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屠殺のエグザ

第三章第三話:歪み と 戦舞

 その異常に、最初に気が付いたのはこよりだった。
 晶に一通りの説明を終え、昼休みの時間が尽きかけた、その時。こよりは、僅かばかり眉根を寄せて、屋上から学校の構内を見渡した。
「どうかしたのか?」
 こよりの奇異な行動は、今に始まったことではない。しかし、恐らくは。
 晶の予想を、こよりは肯定した。
「多分、だけど……学校の中に、〈浸透者〉がいる」
 声には、彼女にしては珍しく、焦りの色が濃く見られた。
「でも、何だか空間の歪み方がおかしい。普通の〈浸透者〉なら、存在する空間を中心に歪みが発生するのに――」
  〈此の面〉でも〈彼の面〉でも、世界が保有出来る質量には限りがある。閉じた空間であるこの世界では、本来なら保有する質量が変わることなどあり得ない。 しかし、別の世界、この世界の裏側〈彼の面〉から染み出してくる〈浸透者〉は別だ。彼らは、この世界が保有する全質量の「外」にいる。本来は存在し得ない 質量を持たされた空間には、歪みが生じ、それを視ることで、こよりは浸透者の存在を察知していた。
「――構内が、全体的にデコボコって感じになってる」
 こよりがしばらく言葉を止めたのは、晶に伝わりやすい語彙を選んだのだろう。努力は認めるが、しかし。
「意味解らん。で、どうすんだ? こっちはまだ襲われてるわけじゃないし、〈浸透者〉ってのは、〈エグザ〉とか俺みたいなのを除いて、〈此の面〉の人とか物には影響を与えないんだろ?」
 言外に放っておいてもいいんじゃないかという空気を漂わせつつ、晶は尋ねた。ただでさえ、出来ればお近付きになりたくない連中だ。こよりですらよく判らない相手だというなら、尚更のこと。
「ダメだよ。完全に表出していたら、この学校の人はみんな狙われる。今は表出していなくても、放っておけば、いつかは必ず表出するよ」
 こよりは硬い声で返すと、晶へ振り返った。
「こっちから出る。君は付いてきて」
「はぁ? 何で俺が! お前は俺の護衛じゃないのかよ? 敵の前に護衛対象連れて行くバカがどこにいるんだ!」
「多分、だけど、〈浸透者〉は君の〈析眼〉に引き寄せられてるんだと思う。私のいないトコで〈浸透者〉に襲われても困るし」
 早口に説明しつつ、既にこよりは準備を整えていた。腰から、いつも使っている折りたたみ式のロッドを取り出し、伸ばす。
「それに、君は戦わないんでしょう?」
 言い捨て、こよりは屋上の鉄扉へと駆け出した。
――今のは多分、皮肉だろうな。
 微妙に刺さった面持ちで、晶はその後を追った。

 授業が始まり、誰もいない廊下を二人が走る。壁越しに聞こえる授業の声は、二人分の足音と共に反響し、後ろへと去っていく。
「右眼、出しといて。戦う気が無いのは結構だけど、自分の身に危険が迫っていることも判らないようじゃ、守りきれないわ」
 その声は、教室で見せるふざけたそれではない。迫力負けしたように、晶は頷いた。
 右眼の露出と共に、晶を飲み込むような勢いで「本質の世界」が見える。こよりの言うように、空間が波打っているような形で歪んでいた。
「何だよコレ、気色悪い」
 歪みの量自体は大したものではない。一つだけなら見過ごしそうな小さな歪みは、しかし無数に存在することでその異常を主張していた。
「これさ、」
 廊下の突き当たり、左に折れて階段を駆け下りる。
「〈浸透者〉だと思うけど、小さいのが沢山いるんだと思うぜ」
 晶の言葉に、こよりは一瞬、驚いたような眼で振り返り――
「精度のいい〈析眼〉ね。それに、見立ても悪くな――」
「でも散らばってるわけじゃない。南校舎の裏側、花壇の辺りに十五体くらい。校門脇の駐輪場の辺りに十二体、焼却炉跡周辺に五体ほどってところだと思う。駐輪場にいる奴は、多分こっちに気付いた。今移動してるぜ、こっちに」
「――ホント、いい見立てだね」
 改めてもう一度、感心したような、あるいは呆れたような顔で頷いた。
「校舎内にいないっていうなら好都合だわ。一般の生徒の迷惑にならないように、裏庭に出ましょ」

 一階まで一気に駆け下り、外に出ようとしたところで最初の一団に遭遇した。晶の見立て通り、バスケットボール大の浸透者が十二体、ひしめきひしめき飛んでくる。
「伏せてて!」
 こよりは叫び、ロッドを振るった。大きさは同じくらいだが形は様々な〈浸透者〉のうち、顔らしき物の中央に太い針を備えた一体がそれに打たれ、壁で跳ねる。その隙を突いて襲い来る〈浸透者〉の下を滑り出て、起き上がった丁度眼の前に落ちてくる、先ほど打った〈浸透者〉。
「返依(かえ)れ!」
 左手を伸ばし、〈浸透者〉に触れる。白い光が弾け、〈浸透者〉は消えた。
「外に出て! ここじゃ狭くて戦えない!」
 こよりの言葉に、晶は転がるように裏庭へ出た。続いて、〈浸透者〉の攻撃をギリギリで避けながら、こよりが出る。
 狭い廊下から広い裏庭へと出たことで、〈浸透者〉は四方に散らばった。数多くいる〈浸透者〉を一度に返依す方法を持たない〈エグザ〉にとって、敵が密集していることに何のメリットも無い。それよりも、立ち回り易さをこよりは優先した。
 二体目、三体目と、〈浸透者〉が返依されていく。囲まれているため、何度かこよりの隙を衝き、〈浸透者〉が晶を襲ったが、その凶刃が晶に到達することは無い。
「大丈夫、安心して」
 荒い息を吐きながら、こちらを見ずにこよりは言った。
「君は、私が守るから」
  頭部を狩りに来た〈浸透者〉を屈んで回避し、立ち上がりざま、膝のバネをも利用してロッドを振り上げる。重心に攻撃を受けた〈浸透者〉は、成す術も無く空 高く舞い上がった。未だ腕を持ち上げたままのこよりを、背後から別の〈浸透者〉が襲う。しかしこよりは、振り上げた腕の勢いそのままに、背面へとロッドを 振り下ろした。硬質な音と共に火花が散り、〈浸透者〉が地面に叩きつけられる。こよりに休む間も与えず、右後方から突進してくる〈浸透者〉に対しては、 ロッドの振り下ろしで踏み込んだ膝のバネを解放してバックステップ、眼の前を通過する〈浸透者〉を、野球のバッターのように薙ぎ払った。そして左手を天に 伸ばし、先ほど叩き上げた〈浸透者〉が落ちてくるのに合わせ、
「お前も、返依れ!」
 〈浸透者〉を、返依す。
 目まぐるしく展開 するこよりの戦いは、晶の――狙われている本人である晶の眼から見ても、綺麗だった。腰まで届きそうな長い髪は戦闘には不向きに思えるが、少なくとも今 は、見事にこよりの戦いを「演出」している。こよりが沈み、跳ね、回るその動きにやや遅れて、球の髪飾りで二房に分けられた後ろ髪が踊るのだ。幼い頃から 忌避し続けた「本質の世界」は綺麗ではなかったが――しかし、今〈析眼〉を通して見るこよりの輪舞は、無数の歪みに満ちたこの空間にあって、異彩を放つほ どに美しかった。
 ようやく半分ほど返依し終えたところで、こよりの反応速度に翳りが見え始めた。恐らく、普通の眼で見ても判らないくらい、僅かではあるが。
(疲労が溜まってんのか……?)
 こより一人ならいざ知らず、晶を守りながらの戦闘である。普通に戦うよりもずっと疲れるはずだ。
 そして、間の悪いことに、花壇と焼却炉跡の〈浸透者〉が、裏庭に到着してしまった。

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