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屠殺のエグザ

第十一章第十話:〈対置封殺〉 と 〈神器封殺〉

 躱す事の叶わぬ一撃のはずだった。
 空を切った己の右手に、晶の思考が停止する。その一瞬が命取りだった。右腕を誰かに掴まれる。――レイスだ。
 近過ぎる間合いが幸いしたのか、直後に脇腹へ叩き込まれた掌底に威力はない。理解不能な回避に混乱している晶だったが、この機に勝負を決められなかったのは僥倖だ――そう、意識の端で考えた刹那。

 眼の前の風景が、激変した。

 最初に理解したのは、自身が宙を舞っていること。次に、真横にいたはずのレイスが、何故か五十メートル程離れた位置にいること。
 レイスは既に晶など眼中になく、こよりに向けて疾駆している。彼我の位置関係から考えて、どうやら自分は吹き飛ばされたらしい、と察した頃、ようやく晶は地面に激突した。もちろん、衝撃を吸収するように、綺麗に体を転がす。五点着地法と呼ばれる方法だ。訓練を積まねば得られぬこの技術すら、晶の〈析眼〉は容易に再現する。
「真琴!」
 起き上がり様に呼んだ名は、今標的になっているこよりの前に立ち塞がる少女のもの。レイスは既に、彼女の目前にまで迫っていた。速さが武器の真琴には、彼を止めるだけの能力はない。
 判断は一瞬、晶は地面に転がっているナイフを拾うと、それを〈変成〉する。ベクトルを書き換え、人の手では到底不可能な速度を与えた。当然、質量も増大させてある。今やこのナイフは、対物ライフルに等しい威力を持っていた。
 レイスが真琴に迫る直前、晶の放ったナイフが彼に到達する。視界外からであったかどうかはともかく、少なくとも認識の外にあったはずの狙撃は、しかし左へ薙ぎ払われた〈神器封殺〉によって防がれた。一連の動作は流れるように自然で、まるで演舞のようだ。だとすれば、晶の対応まで読んでいたということなのか。
「バケモンかよ……っ!」
 さりとて、他に対応の手があるわけでもない。晶は続けて、地面に散らばるナイフを〈変成〉する。
 速度をより速く、質量をより大きく。レイスがこれを受け切るなら、それを超える力を。
 晶の手からナイフが放たれる。轟音を上げながらそれは、真っ直ぐにレイスへ向かった。
 目視不可能な攻撃だがしかし、〈エグザ〉であるレイスには何ら障害となり得ない。ましてや、彼は〈析眼加速〉で能力を飛躍的に高めている。晶の攻撃は、しかし先の攻撃と同じくたった一振りで弾かれてしまった。晶が手を伸ばして届く範囲には、もう何も落ちていない。
 真琴が、こよりの肩を掴んだ。
「いきます!」
 叫ぶ真琴。視線の先にあるのはレイスではない。睨むのはまだ宙を舞っている、弾かれたばかりの、晶が放ったナイフ。
 レイスは恐らく、たった今気が付いただろう。晶が〈変成〉したナイフの質量が、こよりのそれと同等だということに。
 白光に包まれて、こよりの身体が消失する。代わりに現れたのは、刃に傷の入った一振りのナイフだ。
 目標を突然見失い、レイスの動きが一瞬止まる。迅雷の速度を持つ真琴には、それで十分だった。そして。
 晶は、ナイフと〈対置〉され、弾かれたままの速度で飛ばされているはずのこよりへと眼を向けた。静止状態からの急加速により、彼女には想像を絶する加速度が掛かっているはずだが、しかし彼の眼に映ったのは鮮やかな着地を決めるこよりの姿。〈対置〉される前に物体が持っていたはずの「ベクトル」という本質は、いつのまにか完全に消滅していた。
 レイスに生じた一瞬の隙が見逃されるはずもない。真琴がナイフで神速の一閃を叩き込む。もちろんレイスにとっては躱すに易い攻撃だが、少なくとも足止めの意味はあった。その僅かな時間で、晶が彼我の距離を一気に詰め直す。途中、捨てた剣を拾ってくることも忘れない。
 接近の勢いをそのまま利用した鋭い踏み込み、そこから生み出される流れるような斬撃は、百戦錬磨のレイスでなければ躱せなかっただろう。
 真琴の攻撃から続けての回避行動だが、難なく避けるレイス。それでも、余裕の部分は徐々に削られていっている。ここで一息に攻めるべきか?
 否――そう、晶の本能が告げる。さっきは必中の一撃を躱されたのだ。何より、この一連の攻撃は、攻めに転ずるためのものではない。未だ不利な状況を少しでも好転させるための、精一杯の足掻きである。
 あと一息、というタイミングで晶が退いた。苦戦しつつあった状況のなか、突如生まれた空白をレイスは訝っただろうか。少なくとも、下がった晶を追いはしなかった。距離を空けた晶の周りには、二人の少女。状況は再度、初期化された。
「……色々訊きたいことがあるけど……」
 肩で息をしながら、しかし問う間も晶の眼はレイスから離れない。離すだけの余裕など、あるはずもない。こよりの手に〈エグザキラー〉がある限り、レイスの頭にあるのはたった一つの意志だ。
「何で、避けられた?」
 晶としては、あの一撃で終わらせるつもりだった。〈析眼〉で読んでなお回避不能な、そういう組み立てだったにもかかわらず。
――レイスはそれを、回避した。
「腕です」
 真琴の答えは短い。もっとも、晶とて気にはなっていた。レイスの両手首で揺れるブレスレットは、間違いなく〈神器〉だ。
「〈絶対防壁(アブソリュートウォール)〉。彼が持つ四宝最後の〈神器〉ね」
 レイスの手首で、〈神器〉が鈍く光を反射する。左右で対になる〈神器〉ということは、真琴の〈SHDB〉と同じく、〈対置回路〉を共鳴させることで小型化を図っているのか。
「その名の通り、どんな攻撃も無効化します。効果は、着衣などを〈変成〉して硬化したり、所有者を〈移動〉させることで攻撃範囲外に逃がしたり、ですね。唯一、〈神器封殺〉が勝てない〈神器〉と言えるかもしれません」
「なるほど、つまり〈神器封殺〉のアンチテーゼとして作られたってわけか」
 そして恐らく、〈陽炎魔鎌〉は〈絶対防壁〉のアンチテーゼとして作られたのだろう。回避を許さない必中の攻撃は、〈絶対防壁〉では対応しきれまい。しかし、だとすれば。
「参ったな。隙がなさすぎる」
 晶が眉間にシワを寄せた。捨て身の攻撃を、こうもあっさり無効化させられたのでは無理もないのだが。
「そうでもないですよ」
 真琴が、眼だけで晶を見る。
「〈析眼加速〉は連続使用ができません。あと三十分は使えないはずです」
 努めて明るい材料を提示しようとする真琴だが、こよりが静かに首を振った。
「加えて〈複製〉持ちの〈換手〉。どうりで究極と称されるわけね、〈四宝を享受せし者〉は」
 聞き覚えのない単語に晶が問い返すと、こよりが説明してくれた。
「君の〈析眼〉みたいに、特殊な能力を持った〈換手〉が稀に存在するの。物体を増やしたり移動させたりする能力。私たち〈エグザ〉はそれを、〈複製〉持ちと呼ぶわ」
 レイスが先程見せた、投げたはずのナイフを再度投擲する能力。なるほど、あれは〈複製〉によってナイフをコピーしていたのか。
「さらにその応用で、対象を眼の届く範囲で〈移動〉させることも可能です。さっき晶先輩が受けた攻撃ですね」
 衝撃こそ皆無だったが、何故か晶本人は空中に放り出された。レイスがその気なら、今頃晶は生きていないだろう。それほどまでに、強力な能力だ。
 晶は改めて、対峙している相手の強大さを思い知る。ならば、諦めるのか。
「……少なくとも今は、〈絶対防壁〉を使えない。レイスにとって、あれを使わなきゃならない状況は避けたかったはずだ。奥の手、最後の手段、切り札――使い切りのそれを使わせた時点で、俺達は一歩、レイスを追い詰めている」
 全ての〈神器〉を使わせ、能力も明らかになった。ならばもう、小細工などない。互いに全力を出し切るだけだ。
「こより……」
 レイスの標的、その対象は今、晶の後ろに立っている。
「あいつは、俺が殺す」
 絞り出すような宣言には、しかし一切の迷いも躊躇いも含まれてない。戦うという、誰かを傷付ける存在になるという決断は、晶のものだ。世界を敵に回す覚悟の前では、この程度のこと。
「……分かった。なら、これは君が持って」
 こよりが、手に持った剣を晶に手渡す。レイスが狙う〈神器〉、こよりの象徴、〈エグザキラー〉。
「ごめん」
「謝るな」
 そうじゃない。今こよりが言うべきことは、それじゃない。
「そうだよね。……うん、ありが……とう……」
 晶は、小さく微笑むと、一瞬にして雰囲気を一変させた。明確な殺意に乗せ、横薙ぎに〈エグザキラー〉を一閃する。
「少しは落ち着いて、話させろ」
 突っ込んで来ていたレイスは急停止し、皮一枚の差でこれを躱す。届かなかった刃に、しかし晶は動じず一歩を踏み込んだ。踏み込みは深く、晶の体が深く沈む。頭上を〈神器封殺〉が通過した。風切り音が遅れて聞こえるほどの鋭さが、逃げ遅れた髪数本を飛ばす。その瞬間にはもう、晶は返しの刃を放っていた。
 躊躇ない一撃。だが、それだけで届かせてくれる相手ではない。振った〈神器〉の勢いをそのままに、レイスは体を無理矢理後方へと引っ張った。詰まり気味だった間合いに、若干の余裕が生まれる。それでも、晶の刃から逃れ切れるほどではない。
 レイスは慌てる風でもなく、左手を胸元へ引き寄せる。次の瞬間、彼の左手には〈神器封殺〉が握られていた。
 その手品のタネが〈移動〉であることは、既に承知である。が、故に防げない。通常であれば勝負を決めた斬撃は、あっけなく左手に〈移動〉した〈神器〉に防がれた。激しい火花の中、両者共に姿勢を崩し、距離が開く。
 ここまで、僅か数秒に満たぬ時間。圧倒的な「動」の後に訪れたのは、錯覚さえ生み出す「静」。
 そしてまた、〈対置封殺〉と〈神器封殺〉が睨み合う。
(さすがに、簡単じゃないな……)
 今の応酬で、〈神器封殺〉への〈対置〉効果は無効した。だが同時に、〈エグザキラー〉もまた、ただの剣になってしまった。状況は、一体どちらへ有利に傾いたのか。
 晶は、確信を持って宣言する。
「いくぜ、こより、真琴。これでレイスを――」
 〈神器〉を無効化させられてなお、高らかに。晶は、大きく踏み込んだ。

「――仕留め切る!」

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