立ち上がった生徒は一人もいない。いや、突然の出来事に誰も対応出来なかったというのが正しいか。
 しかし、それも長くは続かなかった。
 大穴の開いた天井から、黒い人影が客席へと飛び降りる。ゆうに十メートル以上の高さだ。それでも無事に着地し、人影は立ち上がる。
 全身を黒い皮革のようなツナギで固めた、腰より長く伸びた長髪の男性。年齢はおそらく二十代だろう。手にはまるで死神が持っていそうな、巨大な鎌。
 男は、ゆっくりと周囲を眺めていたが、やがてある一点に視点を止める。その瞬間、空気が揺らいだような気がした。
──あれは、まずい。
 晶は右眼を露出し、〈析眼〉を開いた。男の視線の先は──こよりだ。
「避けろ!」
 本能が、晶に叫ばせる。こよりが席から立ち上がった次の瞬間、男はこよりの眼の前に到達していた。
 しかし、そこからのこよりの反応は速い。恐らくは男が鎌を振りかぶっていることを認識するよりも速く、バックステップで間合いの外へ逃れた。ぎりぎり攻撃が当たらない、絶妙の間合い。こよりは、男の攻撃を完全に避けきったはずだった。
 その瞬間、男の体がまるで陽炎のように歪み──気が付いたときには、こよりの肩が、男の鎌によって切り裂かれていた。
 激しい血飛沫を上げてうずくまるこより。ホールは、一瞬にしてパニックになった。
 叫び、逃げ惑う生徒達。その間を縫って、晶は進む。急がなければ、こよりの身が危ない。
「こより!」
 大声で名を呼びながら、二階席の端、転落防止の柵に手を掛け、身を乗り出す。人ごみの中に見たこよりは、今まさに男によって追撃を受けようというところだった。
「やめろぉっ!」
 渾身の叫び。意に介さず振り下ろされる鎌。死神を連想させるその凶器が、こよりの命を狩ろうという瞬間、男が動きを止めた。
「あれは……」
 男の右腕に刺さった一矢。晶は、それが放たれた方向へと振り返った。
「零奈先輩!」
 〈神器・アトラーバオ〉を構え、凛と立つ人影。〈急進の射手〉小篠零奈だ。
「まったく、世話が焼けるわね。まあいいわ、借りを返すにはいい機会だもの」
 二矢、三矢を続けて放つ。降り注ぐ雨のような矢に、男はこよりと距離を置くことでこれを回避する。ちらり、と零奈を見遣るも、そちらに狙いを変えるつもりはないらしい。相変わらず、こよりを狙っているようだ。
 零奈が牽制している間に、晶は二階席から飛び降り、こよりへと駆け寄る。
「大丈夫か、こより!」
「……う……っ」
 肩の傷は思った以上に深く、出血も激しい。いくら〈エグザ〉でも、回復は容易ではないだろう。理由は分からないが、あの男はこよりを狙っている。今のこよりでは戦えないし、何より──相手の戦闘力が、未知数だ。
(時間を稼がないと……やれるか? いや……)
 やってみせる。
 晶は、足元の床に手を当てた。
 物体の本質。物体を構成し、形作る様々な要素。それらを書き換える〈変成〉は、即ち物体そのものを全く別の物体へと変えてしまう──その可能性を、意味する。ならば。
「繋がってりゃ、一つの物体と見なせる……見なしてみせるっ!」
 〈析眼〉が光り、ホールの床を書き換える。
 男の足元が、崩れた。

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