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屠殺のエグザ

第九章第四話:血 と 災厄

 誰も口を開かない。こよりの言葉は、誰もを黙らせるに十分だった。しかし。
(こよりが……最初に殺した……〈エグザ〉……)
 恐らく、晶だけはその理由が違う。
  こよりから自分が〈エグザ殺し〉であることは聞いていたし、何人もの〈エグザ〉を手にかけてきたことも知っている。だがそれは知識として頭に入っているというだけで――およそ、実感とは程遠いものだった。それを今、嫌というほど眼の前に突きつけられた。晶は知らない。こよりが、どんな顔で〈エグザ〉を殺してきたのか。だがそれはきっとこんな顔なのだろうと――今のこよりの顔を見て、そう思った。
 そこには感情らしきものは何も張り付いていない。無表情で、憎しみも、悲しみも、怒りも、きっと殺す相手には抱いていないのだろうと感じさせる能面。それはおよそ「人間」を殺す顔でなく――家畜をただ屠るような。

 ああ、だからこよりは〈屠殺のエグザ〉なのか。

「……ならば、その〈エグザキラー〉は、〈孤高のエグザキラー〉から奪ったものなのか」
 ラーニンが沈黙を破り、重たい口を開く。こよりは黙って頷いた。肯定の意を読み、ラーニンは深くため息をつき、眼を伏せる。
「そうか……〈孤高のエグザキラー〉は既に無く、彼に繋がっていると思い追いかけてきた〈屠殺のエグザ〉に繋がりは無く、……お前が奴を討った本人だとは、な」
 〈血の裁決〉と呼ばれた〈執行者〉は、壁に背を預けたまま、全身の力を抜き、「殺してくれ」と言った。
「私の復讐は終わった。成したのがお前というのが不本意だが、それでも少しは……あいつも浮かばれるだろう。さあやれ、〈屠殺のエグザ〉。〈血の裁決〉は今、お前の手にかかり、散る」
 サラ。これでようやく、私はお前のところへ――。
「そんなに、恋人のところに行きたいの?」
 こよりが、ラーニンの心を読んだように言った。
「どうだろうな。私の手はお前と同じで……幾人もの〈エグザ〉の血で汚れている。今更、あいつと同じ場所へ行けるなどと考えるのは、虫が良すぎるというものだろう。人を殺めた者は人から違うというのが道理なら――」
 人気の無い街を吹き過ぎる風が、静かにラーニンの肌を撫でた。
「私には、あいつに会う資格なんて無い」
 力無く呟いたラーニンは、左手の〈断罪剣〉をこよりに差し出した。
「さあ、〈屠殺のエグザ〉。この〈神器〉で……私を断罪するがいい。同じ咎人であるお前に頼むのも妙な話だが……お前は、殺し慣れているだろう?」
 こよりは黙って〈断罪剣〉を受け取ると――アスファルトに、それを突き立てた。訝しげな顔のラーニンに向かって、こよりは言う。
「確かに、私はあなたと同じ罪人よ。この手に掛けた〈エグザ〉の数は、もう覚えていないくらい。あなたが〈エグザ殺し〉を憎むのと同じくらい、私は〈此の面〉と〈エグザ〉を憎んできた。……でも、もう誰も殺さない」
 こよりが、ちらりと晶に視線を向けた。
「彼が、そう望んだから。こんな私を受け入れてくれた彼が。だから私はもう殺さない。私は……もう〈屠殺のエグザ〉じゃないの」
「……今ここで私を討たねば、私はまたお前を討ちに現れるかもしれんぞ」
「ならもう一度……何度でも、戦うまでよ。そして何度でも勝つの。私は……私たちは」
 晶が、真琴が、こよりを挟むように並んで立つ。迷い無き意志、畏れ無き意思――こよりは、独りではない。
「お前の罪は、消えないぞ」
 ラーニンの言葉に、こよりは静かに頷いた。
「分かってる。それは……これからも、背負い続けていくわ」
 そうか、と呟き、ラーニンは眼を閉じた。今この瞬間、〈血の裁決〉としてラーニン=ギルガウェイトは、いなくなった。

「こより先輩!」
 真琴の声に二人が振り向くと、彼女は耳に携帯を当てていた。
「たった今連絡があったんですが、例の〈浸透者〉が見つかったみたいです……けど」
 真琴の顔が青ざめている。嫌な、予感がした。
「場所は駅前付近、それと……完全に、表出しちゃったそうです」

――対象の〈浸透者〉は完全に表出。駅前広場から主要路を〈エグザ〉各師と交戦しつつ南西に移動中。一般人にも甚大な被害が出ています。彼らに死者こそ出 ていませんが、確認出来ているだけで三名が重体です。〈協会〉側の被害は大きく、十三名が死亡、五十一名が重軽傷を負っています。推測されたとおり、極めて強い再生能力を持つ〈浸透者〉らしく、今現在目立ったダメージを与えられていません――。
 急げ。ここからだとどれだけ急いでも十五分は掛かる。晶たちは、真琴が持つ〈協会〉所属の〈エグザ〉同士が連絡用に持ち歩いている端末からの情報を聞きながら走った。
「今の報告を聞く限りだと……」
 真琴が先に走りながら口を開く。彼女だけなら晶やこよりよりも速く現場に到着出来るが、まさか一人であの〈浸透者〉に突っ込ませるわけにはいかない。
「〈協会〉側で戦える人材は、あと四十人も残っていないと思います。規模を考えれば事実上……全滅した、ということですね」
 その真琴が淡々と告げる事実に、晶の背筋が寒くなる。だとしたらこの街は――一体どうなってしまうのだ?
「私を追って周辺の支部から、かなりの数の〈エグザ〉がここへ詰めていたはずよ。それが全滅?」
「延べ百五十人程度だと思います。負傷者の手当てを放棄して、後方支援まで前線に送れば九十人くらいには水増し出来ますが」
「冷静に考えたら撤退するわよね、〈協会〉は」
「はい。けど、これでは応援が到着するのは早くても明日の昼頃です。とても……」
「間に合わねぇよ、それじゃ!」
 悠長にしてはいられない。応援を待っていたら、間違いなくこの街は灰になる。
「そいつを返依さなきゃ……この街を守らなきゃ……っ」
「落ち着いて」
 耳朶を轟音が揺らす。近い。
「あの化け物相手じゃ近づけないわ。動きを止めることも難しい。それは前の戦いで分かってるはずでしょ?」
「……なら、俺があいつを倒して――」
「ダメです!」
 晶の言葉を、真琴が遮った。
「〈浸透者〉は、〈彼の面〉ではただの一般人なんですよ? それに、倒してしまったら〈浸透者〉の本質が書き換わってしまいます。そしたら、もう返依すことが出来ません。〈此の面〉に、許容されてない質量が残って――いずれ空間は破れ、そこから大量の〈浸透者〉が溢れ出ることになります!」
 晶は奥歯をぎり、と噛み締めた。せめて――せめて自分に〈換手〉があったなら。自分に〈対置〉能力が扱えたなら。自分が〈エグザ〉だったなら。
 そうすれば、多少無理矢理にでも返依そうと試みられるのに。
 走りながら、晶はちらりと、横眼でこよりを見遣る。ダメだ、彼女に危ない真似はさせたくない。あの橋の上で戦った、角の〈浸透者〉との死闘。傷付き死に直面していたこよりを見て、もうあんな目に遭わせたくない、遭わせないと、そう誓ったのだから。
「先輩方、そろそろです!」
 真琴に言われるまでもなく、晶の眼には異様な空間の歪みが見えていた。戦っているはずの〈協会〉の〈エグザ〉は感じられない。もう撤退したのか。
 突如、眼の前のビルが崩れた。先頭を走っていた真琴が急停止、後跳びにそれをかわす。
 立ち込める粉塵、降り注ぐ瓦礫。――その向こうから、〈浸透者〉が顔を出した。

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