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屠殺のエグザ

第十章第十話:形見 と 決意

 晶は、冷たい指先で右眼に触れた。じんわりと暖かさを感じる〈析眼〉は――形見であったのだ。
「それで……母さんは」
 搾り出すように先を促す晶に、零奈は小さく首を振った。
「詳しくは、聞いてないわ。でもその後……あの戦いの最中で、命を落とした……って」
「そう……ですか」
 文字通り、母は自らの命を賭して晶を救ってくれたのだ。この眼は母の遺品であり、想いであり――そして、命そのものだったのか。
「ごめんなさい……晶……」
 小さく、震える声で零奈が詫びる。
「私のせいなの。君が右眼を失ったのも、〈析眼〉のせいで過酷な運命を背負わされることになったのも、叔母さんが亡くなったのも――」
 だから。そう、零奈は続けた。
「私が、君を守ろうと誓った。君は許してくれないかもしれないけど、それでも、私は私の業を全て受け入れて、君を守ろうと誓ったの。――〈急進の射手〉小篠零奈は、〈神器〉に賭けて」
 零奈が、ちらり、とこよりを見遣る。
「……なのに、これじゃ……ダメ、よね……」
 最後にふっと洩らした笑みは、自嘲的なそれだった。
 晶は大きく息を吐き、零奈の手に自分の手を重ねる。少し驚いたようにこちらを見た零奈の眼を、真っ直ぐに見返しながら、静かに言った。
「……俺は今まで、俺の知らないところで、零奈先輩に守られていたんですね」
 恐れ遠ざけていた右眼の世界。〈析眼〉が見せる、この世の本質。
「許すとか、許さないとかじゃないですよ。母さんのことだって、誰よりも零奈先輩自身が、そんなのを望んじゃいなかったってこと、わかりますから」
 軽く、零奈の手を握り締める。自分の思いが、決意が、伝わるように。
「こよりも、同じなんです。過去の不幸な出来事と、そうならざるを得なかった自分を経て、ここにいる。こいつは、〈神器〉に賭けて俺を守ると約束しました。そしてそのために、自分の身すら省みずに戦っています。だから俺は、そんなこよりを守ろうって、決めたんです。俺は〈神器〉を持ってないけど……そうだな、 この右眼に賭けて、ね」
 結局、同じなんだ。零奈先輩も、こよりも。
 過去の過ちを全て背負って、その上で、一種の贖罪としての誓いを立てて、戦っている。知った以上、何も考えずに零奈を否定など出来ない。それはこよりとて同じだろうし、逆に零奈も――そうだろう。
「だから、俺は行きます。このままだと世界が壊れてしまうから。それを止められるのが俺だけだから。こよりや……零奈先輩がいるこの世界を、壊さないために」
「危険すぎるわ!」
 零奈の叫びには、懇願の色が濃く滲んでいた。
「〈協会〉の〈エグザ〉ですら、この中の惨状には手を焼いてる! 最悪の場合は……君は――っ」
 制止の言葉を続ける零奈の手を握ったまま、晶はその手を胸の高さまで持ち上げた。
「――なら、一緒に行きましょう。零奈先輩が一緒なら、俺も心強いです。俺もこよりも、遠距離戦は不向きですから」
 そう言って、晶は笑った。零奈は戸惑うように晶と、こよりの顔を交互に見る。
「一緒……に……?」
「構わないよな? こより」
 振り返り、ビルの壁にもたれかかっているこよりに晶が問う。こよりは「やれやれ」といった体で両手を上げると、
「君がそう言うなら。……ま、枯れ木も山の賑わいというし、戦力は多いに越したことはないしね」
と言った。
 こよりの物言いにムッとしたのか、零奈が強い調子で言い返す。
「言ってくれるじゃない。誰が枯れ木よ。弓使いに差し向かいで勝ったくらいでいい気になってもらっても困るわ」
「なら実力ってやつを見せてもらおうかしら。幸い的はたくさんあるわよ、この先」
「人を……射的屋みたいに……」
 零奈はキッと晶に向き直ると、言った。
「私、行くわ。行って〈屠殺のエグザ〉なんかより、私の方がちゃんと君を守れるんだってこと、証明してあげる」
「どうかなぁ、彼自身も結構強いし。懐に入られたら逆に守られる側になっちゃうかもね。そうなるとただのお荷物だし。でも安心して。彼だけに負担を強いはしないわ。私もちゃんと守ってあげるわよ、あんたを」
 相変わらず挑発的なこよりを軽く睨みつけ、零奈は低く呟いた。
「〈屠殺のエグザ〉、あなたとはいずれ必ず、決着をつけてあげるわ」
 その言葉が合図だったかのように、晶が立ち上がる。
「よし、決まり。時間も惜しい、早く行こう。――立てますか? 零奈先輩」
「ありがとう、晶。何とか大丈夫よ。少し休めたから、十分回復できたわ」
 零奈は立ち上がり、傍らに立てかけてあった〈神器・アトラーバオ〉を軽くチェックする。晶がちらりとこよりを見ると、こよりは真面目な顔で小さく頷いた。
(さすがに上手いな、こよりは)
 よく似た苦しみを味わった二人。立ち直れと言われて簡単に自分を許せるほど軽くない過去。それでも再び立ち上がるきっかけを、たとえ怒りという形であるにせよ、こよりは零奈に与えた。あるいは、この場において、こより以外にその役目を負うことは出来なかっただろう。
(背負いすぎるなよ、こより)
 晶の無言に、わかっている、という風に小さく笑ってこよりは答えた。
「さて、死地だ」
 パン、と手を叩いて晶は声を張り上げた。
「でもま、大丈夫だろ。こよりと零奈先輩が一緒なんだ。エリア外では真琴やラーニンがフォローをしてくれている。〈協会〉が何て言うかは知らないけど、俺もこよりも〈協会〉所属じゃないしな」
 ちらり、と零奈を見遣る。その視線を真っ直ぐ見つめ返しながら、
「問題無いわ。〈協会〉は今、混乱状態だし。それに……〈疾風の双剣士〉、彼女を自陣に立てている限りは、〈協会〉絡みのいざこざはほぼ起きないと考えていいわよ」
と零奈は言った。
「真琴を? それは、どういう……」
「いずれ分かるわ。それより、時間、無いでしょう?」
  零奈の指摘に、晶は改めて路地の奥――闇の向こうに、〈析眼〉を凝らした。肥大化した歪みの根源、〈此の面〉に存在してはならない、巨大な質量。それが 〈此の面〉と〈彼の面〉のバランスを崩し、空間を歪めている。周囲の歪みは矯正したが、大元を断たなければこの惨状は収まらない。放っておけば、矯正した周囲の空間が再び歪みを生じるだろう。行動は迅速にするべきだ。
「……ですね。それじゃ――」
 そっと右眼に触れる。ずっと眼を背け続けてきた世界を、晶はようやく――本当の意味で、受け入れることが出来た。

(母さん……俺は、この眼で、俺に出来ることをやるよ)

 記憶の彼方、事あるごとに母が言って聞かせた言葉を、不意に思い出した。特に意識するでもなく、ただ当たり前のように、そう生きている自分の根幹を成す、その言葉。

 あなたは、自分の出来ることを、出来る範囲で、出来る限りやりなさい。

「――行こう。俺たちは、俺たちに出来ることをやる。特別なことじゃない、当たり前のことだ。何も、怖くはないさ」
 この眼で、世界を救う。――それは決して、大それたことでは無かった。

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